発明の経済学:イノベーションへの知識創造

開催日 2022年11月28日
スピーカー 長岡 貞男(RIETIプログラムディレクター・ファカルティフェロー / 東京経済大学教授)
コメンテータ 岡田 吉美(経済産業省特許庁審判部第1部門長)
モデレータ 関口 陽一(RIETI上席研究員 / 研究コーディネーター(研究調整担当))
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開催案内/講演概要

経済が成長していくためには革新的な発明、イノベーションが欠かせない。このたび『発明の経済学:イノベーションへの知識創造』を著したRIETIファカルティフェローの長岡貞男東京経済大学教授は、第65回日経・経済図書文化賞を受賞された。本書では、発明の創造過程や商業化の過程で何が起きているのかを明らかにし、理論と実証のギャップを埋めながらイノベーションを高める要因を分析している。今回のセミナーでは、長岡教授が自身の実証研究を紹介しながら、インセンティブと競争が発明にどのような役割を持っているのか、知識の組み合わせとしての発明とその持続性はいかにして存在しているのか、特許制度がイノベーションの促進にどのように機能し、どのような課題があるのかを論じた。

議事録

1.発明には経済的なインセンティブが重要

本日は、『発明の経済学』がどんな問題を分析しているのか、7つの基本的な問題にフォーカスを当ててご紹介したいと思います。

最初の問いは非常に素朴な問いのようにも見えますが、発明に対する経済的インセンティブの必要性です。経済学者のBoldrinとLevineは、『Against Intellectual Monopoly』という著書のなかで、発明は他の活動の副産物に過ぎないのではないか、そのような発明に特許権を与えて利用に制約をかけるのは発明の利用を妨げるのではないかという主張をしています。

彼らのこのような主張の根拠が、ワットの蒸気機関の発明です。ワットは、ニューコメンの蒸気機関の修理を依頼されて、その修理の間にアイデアを思い付いたとされています。修理の副産物として発明がなされたと彼らは解釈しています。ただ、アイデアが研究開発活動以外から生まれても、発明として完成するには、プロトタイプの作成など実証研究が必要な場合は多く、ワットの蒸気機関の発明も完成には時間と費用を要したことが知られています。

われわれの研究では、発明の創造プロセスのマイクロデータを日米の発明者へのサーベイによって集めることで、発明にどの程度研究開発投資が関与しているのかを分析しました。

その結果、セレンディピティ(当初の目標になかった発明)も含めて研究開発活動から生まれたものは約4分の3でした。加えて、Boldrinたちが言うように、研究開発をまったく伴わない発明も10%ほどありましたが、サービスや生産などの他部門から生まれたアイデを研究開発投資によって完成させたものも10%程度ありました。全体としては研究開発投資が必要な発明が大半であり、経済的なインセンティブは非常に重要であるといえます。

経済的インセンティブが重要であることの重要な含意は、発明の投資コストと発明の価値には正の相関があるという点です。企業研究者は、発明がもたらす収入が発明への研究開発投資を上回る予想が可能な場合にのみ、当該研究開発投資を行うと考えられるからです。実際に、研究開発の主目標として得られた発明が最もコストも高いし、価値も高く、逆に研究開発をまったく伴わない発明は価値も低いという関係が成立しています。

非常に興味深いのはセレンディピティです。セレンディピティは研究開発の主目標と比べると6割ぐらいコストが低いのですが、価値はかなり高いことが分かりました。ですから、研究開発過程の不確実性自体が価値の源泉であるということも分かりました。

2.発明の価値は補完的資産の規模と発明の質に依存

経済的インセンティブが重要であることのもう1つの重要な含意は、発明には補完的資産が重要だということです。

そもそも、発明の価値がどのようにして生まれるかですが、発明はあくまでも知識ですので、発明の利用範囲はそれを利用する企業の事業(ここでは補完的資産といいます)の範囲によって制約されています。単純にモデル化すると、発明の価値(v)は補完的資産の規模(A)と発明の質(x)を掛けたものであり、xが大きいこととAが大きいことの両方で発明の価値が決まります。

補完的資産がなぜ重要かというと、過去の事業投資の積み上げで構築されており、サンクコスト(埋没費用:過去に払った取り戻せない費用)になっているからです。従って、それを活用してできる企業が、研究開発を行う経済的なインセンティブが高いということになります。このメカニズムにより、産業内の寡占化や垂直分業の進展といったことも説明できます。日米の発明者サーベイの結果によると、発明をもたらした研究開発の目的で、日本も米国も半数以上が既存事業の強化であり、補完的資産の重要性が高いことを示しています。

既存事業分野の研究開発投資は、その補完的資産で同時に制約されており、新たな補完的資産構築の基盤となる革新的な発明が同時に重要。日本と米国で大きく異なるのは、米国企業は新しい事業を構築するための技術基盤の探索にもかなり投資している。新しい事業のベースになる新しい発明で新しい補完的資産を構築していくために投資することも非常に重要です。

3.プライオリティ競争の重要性

プライオリティ競争とは、最初の発明者・発見者になるための競争である。競争はいろいろな次元で起きていて、研究開発ではプライオリティを巡る競争が非常に重要です。その競争の特徴は、経済理論では「特許レースのモデル」としてモデル化されていますが、実際どの程度重要で、企業がどのように競争しているのか、またその原因は何かについて、実証的な研究は多くない。

競争者の存在をどれだけ認識しているか、日米欧の発明者で比較すると、日本は欧米に比べて競争者の存在を認識している発明者が非常に多く、競争者の存在に対して研究を加速する意識を持って発明した人が多いことが分かります。その要因は何かというと、日本の業界では競争企業が多いということもあると考えられますが、研究の着想に重要であった知識源にも大きな差があります。

発明へのアイデアを得る上で重要な知識源を日米発明者で比較するとは、日本の方が「特許文献」の割合がかなり高くなっており、また、「競争相手」で、日本の場合は14%の発明者が競争相手が発明の着想に重要だったと答えていますが、米国では2%とかなり低く、日本の研究者は競争者の顔をかなり見ながら研究している面があると思います。「科学技術文献」、「人的交流」や「公開イベント」は日米ほぼ同じ頻度です。

競争にどう対応するかというと、競争者と同じ土俵で先を行くというのが1つあり、もう1つは、独自性が高い研究を行うことで競争することもあるわけで、日本の場合、前者での割合かなり多いことが課題になっていると思っています。

4.発明者への成果報酬インセンティブの効果

企業で雇用されている発明者への成果報酬の在り方が次のテーマです。ここで成果報酬とは、発明がイノベーションに結実した場合に企業が獲得する発明からの利益の一部を発明者に支払うことです。

まず、発明者がどのような動機で発明を行っているかを、発明者を自営業者と被雇用者の層に分けて調査したところ、どちらも「チャレンジングな技術課題への解決」や「科学技術の進歩」といった内発的動機・タスクモチベーションが非常に重要であり、自営業者である発明者でも金銭的報酬は重要でないことが分かりました。金銭的報酬を完全に受け取ることができるにもかかわらずです。内発的動機がより重要です。

また発明者の報酬について規制がない米国と、規制がある日本、独と比較すると、米国では個別特許の成果報酬の利用頻度は低く、ベース給与のアップ、昇進・キャリアアップの頻度が高いことも分かりました。このように、個別特許の成果報酬の利用が限定的であるのは、発明がイノベーションになるには時間もかかるし、不確実性もあり、優れた発明を促す効果は小さいと認識されているからだと思います。

日本は特許法上、発明者に個別の特許ごとの実績報酬を払うことが義務付けられていますが、それが明確となった判決を契機に、そのような成果報酬を初めて本格的に導入した産業もありますが、研究開発パフォーマンスを高める結果にはなっていません。

5.反共有地の悲劇は起きているか

反共有地の悲劇とは、多数の特許権がある技術やイノベーションに必要な技術について、多くの企業が分散所有すると、相互ブロックの状態になって発明があまり活用されず、発明へのインセンティブも下がる危険性をさしています。

経済学の有名なコースの定理によれば、権利が設定されていれば、交渉によってこうした問題は解消されるはず。コースの定理は成立しないのか?

理論的な研究では、アウトサイダーとなることにコミットする戦略的誘因があり、完全に効率的な契約はできないことが知られている(コアリション・フォーメーションへの制約)。技術標準の特許プールの経験は、こうした理論的な予想に合致する。

本研究では、特許権の束の大きさを測定し、それが大きくなるとブロッキング動機による特許取得は減少し、クロスライセンス動機が拡大することを見いだした。またクロスライセンスによって、利用される特許の数は拡大し、他方で先行優位性に負の影響はないことも確認。

6.特許制度は知識ストックを拡大しているのか

特許制度の目的には、新規で進歩性のある発明をした者に一定期間排他的な利用権を与えそのような発明とその商業化への投資インセンティブをもたらすこと、および、発明を公開することでさらに新しい発明を促すことの2つがあります。

後者がどの程度重要なのかについても議論があり、企業は発明を体化商品の販売後に他者によるリバースエンジニアリングで発明が知られる場合にのみ、その独占利用を保護するために特許出願するのではないかという考え方もあります。

われわれの分析では、発明の着想への特許文献の重要性は、技術分野によって差はあるものの高い。また、発明が公開前に自社利用されると、特許文献の開示情報の重要性は確かに低下するが、その影響はそれほど大きくない。リバースエンジニアリングでは得られない技術情報はありますし、また、権利情報として発明の特許文献が重要性を持っている点も重要。

7.特許審査は合格不合格なのか

もともと特許制度には保護と利用促進のトレードオフがあるといわれています。経済学では、この問題をどう緩和するかについて、研究がいろいろと行われてきましたが、必ずしも十分に議論されなかったのは、特許審査自体は、発明の貢献に合わせて権利を設定することで、この点に非常に重要な役割を果たしています。

発明の貢献を特定するためには先行文献が何であったかという判断が必要になるのですが、その判断を得るのは必ずしも容易ではなく、出願人は権利の幅が広い方がいいので、発明の貢献を超えた出願をしてくる可能性があります。しかし、登録された特許の3分の2は特許庁の審査官が権利を縮小する方向で出願人に補正を行わせていることがわれわれの分析から分かっています。

それから、先行文献の開示の質が高いほど権利範囲の縮減は小さいことも分かっており、また発明が比較的重要な場合は補正される可能性が高まっており、経済活動に比較的重要正が高い特許がより重点的な審査の対象になっていることがうかがわれます。

コメント

岡田:
特許制度は、発明へのインセンティブ付与と並んで発明情報の利用を促進することが根幹の役割になっていますが、今までその役割について実証的に証明できたものがあまりなかったので、本研究は、是非、法学系も含めて、いろいろな教科書にも載せていただきたいと考えています。

研究の着想にとって重要であった知識源として、日本の場合、科学技術文献よりも特許文献の方が高く認識されているのは、日本語の科学技術文献にアクセスすることが難しく、科学技術文献がデータベース化されていない部分を特許文献がカバーしているからではないかと考えられます。日本語にしかなっていない知識源は、その活用の点において日本人に優位性があるので、研究開発を支える根幹としてアクセスしやすくすることが必要だと思います。

それから、発明への動機としてチャレンジングな技術課題の解決の部分が重視されている点は注目すべきだと思いました。崇高な理念を満たそうとする役割が動機として非常に大きいのだと思いました。

発明者が得た処遇に関しては、特許法第35条の職務発明制度のガイドラインの作成時の検討において留学機会の付与が検討されていましたが、私は海外だけでなく国内の留学も重要だと思っています。会社の研究者が研究成果を上げたご褒美として、大学に行って研究をし論文ドクターの学位の取得の機会を与えられていたことは、モチベーションの向上・能力開発、先端的科学的知識の活用などに大きな成果があったのではないかと思っています。

審査が甘いと本来パブリックドメインになるべき技術も包摂するような特許権を設定することになり、世の中に悪影響を与えてしまうところ、長岡先生との共同研究で、審査官は、限られた時間の中で社会の利益を最大化するように時間配分をして審査をしていることを実証分析することができました。このことは、職業倫理に基づく行動でもあり、審査官の士気を向上させることは、よい審査のために非常に重要だと考えています。

長岡:
おっしゃる点は非常に重要であり、インセンティブに関しても、米国の資本主義の発展を支えたのは発明者の開拓スピリットですので、そうした面も今後の研究課題だと思います。

質疑応答

Q:

日本の研究者が競争相手から着想を得るということは、ライバル同士で切磋琢磨しているという意味でしょうか。逆に、米国の研究者は独自に研究して発想することが多いのでしょうか。

A:

競争相手から着想を得た発明は平均的にそれほど高いレベルの発明ではなく、他者の特許文献に依存していない方が発明としての価値は高いと思います。進歩性の高い発明には、サイエンスを活用できることが重要で、日本では、論文博士を含めても、ドクターを持っている人の割合は低いのが課題だと思います。最先端のサイエンスを活用する能力を強化し、政策的にも支援していくことが発明の質を高めていく上で重要だと思います。

Q:

雇用者は金銭的インセンティブが低いとのことでしたが、現在のシステムでは雇用者は発明報酬を期待できないので、非常に重要だと回答していないだけではないでしょうか。

A:

指摘の点は非常に重要にで、そうした問題に対処するため、私どもは自営業の発明者が金銭的報酬をどう考えているかを調査し、被雇用者の発明者との比較をしました。さらに、米国の発明者との比較も行い、両国で発明の動機のパターンはあまり変わっていないことも確認しました。発明に内発的動機が非常に重要であることは頑健な結論だと思います。

Q:

前半部分のマクロ分析で、もう少しミクロな視点で分けたものはありますか。

A:

創薬やICTの技術標準などの特定の分野について研究したこともあり、それを踏まえると分野の差は非常に大きいと思いますが、体系的な分野別研究には至っていないのが現状です。

Q:

日本でセレンディピティを上げるためにはどうすればいいでしょうか。

A:

事業目的に縛られない研究をすることと、基礎研究であることが必要だと思います。

Q:

研究の着想について時代背景による傾向はありますか。

A:

今まで発明者のサーベイは2回行っていますが、その間ではそれほど大きな差はなかったと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。