特許情報を用いた競争力や特許価値の分析とその応用:特許行政年次報告書 2021年版の公表等を受けて

開催日 2021年11月18日
スピーカー 仁科 雅弘(経済産業省特許庁総務部企画調査課長)
モデレータ 田村 傑(RIETI上席研究員 / 東京大学政策ビジョン研究センター(PARI) / 未来ビジョン研究センター(IFI)客員研究員)
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企業価値に占める無形資産の割合が増大する中、無形資産の中で主要な地位を占める特許に関する情報は、機械処理可能なデータが比較的整っており、見えない資産の見える化への活用が期待されている。最近、特許情報を用いた分析結果を報道などで目にすることが多くなったこともそのことをよく表している。本セミナーでは、特許庁の仁科雅弘企画調査課長を迎え、特許庁が発表した「特許行政年次報告書2021年版」を中心に、特許情報の分析結果などについて解説いただくとともに、民間での活用状況についても紹介していただき、今後の政策立案や企業活動等に特許情報を役立てていく可能性について探った。

議事録

特許行政年次報告書について

最近、毎週のように特許情報を用いた分析結果が報道に登場しています。今日は特許庁が公表している「特許行政年次報告書2021年版」に掲載の特許情報の活用事例とともに、民間等での特許情報の活用状況についてご紹介したいと思います。

「特許行政年次報告書」では、特許情報をめぐる動向の分析や特許庁の取り組みについて紹介しています。中身のごく一部をご紹介すると、わが国の特許出願件数は減少傾向であるのに対し、特許協力条約に基づく国際出願(PCT国際出願)の件数は右肩上がりとなっています。また、審査請求件数はここ10年ほど横ばいなので、出願件数の減少と併せて考えると、本当に権利化したいものに絞る形で出願されていることが推測されます。[スライド3-5]

世界の特許出願件数はこの10年で1.6倍に増加し、特に中国が年間約150万件と日本の5倍に上ります。一方、PCT国際出願を出願人居住国別で見ると、中国(約6万件台)はここ数年大きく増えているものの、日本(約5万件台)と大体同規模となっています。[スライド6-7]

出願人属性別の特許出願件数では、出願件数上位1000社以下による出願件数の割合が上位30社の割合を逆転しており、特許出願を行う企業の裾野が広がっていることがうかがえます。中小企業やベンチャー企業が特許を使うようになっている傾向にあるのでしょう。[スライド8]

特許出願技術動向調査について

「特許行政年次報告書」にも掲載されている特許出願技術動向調査は、注目度の高い技術テーマを対象に、出願動向から技術トレンドをつかみ、日本の研究開発の方向性を見定めるために行われているものです。また、特許審査の基礎資料としても活用されています。[スライド10-11]

技術テーマ別の調査では1999(平成11)年度以降、約280テーマの調査を終え、2021年度はコロナ禍に関係するものなど4つのテーマについて調査中です。[スライド12]

その中から、「機械翻訳」(2020年度調査)について紹介すると、機械翻訳技術全体の特許ファミリー件数は2016年以降急激に増えています。この特許ファミリーとは何かといいますと、特許は原則国ごとに独立していますので、同じ発明について各国に出願する必要がありますが、同一の発明であれば、それを異なる国に出願していても1つの束と考えて1件とカウントし、それをファミリーといいます。件数では中国籍の増加が目立つ一方、米国は出願する対象の国として最も選ばれており、機械翻訳に関する国際競争の主戦場となっていることが分かります。[スライド13]

機械翻訳技術の用途としては、米国籍による出願のうち約10%が「Web翻訳」ですが、日本国籍は約2%にとどまっています。一方、「生活情報」「運輸・流通業」「顧客対応」は日本国籍の方がより積極的に出願しています。こうしたきめ細かいローカルな対応が求められる分野は、日本企業が技術的蓄積を比較的有する分野であり、引き続き技術開発を行っていくべき分野だと考えられます。[スライド14]

また、自動翻訳の精度を急激に上げているとされる「ニューラル機械翻訳」を見ると、中国籍の件数増加が著しい一方、日本国籍の増加は遅れていますが、技術区分で見ると「特許・知財」に関する翻訳では日本国籍の方が積極的に技術開発を行っています。[スライド15]

一方、マクロ調査で特許全般について調べてみると、日本は1人あたり国内総生産(GDP)を考慮しても、特許件数の規模が多いことが分かります。つまり、日本の出願件数が減少傾向にあるからといって、イノベーション力が大きく落ちているわけではないと考えられます。[スライド16]

全技術分野を35に区分し、分野ごとについて分析するマクロ調査も行っています。「デジタル通信」分野では、中国籍の件数が急増し、米国への出願は2015年以降、減少しています。[スライド17]

出願件数収支を見ると、日本に出願されるデジタル通信関連技術の約60%が日本国籍であり、日本国籍の出願人は自国(日本)に次いで米国への出願が多いことが分かります。一方、中国籍や韓国籍は自国への出願が大半となっており、欧州での出願は域外からが多数を占めています。このような収支図を分野ごとに比較すると、分野ごとの国の特性や技術の特性が分かります。[スライド18]

国際機関における分析例(WIPOによる分析)

特許情報を用いた統計情報や技術情報の分析は、国際機関でも行われています。世界知的所有権機関(WIPO)では、気候変動に関する国際連合枠組条約(UNFCCC)によってリスト化された環境親和的技術と国際特許分類(IPC)の対照表(WIPO IPC Green Inventory)を作って、IPCに含まれている技術の動向を調べています。[スライド20]

それによると、環境親和的技術の出願人国籍別の特許出願件数は日本がトップで、中国が続いています。国際特許出願のシェアでも日本が1位で、2位は米国となっています。2カ国以上の国で出願された環境親和的技術の件数となると中国の順位はぐっと下がる一方で、日本はずっと首位を維持しています。これらから、環境関連技術に関しては日本にはかなりの技術的蓄積があり、ランキングも首位を維持しているので、この分野で日本は相応の競争力があるのではないかと考えられます。[スライド21-22]

特許データの活用例―特許価値の評価を行うデータベース

次に、民間における特許データの活用事例をご紹介します。1つ目に、特許価値の評価を行うデータベースの事例です。ただし、特許価値といっても、金銭的価値ではないことにご注意ください。[スライド23]

例えば、産業構造審議会知的財産分科会で討論用に示された資料では、PatentSight社という企業が提供している特許価値の分析手法が紹介されています。これまでの事例では件数ベースで分析していましたが、PatentSight社はデータベースを使って発明ごとの技術的価値や市場的価値を測る取り組みが行われています。[スライド24]

技術的価値は、ある特許出願について後願の特許からどれだけ引用されているかという指標に基づいて判断しています。市場的価値は、どの国に出願しているのかということに応じて国民総所得(GNI)で重み付けをして測っています。この技術的価値と市場的価値を掛け算して平均相対価値を算出し、個々の出願についての価値を算出しています。これを国別や企業別で特許出願の数を全て積算して算出されるのが総合価値というものです。[スライド24]

これを使って日米中で比較すると、面白い傾向が見えます。米国は出願規模が増加傾向で平均相対価値が減少傾向で、グラフの橙色の丸がずっと右肩下がりです。日本は、出願規模がここ数年ずっと減っていますが、全体的には平均相対価値が上がっていて、グラフの緑色の丸がやや左上に遷移しています。中国は、出願規模が非常に増大していることが分かります。[スライド25]

平均相対価値を技術的価値と市場的価値に分けて分析すると、米国は技術的価値がずっと下がっていますが、市場的価値は上がっています。つまり、平均相対価値の下落の大きな要因は、技術的価値の低下と考えられます。だからといって、米国のイノベーション力が落ちていると考える人はいないでしょう。[スライド26]

この技術的価値は被引用の回数が増えれば増えるほど上がる指標ですので、例えば米国においてライバル企業との合併が進んだり、レッドオーシャンから撤退してブルーオーシャンでビジネスする戦略を取ったりすることで被引用数が減る可能性がありますので、そういったことも要因かと考えられますが、特許庁でも現在分析中です。

また、平均相対価値を10段階で分けてその分布を見てみると、日本は高いところにも低いところにもピークがありますが、中国は出願が多いこともあっておおむね正規分布です。米国はどちらかというと平均相対価値が高いところに分布しています。こちらも原因は分析中ですが、産業構造の違いが影響を与えているのではないかとも考えられています。[スライド27]

特許データの活用例―GPIFによる分析への応用

2つ目に、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による技術価値や証券価値の分析への応用です。GPIFと特許というと意外な関係に思われるかもしれませんが、GPIFでは米金融会社のMSCIが提供するClimate Value-at-Risk(CVaR)という指標を用いて、GPIFが持つ証券価値への影響を分析しています。[スライド30]

CVaRには、気候変動政策リスク、低炭素技術機会、物理的リスクおよび機会という大きく3つの要素があり、それらに基づく分析結果を合計したものが総合CVaRという指標です。この中で低炭素技術機会による影響を分析するに当たり、「特許スコア」が使われています。その算出方法は、先ほどのPatentSight社のものと考え方が非常に近く、特許文献が引用されている度合いを見て、引用頻度が高いほど重要な特許であるという特許前方引用などを使っています。[スライド30-31]

特許スコアを国別に見ると、日本のスコア値が最も高く、2番目が韓国、3番目がドイツです。気候変動関連技術の蓄積が日本で大いに行われ、重要な特許も日本がたくさん持っていることを表しています。中でも、日本の特許スコアを上昇させているのは、自動車関連の技術であることが分かっています。[スライド32]

GPIFの分析の面白いところは、低炭素技術的機会を分析することで、気候変動のシナリオ(3℃シナリオ、2℃シナリオ、1.5℃シナリオ)ごとにGPIFが持っている株価等にどういった影響を与えるかという分析をしている点です。日本の場合、気候変動関連技術の蓄積が非常にあるので、1.5℃シナリオという最も厳しい条件を取った方が株式の価値は上がるという分析がされています。[スライド33]

特許データの活用例―IPランドスケープを用いた経営・事業戦略

最後3つ目に、IPランドスケープを用いた経営戦略・事業戦略についてご紹介します。IPランドスケープという言葉を聞いたことがあると思いますが、若干言葉だけが先行している面もあります。特許庁では、IPランドスケープについて「経営戦略または事業戦略の立案に際し、経営・事業情報に知財情報を取り込んだ分析を行い、その結果(現状の俯瞰や将来の展望)を経営者や事業責任者と共有すること」と定義しています。この取り組みを行った結果、企業において意思決定が行われるというものになっています。[スライド35]

価値創造のメカニズムにおいて、「経営資源」「ビジネスモデル」「製品・サービス」に横たわる形で存在する「知財・無形資産」がどのような役割を果たしているのかを見ていくことがIPランドスケープの取り組みの大きな特徴であるとお考えください。無形資産はその名の通り、なかなか目に見えないものですので、それが他社との関係でどのように優位性があるのか、自社が強い位置にあるのか、弱い位置にあるのかを可視化するツールとして非常に有効ではないかと考えています。可視化の結果、R&Dや新規事業への参入、M&Aの判断にも活用できると考えています。[スライド35]

旭化成ではコロナ禍のもとで自社技術を活用した新ビジネスの可能性を探るべく、IPランドスケープを使って、参入市場やどこの企業と提携していくかを検討されました。最初のステップとして、テキストマイニングの技術を使って、ある技術分野αにおける競合企業を俯瞰し、旭化成として参入してみたいと思っていた用途に競合企業がほとんど参入していないことを確認した上で、その分野に参入しようと考えました。[スライド36]

そのときに、旭化成が持っている技術βだけで参入できるかというとそうではなくて、その市場に参入するためには自社の技術βと組み合わせる技術γが必要であることが分かったそうです。ただ、これは自社にないので、どこから調達するのかを考えるため、次のステップとして、先ほどご紹介したPatentSight社のデータ分析ツールを使ったようです。[スライド36]

その結果、2社が技術的価値の高いγ技術を持っていることが分かったので、この2社を提携候補企業として抽出したという流れになっています。特許情報を用いて自社の強み・弱みを分析し、参入市場を特定し、誰と組むのかという一連のストーリーを作っていることが大きな特徴です。[スライド36]

特許情報の活用可能性

昨今、無形資産の企業価値に占める割合が増える中、無形資産投資の割合も増えています。その中で、2021年6月にコーポレートガバナンス・コードが改訂され、知財への投資についても積極的に情報開示・提供していくべきだ、さらには取締役会において知財への投資をしっかりと監督すべきだとする補充原則が追加されました。無形資産の重要性がコーポレートガバナンス・コードにも反映された結果ではないかと考えます。[スライド38-39]

このように特許情報が活用できるようになった背景には、機械処理可能なデータが豊富になったこともあるでしょう。特許情報を活用することでイノベーションの促進や企業価値の向上に役立てられるのではないかと考えられます。一方で、解析結果だけを鵜呑みにするのではなく、どういった解析手法が取られたのかを確認することが必要ではないかと考えています。特許庁では引き続き、有用な特許情報や解析の手法、解析の結果を提供していきたいと考えています。[スライド40]

質疑応答

Q:

日本はEV分野が立ち後れているように思いますが、それはEVが市場に出ていないだけで、特許は日本がよく押さえているという理解でよいのでしょうか。

A:

EVの技術動向に関する最近の情報が手元にないので断定的なことは申し上げられませんが、日本は技術蓄積と市場参入の度合いに大きな差があることがあり、この分野では日本には比較的技術的蓄積はあるのではないかと考えています。

Q:

企業の知的財産の価値は、実際にバランスシートに記載されている場合があるのでしょうか。

A:

大部分の企業は、統合報告書のような企業情報の開示媒体で特許出願件数や登録件数だけを掲載しており、特許価値という観点から定量的な情報を開示している企業はなかなかないのが現状です。現状ではこういったものをバランスシートなどに掲載されている企業はほとんどないのではないでしょうか。

Q:

S&P500社の企業価値の9割が無形資産というデータが出ていますが、これはGAFAMのようなIT企業のシェアが大きいからでしょうか。

A:

GAFAMのように無形資産を積極的に活用している企業が米国に多いのは事実だと思いますし、米国ならではの傾向だと思っています。

Q:

資金的余裕がない場合、スタートアップも含めてIPランドスケープを自社で行うのは無理ではないでしょうか。

A:

本当にコアな技術を1つだけ持っているスタートアップのような場合、ライバル企業は大体分かるでしょうし、技術も特定されていますから、特許庁から無料で提供しているJ-PlatPatのようなものを使って分析ができると思います。IPランドスケープの実践に当たり、大規模な特許情報の解析が必要なわけではありません。

Q:

J-PlatPatは特許データをダウンロードできることになっていますが、今回の分析でも利用されていた被引用件数などのデータも出せれば、特許技術の価値評価の利用は普及するのではないでしょうか。

A:

特許庁が提供している特許情報標準データを使うと、引用件数などが把握できるのではないかと思います。ただそれは、J-PlatPatのような簡便なユーザーインターフェースで使える形では提供していませんので、ご指摘いただいた事項は内部で検討したいと思います。

Q:

特許情報を活用した分析結果が連日報道されているというお話がありましたが、背景としてどういったことがあったのでしょうか。

A:

特許情報を活用するためのインフラが整ってきたことと、分析する必要性が生じてきたことが背景としてあるのではないでしょうか。インフラ面に関しては、機械読み取りが可能なデータが蓄積されてきたことが大きいと思いますし、人工知能が近年非常に発達したことも大きな要因でしょう。分析の必要性に関しては、企業価値に占める無形資産の割合が増え、無形資産の見える化のニーズが高まっているという背景もあり、特許情報を活用した分析が取り上げられるようになっているのではないかと思います。

Q:

基本特許という概念で見た場合、主要国の相対的地位はどのように変わっているでしょうか。

A:

中国の出願が増えているのは間違いない事実であり、中国が技術的に力を持ってきているのは確かだと思います。一方で、中国籍の出願人はまだ海外に権利を取得する行動を取っていないので、仮に基本は押さえていたとしても、それを海外で権利行使できる状況になっているわけではないと思っています。今後、中国籍の出願人がどういった行動を取るかによって、基本的な技術の押さえられ方の傾向は変わってくるでしょう。本日ご紹介した環境関連技術については、日本企業には基礎的技術も含めた蓄積があると思っていますが、分野ごとに中国の動向を見ていく必要があると考えています。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。