オープン・イノベーション時代の技術戦略

開催日 2008年12月12日
スピーカー 長谷川 克也 (早稲田大学戦略マネジメント研究所教授)
モデレータ 尾崎 雅彦 (RIETI上席研究員(併)研究コーディネーター)
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議事録

米国におけるイノベーションの担い手の変遷

長谷川 克也写真オープン・イノベーションとは「会社」の枠を越えて行うイノベーションで、オープン・ソース、いわゆるLinuxを使ったイノベーションや、オープンな製品アーキテクチャに関連するイノベーションもそこには含まれます。

そもそも、イノベーションとは、企業に属さない個人が研究開発を行い、その成果を大企業に売るというのが一般的な道筋でした。それが1800年代後期から1900年代前期にかけての米国での話です。その後、1930~40年代にかけて、大企業のサラリーマンがイノベーションを担うようになり、1950~60年代はリニア・モデル(研究開発の自前主義)の全盛期となりました。ところが大企業自前の研究開発は1980年代に急速に衰退し、ベンチャーと大学が大企業に代わりイノベーションの担い手となるようになりました。

こうした変化には、1つに、1970~80年代にかけて株主の力が大きくなり、上場企業での長期的研究開発が難しくなったという背景があります。株価は分・秒単位で変動するのに対し、研究開発の成果は数十年かけて出るものであり、両者の時間軸は完全に異なります。そうなると、四半期ごとに収益を追及される経営者にとっては、数十年後に成果の出る研究開発に投資をしても、来年クビになれば意味がなくなる訳で、中長期の研究開発は難しくなります。これを補う存在として成長してきたのがベンチャーであり、米国の場合、国全体としては、リニア・モデルの衰退によりイノベーション力はむしろ強まりました。

1980年代以降米国で起きた大学・ベンチャー中心の新規産業創出モデルは、基礎研究を大学・公的機関が担い、その成果を産学連携でベンチャーが受け入れ、ベンチャーが生み出した技術開発の成果を大企業が取り入れ、ビジネスにつなげるというものです。まさにオープン・イノベーションの動きといえます。

実際、米国では、大企業(2万5000人以上)の研究開発資金は1980年代から大きくは増えていませんが、500人以下の企業の場合、過去20年で一桁増えています。

自前の研究開発が減った大企業は外から技術開発の成果を取り入れます。その一番わかりやすい形が、1990年代頃から活発になったベンチャー買収です。

リスク・マネーについては、リニア・モデルの時代には、株式市場で調達した資金の一部を上場企業が自前の研究開発に投資し、その成果を産業化するという道筋がメインでしたが、1980年代以降、これに加え、一般個人のお金が年金基金や投資信託を通して株式市場に流れ込むという資金の新たな流れが生まれました。ただしこれらはリスクが取りにくい資金であるため、株式市場からリスク・マネーを調達するという機能は弱まり、それに代わるリスク・マネーの経路としてベンチャーが生まれました。このようにして、ベンチャーのイノベーションを上場企業が利用して大きな産業とする流れができあがりました。

米国の大学は民間資金で応用研究を行い産学連携していると日本では捉えられがちですが、実際は、過去50年一貫して米国の大学の研究費の大部分は公的資金となっており、民間資金が占める割合はごく数パーセントにすぎません。

シリコンバレーのエコシステム

ここでいうエコシステムとは、ベンチャーを周囲で支える人々のネットワークを指します。起ち上げ当初のベンチャーには数人の社員しかいないかもしれませんが、その周囲には投資家や弁護士など多くの人々が存在します。彼らは社員ではありませんが、パートタイムで時間を割いたり、お金をコミットしたりすることで、ベンチャー事業が軌道に乗るようサポートしている、という意味ではベンチャーの一員として理解できます。こうした人々が網の目状のネットワークでつながっているのがシリコンバレーのエコシステムであり、そこでの共同体(コミュニティ)の本質・特徴となっています。

このエコシステムには、大企業の新規プロジェクトと似たところがあります。たとえば大企業で2~3人のエンジニアを中心に新規プロジェクトを起ち上げるとします。プロジェクトを円滑に進めるには、人事部や法務部、事業部長や研究所長のサポートが必要となります。その意味では、彼らもプロジェクトの一員です。シリコンバレーのエコシステムと大企業の新規プロジェクトで異なるのは、後者が会社という枠の中でのシステムであるのに対し、前者が会社という枠の外でできたシステムとなっている点です。しかし、専門能力を持つ多人数が事業を遂行する少人数をサポートするという構造は両者で大きく似ています。

このようにシリコンバレーを1つの大きな会社(SV(株))に喩えるならば、ベンチャーは「開発プロジェクト」、大企業は「事業部」に該当します。CISCOは6カ月で技術を自前開発できなければ、その技術を持つ会社を買収するA&D(Acquisition & Development)戦略を展開していますが、これは「開発プロジェクト」から「事業部」への技術引継と位置付けられます。

大学はSV(株)の「研究所」です。研究所では基礎研究が中心に行われますが、同時に、イノベーションの「場」の提供者としての役割も担います。たとえば、シリコンバレーの大学には、基礎研究をする一方でビジネスをする教員が多くいます。また、起業家と技術者、ベンチャー・キャピタリストが出会う場や、異分野の技術が出会う場を提供するのも大学です。

日本の現状

1945年から高度成長期にかけての日本は、基礎技術を海外から外部調達し、自前で実用化開発することで経済成長を遂げてきました。見方によっては、これこそがオープン・イノベーションだともいえます。

ところが当時はオープン・イノベーションという考え方がなく、基礎技術がなければイノベーションは起きない、ましてやビジネスとして金儲けができる筈はないとしたリニア・モデルの全盛期であったため、日本は技術にタダ乗りしているという批判が生まれました。日本企業自身、リニア・モデルが正しいと信じていたので、1970~80年代、米国で自前主義が衰退する時期に、日本では基礎研究ブームが起きていました。

基礎研究ブームはその後、下火になり、1990~2000年代にかけて、日本でも産学連携がブームとなりました。その背景には、開発費の増大、デジタル化、モジュラー化があり、米国的な株主主権主義の台頭があります。そうした中で、ベンチャーを育成する体制や産業政策が推進されているというのが日本の現状だと思います。

ただ、やはり日本の場合は大企業が中心という見方が根強いようです。確かに、基礎研究部分を大学に期待し、成果を産学連携で取り込む、というところまでは米国のモデルと同じですが、成果を取り込むのはベンチャーではなく、既存企業の開発部門というケースが日本ではまだ主流です。実際、経済協力開発機構(OECD)が実施した、ベンチャー・キャピタル投資の対GDP比国際比較では、日本の投資額は最も少ないことが明らかとなりました。

リニア・モデルの時代、日本の上場企業は銀行からの間接金融で資金を調達し、その一部をリスク・マネーとして自前の研究開発に回していました。しかしその後の市場経済化の変化の中で、資金は株式市場から調達されるようになりました。そうした中、リスク・マネーの流れだけを変化させないのは可能なのでしょうか。私は難しいと思います。日本もやはり、ベンチャーに何らかの形でリスク・マネーを供給し、外で起きたイノベーションを上場企業が取り込むようにする必要があるでしょう。

オープン・イノベーション時代の技術戦略

何万人もの従業員を抱える大企業は自分たちの世界に閉じこもりがちですが、それではオープン・イノベーションは起きません。まずは世界を外に開いてイノベーションを起こすという意識の改革が必要でしょう。また、「ベンチャー=下請け」という意識を無くし、高度な技術が自分たちの外に存在することを認識する必要もあります。

自前主義は技術の保有・管理を前提としています。一方、オープン・イノベーションで技術の価値を享受するのは、最も優れたモノを最も早くに市場に出すことができた者であり、技術を保有するだけでは価値は生まれません。もちろん、特許などの関係から保有という要素を完全に無視することはできませんが、それでも、技術の保有から価値が生まれるのか、活用から価値が生まれるのか、基本的な考えは整理する必要があります。

R&D(Research&Development)も再定義されるべきです。R&Dといえば、とかく内部で実施するという感覚が強いですが、実際には外部で実施するものもあります。場合によっては外部のR&Dが内部のR&Dよりも重要になることがあると認識すべきでしょう。

まとめ

米国では、イノベーションの担い手が大企業から、ベンチャーや大学へと変化しています。これはシリコンバレーという一部の地域だけで起きていることではなく、市場経済の大きな流れの中で起きている本質的な変化です。大学は、イノベーションの種を生むとともに、それを何らかの形でビジネスへと成長させる「場」を提供する機能も果たします。実際のイノベーションを担うのはベンチャーが中心になりますが、もちろん、イノベーションはベンチャーだけで産業化できるわけではなく、産業化には大企業のインフラも必要です。この部分でベンチャーと大企業とがうまく役割分担できるかどうかが成功のカギとなるのでしょう。

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質疑応答

Q:

日本には開発連携の相手となる中小企業があるにも関わらず、日本の大企業はそうした国内の中小企業にあまり注目していないようです。また、そうした中小企業は独立志向なので、買収されることや上場、投資の受け入れにすら消極的です。大企業が開発のニーズ情報を公開したがらない点にも問題があります。これらについてどうお考えですか。

A:

日本の大企業には確かに、米国のベンチャー企業には目を向けるが、国内の中小企業にはあまり注目しない傾向があると思います。この点で大企業の側に意識の変化が必要です。もちろん、米国のベンチャーの中にも独立志向が強く、ベンチャー・キャピタルを受け入れない中小企業で、優れた技術を持っているところは多くあります。オープン・イノベーションにはそうした中小企業とのつきあいも含まれています。

Q:

中小企業の技術が製品という形をとる場合、技術自身に魅力があっても供給の安定性に不安を感じる大企業はあります。この問題に対する解決策があれば教えてください。

A:

ご指摘の通り、セカンド・ソースが無ければ恐くて使えないという意識が日本の大企業には強くあると思います。しかしシリコンバレーの、あるいは米国の大企業はリスクのあるものでも、新しく良いものであれば果敢に買っています。ただ、米国の場合は公的機関がベンチャーから積極的に買い、民間企業がそれに倣っているという側面もあると思います。この部分はある程度人為的に誘導できるのではないでしょうか。

Q:

米国で多くの人が大企業を出て、ベンチャーの担い手となる背景には何があるのでしょうか。

A:

シリコンバレーでは、大企業はSV(株)という大きな会社の一部門でしかないという意識が基本となっています。ですから、外に出てベンチャーを起ち上げるというのは、大企業の内部で事業部から開発部に移るのと同じ感覚です。

もちろん最初からそうした風土ができあがっていた訳ではありません。たとえば過去にIBMが大量に人員削減をして、多くのエンジニアが解雇されたことがありました。その際、エンジニアの頭の中にあったのは、「どうせ外に出るのなら自分の技術を持って何かをしよう」という思いだったのでしょう。その意味では、日本でもあと2~3回、景気の波が来て、企業が大規模な人員削減を余儀なくされるようになれば、昔のIBMの例のように、本当に技術を持ったベンチャーが起ち上がることは可能だと思います。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。