コミュニティとアントレプレナーシップ~シリコンバレーに学ぶもう一つの視点~

開催日 2002年7月2日
スピーカー 田辺 英二 ((株)エー・イー・ティー・ジャパン社長)
モデレータ 安藤 晴彦 (RIETI客員研究員/内閣府企画官(経済財政運営総括))
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議事録

本日はコミュニティとアントレプレナーシップと題しまして、技術屋が見たシリコンバレー、日本に関する視点をお話したいと思います。 第一部のパート1ではシリコンバレーの技術と歴史。パート2ではシリコンバレーで起業をした私自身の経歴。パート3でコミュニティと大学についてお話いたします。第二部では時代の変化と日本の技術力、大学とベンチャー、そして最後にまとめと提言をさせていただきます。今日は皆様のご意見を是非伺いたいと思っています。

第一部
パート1 シリコンバレーの技術と歴史
シリコンバレーとは

シリコンバレーの地図をご覧ください。サンタクララ郡は小高い丘に囲まれていますが、エンジニア達はみなその丘を眺めながら、「いつかは成功してあそこの高級住宅街に住みたい」という気にさせられるのです。それが目に見える目標になっています。実際成功を収めた人々はロスアルトスヒルの中腹に居を構えます。シリコンバレーの歴史と人口を簡単に説明します。1849年に「ゴールドラッシュ」が起こりました。アメリカンフットボールのチーム「49ners」の名はこのゴールドラッシュの年に由来しています。1891年にスタンフォード大学が開校しましたが、長い間地方の1大学に過ぎず東部の名門大学には相手にもされませんでした。シリコンバレーは、今では人口も200万人を超えていますが、1960年代は未だ100万人にも至っていませんでした。人口はこの20年で急激に増加しましたが、200万人の都市というのはまだ小規模な都市です。

起業家精神(アントレプレナーシップ)を良く表した、金鉱を求めてやって来た人々の写真がここにありますのでご紹介します。“Entrepreneurs who assume the risk in a venture in expectation of gaining the profit"です。

1938年にヒューレット、パッカード両氏はフレデリック・ターマン スタンフォード大教授から538ドルをもらい、電子計測器メーカーを起業しました。両氏はともにスタンフォード大学の学生でしたが、在学中はパッカードの方が成績が良く、成績のあまり良くなかったヒューレットの方がフィードバック発振器を発明してHPビジネスが始まります。

1940年代初頭、ドイツのUボートが活躍していました。米国は探知用レーダーを開発しており、これが真空管、マイクロ波管、電磁波工学の発達に役立ちました。1950年代にはスタンフォード工業団地構想に乗って、バリアン、ロッキードなどが国防関連分野に進出していました。1948年当時、ターマンもパッカードもバリアン社の役員を務めており、当時としては電子工学の分野で画期的な技術を誇っていました。 1968年にはフェアチャイルド社からロバート・ノイス、ゴードン・ムーア氏が退社し、インテル社を設立しました。

1966年にエネルギー省がスタンフォード大学に線形加速器センター(SLAC)を設立しました。このような加速器は今では日本にも何台かありますが、私は1970年代にSLACとバリアン社に勤め、優れた技術を持っている人に出会う事が出来、その技術を学べたことは本当に幸運でした。1977年に、スティーブ・ジョブスとスティーブ・ウォズニアックがアップルコンピュータを設立し、APPLE I が発売されましたが、初めはコンピュータオタクの趣味の領域でした。

話が飛びますが、半導体の有名な科学者であり、インテル社CEOのアンディ・グローブは5年以上前に前立腺がんと診断されました。彼は医者に申し渡された治療法(外科手術)に疑問を持ち、自分なりの最適な治療を自分で調べ、考え、アイソトープ放射線治療を受けました。医者でなく自分の判断に従ったところは、さすがに一流の科学者です(彼は最先端の放射線治療を自ら選び、そして回復しました。日本では、残念ながら、最新の放射線技術を使いこなせる人材は少ないのが現状です)。彼は今でも元気にしています。

シリコンバレーの特徴と魅力

次に、シリコンバレーの特徴と魅力についてお話します。まとめれば、次の6点になります。1)快適な気候と生活環境、2) エレクトロニクス技術の歴史、3) 情報と人材の自由な動き、4) 大学との連携、5) 幅広い技術と生産のアウトソーシング、6) ベンチャーキャピタルとエンジェル。なんといっても最初に挙げた「快適な気候と生活環境」は人を惹きつける重要な要素であります。

2000年に、いわゆるドットコム・ビジネス(ウェブを活用したニュービジネス)がクラッシュし、今、“Silicon Valley Reboots" といわれていますが、シリコンバレーのオフィスでも空部屋が多い状況です。テクノロジーの「基本に戻る」、という姿勢が見直されています。

シリコンバレーの生産性ですが、労働者1人あたりの付加価値で見ますと、2000年には12万ドルを越え、米国全体の8万ドルを大きく上回っており、非常に高い生産高を保っています。また、シリコンバレーの人口の40%近くが外国人で、特に多いのは中国系とインド系です。よくジョークで、「IC」とはインドと中国の略だなどといわれています。人種別人口構成比を見ますと、全体に占める白人の割合が年々低下し、アジア系、ヒスパニック系が増加し、アフリカ系は横ばいという状況です。

雇用コストですが、普通のエンジニアを雇うのにも年収1000万円ではなかなか雇えません。レベルの高いのエンジニアを雇うのは1500万円以上かかります。しかし、銀行の窓口係などのような一般職種の給料は安く、300万円くらいで十分雇えます。技術や経験が評価される社会です。

白人、アジア系、ヒスパニック系をさまざまなフィールドで比較した面白い統計があります。たとえば投票行動を見ますと、96年に「投票した」と答えた白人は90%、アジア系は61%、ヒスパニックは65%と、興味深い結果でした。その他にも1日のうちでテレビを観る時間では白人、アジア系がともに2.5時間、ヒスパニックが3.7時間でした。シリコンバレーはコミュニティに対する関与の率が全米平均に比べて低いといわれていますが、それでも日本と比較するとコミュニティに対する意識は相当高いと思われます。

シリコンバレーにおけるベンチャーキャピタルの投資額を見てみますと、2000年までは指数関数的に増加していましたが、2001年は2000年の4分の1に下がってしまいました。ベンチャーキャピタリストの資金が少なくなり、そのマンパワーも減っています。現在、ベンチャーキャピタルから資金を得るのは非常に難しくなってしまいました。

シリコンバレーでの技術の進化のスピードは速く、たとえばインテル社は、マイクロプロセッサーは2010年段階のビジネスの中心とは最早考えておらず、次の分野に進もうとしているようです。変革があまりに速いから「昔とった杵柄」は通用せず、昔の技術にいつまでも固執しているととり残されてしまいます。バイオ・インフォマティクスやナノテクが、製造業、マネジメントの分野で活用され始めるでしょう。

パート2 シリコンバレーでの起業
日米の起業事情

少し私自身のことをお話させていただきます。1986年にシリコンバレーのクーパティーノでAETアソシエート社を起業しました。以前は(シリコンバレーの中核企業の1つである)バリアン社に勤めていましたが、日本の両親や米国生まれの3人の子供など家族の事情もあり、日本に帰ろうと思ったのです。バリアン社の上司に相談したら、ちょうどバリアン社も日本に進出する事を考えていたので、私もバリアン日本支社の立ち上げを手伝いましたが、バリアン社でも私の起業を手伝ってくれました。スピンオフをした元の会社と良い関係を保てるのはシリコンバレーの良い特徴の1つです。退社後も10年くらいはコンサルタントとして良い関係を続けていました。AETとはAdvanced Electronics Technologyの略です。電磁波技術(EMウェーブテクノロジー)を中心にハードウェアとソフトウェアの開発・販売を行っており、たとえば、携帯電話から発せられる電磁波影響度の計算などが行えるソフトウェアを扱っていますが、電気の基礎となる技術を応用してビジネスをワールドワイドに展開しています。Semiconductor Research Cooperationが発表した「技術者が知るべき10の問題」にも挙げられていますが、「基礎の学問と技術」は非常に大切です。(日本ではこれがちょっとおろそかになっている気がします)。

シリコンバレーにいる日本人はあまり多くありません(駐在員とか語学留学生は居ますが、地域の中での存在感はありません)。また、起業する日本人も少ないです。1万人以上いたバリアン社には、私を含めて日本人は2人しかいませんでした。実は、日本人にとってもハイテクベンチャーを起業するなら、シリコンバレーは最高の場所だと思います。日本でベンチャーを起業しようとすると銀行に相談しに行かなければなりませんが、その時は資本金を真っ先に聞かれます。シリコンバレーでは、企業の資本のサイズはさして大きな問題ではありません。企業のビジネスの中身の方が重視されます。(会社を設立するのに)3000ドル程度は事務処理費用として必要かもしれませんが、簡単に会社が創れます。周囲のインフラも良くできています。ところが日本ではこれが大変です。たとえば、日本では、開発した技術を売りに行こうと思うと、中小の会社では、「会社の規模」がネックになります。米国では資本金を聞かれたことはありません。日本ではまず「カタログを見せろ」、「資本金はいくらか」、と続き、最後がやっと製品に関する質問です。しかも新製品に関しては、どこかに売った実績があるのかという冗談のような質問が出てきます。次にシリコンバレーでのベンチャー立ち上げでの成功のために必要な3点を挙げます。まず、日本企業に依存しながら独立するのではなく、完全な「独立組織」としてベンチャーを立ち上げるのが良い方法だと思います。2点目に、「弁護士」の力が挙げられます。「弁護士が大勢いるからアメリカの生産性が上がらない」とまでいわれるほど、あらゆる分野で訴訟があるので、とにかく良い弁護士を見つけることは必須です。そして3番目に「英語力」です。いくら技術で勝負といっても、セールスやマーケティング活動にはやはり英語力は必要です。

パート3 コミュニティと大学
労働力を生み出す大学

コミュニティと大学についてお話します。日本では国立大学、公立大学、私立大学、すべて文部科学省が指示を出しています。欧米では歴史的に見ても「自分達のため」という発想で大学が設立されています。米国ではコミュニティ、財団、州政府が、それぞれコミュニティ・カレッジ、私立大学、州立大学を運営しています。国立大学は全くありません(合衆国憲法で決められているそうです)。もちろん政府からの援助はありますが、政府からの資金は、直接、個別の研究プロジェクトに対して入ります。ですから研究者は自分の研究資金を獲得するのに必死で頑張ります。日本ではお金のフローがトップダウンで決められています。

シリコンバレーには、スタンフォード大学、カリフォルニア大学バークレー校、同サンフランシスコ校、サンタ・クララ大学、サンノゼ州立大学などの4年制大学があり、いわゆるエンジニアを創出しています。一方、デ・アンザ、フットヒル、ウェスト・ヴァリー、ミッション、サンノゼ・シティ、エヴァーグリーン・ヴァリーなどの2年制カレッジはテクニシャン(ノンエクゼンプトワ-カー)を創出しています。デ・アンザは全米トップ20に入るカレッジです。このような学校が多様な労働力を生み出しています。また、学生だけでなく、社会人が大学やカレッジに戻って勉強し、もっとレベルの高い技術や経営知識を学んでおり、更に上を目指す「良い循環」が生まれています。米国は非常にフラットな身分制度だと思われていますが、4年制大学卒業と2年制カレッジ卒業では仕事をして行く上であきらかに大きな差が存在します。

コミュニティとトレーニング

コミュニティとトレーニングに関してですが、まず、エクステンション・スクールがありまして、ここから毎週のように会社や家庭にさまざまな先端技術を学ぶコースの案内が送られてきます。大学がトレーニングをサイドビジネスとしてやっています。カリフォルニア大学だけでなく、サンタ・クララ大学、サンノゼ州立大学もやっていて、1コースあたり900~1000ドルで授業が行われています。このような費用を企業が負担してくれるケースもあります。一方、コーポラティブ・プログラムでは、単位を履修すると修士号が取得できる場合もあります。さらに、大学がコーポラティブ・プログラムに参加すると、3カ月から6カ月間程度、大学の学生が企業に来てトレーニングできるシステムもあり、企業でもメリットになっています。こうしたものは、是非、日本でも取り入れて欲しいと思います。また、NPOのトレーニングの活動に自分の時間を寄付する形で参加するエンジニアも多くいます。サマースクールや、ディスタンス・ラーニング(ITを使った遠隔教育)などもあります(有名ベンチャー企業の経営者が教えに来たり、逆に、自ら異分野について学んでいることもあります)。

質疑応答

質問者A:

エンジニアとテクニシャンの教育はどういう関係になっていますか。

田辺:

カレッジ卒業レベルの人が工場の現場に配属されるテクニシャンであり、彼らが、就職後に受けるのはエクステンション・スクールです。ここでも単位が取得でき、意欲があれば4年制大学に進学する時に単位を持っていけます。コーポラティブ・プログラムで単位を取る時、多くの場合は大学院レベル(修士)の場合です。大学が企業に学生を送り込むインターンシップ制度もあります。企業からすると短期のテクニシャンを雇うのと変わりはなく、また、将来の人材確保にもつながり大きなメリットがあります。

安藤:

テクニシャンが上のレベルを目指して勉強でき、エンジニアの人もさらに上を目指して大学院で学べるので、向上しようという、良い動機につながる素晴らしい仕組みですね。日本も見習う点が多いと思います。インテル等もサポートしていますね。

田辺:

実は、インテル社等のエンジニアが、そのようなコースをスタンフォード大学などの授業で教えるのです。最先端技術は、多くの場合アメリカでも企業の中にあります。そうした技術が、伝播してきて実際に大学に来て授業に反映され始めるのに、たいてい3~5年のタイムラグがあるといわれています。ですから、企業の人が教える技術が最先端です。これは非常に自然なことだと思いますし、私も半導体の授業は、ウエスティングハウスのエンジニアから受けたのが最初ですが、プラクティカルで非常に勉強になりました。

質問者B:

企業側の動機、メリットは何ですか?

田辺:

まず、エンジニア自身が「最先端を教えたい」と思っているということです。また、会社にとっては教えることにより学生と大学とのつながりができ、優秀な学生を会社に連れてこられるというのはメリットだと思います。
次に、大学の構造です。日本の大学の評価は、ゴーマンレポートによると、東大でも世界101位です。スタンフォード大学の歳入内訳を見ますと、授業料以外に政府や企業の援助、投資、寄付、パテントや技術ライセンスなどがかなりを占めます。
スタンフォード大学工学部ビジネス協会(BASES)という団体がありますが、学生が中心になって運営されており、学校はそれをサポートしているだけです。学生が自発的に運営するというのがアントレプレナーシップそのものであり、それを育んでいくのが大学の役目です。残念ながら日本ではそれが逆になっています。
ターマン博士が1940年代からいい始めている、“Steeples of Excellence"という考え方があります。良い大学となる条件は、まずどれだけ良い先生を揃えるかということです。これは、決して人数の問題ではなく、質が問題であり、トップレベルの先生を連れてくることが必要です。2人の「普通の先生」より、倍の給料を支払っても1人の優秀な先生を雇う方が良いという考え方です。この点教授の給料は誰でも同じという日本では考えさせられます。また、TLOですが、スタンフォード大学の場合、Office of Technology Licensing(OTL) と呼ばれており、収入は年間に4300万ドルにもなります。

第二部
時代の変化と日本の技術力

時代の変化と日本の技術力について、私の考えを述べたいと思います。
「ムーアの法則」(18カ月で半導体の集積度が倍になるとの法則)のグラフでは、横軸に時間、縦軸に対数で空間密度をとっています。1970年以降2000年まで、まさに右肩上がりに上昇してきた空間密度です。そろそろ上昇は底だろうという説もありましたが、最近のレポートでは、少なくとも2010年代までの空間密度はこのまま非線型に伸びる見通しです。コンピュータの動作周波数も向上し続ける見通しで、やはり非線型なカーブを示しており、今後、産業に大きな影響を与えることでしょう(グラフは対数目盛りで、直線的に伸びていますが、実数にすると、指数関数状の急激な変化となります。空間情報密度と動作周波数の相乗効果で、膨大な情報処理が短時間で可能になっています。それが継続的に急速に伸びつづけて行き、産業や社会の変革の原動力となります)。この時間に対する非線型効果は非常に大きく、社会にインパクトを与えて行きます。失われた10年はすぐに失われた30年になります。
日本のITの現状ですが、インフォメーション・ハイウェイの「基盤」は、脆弱といわざるを得ません。日本のほとんどの会社が、ITの関連の基礎技術を外国に頼り始めています。基礎技術の積重ねをしてこなかった影響が、ここになって現れてきています。応用技術は大切にしてきましたが、基礎技術をおろそかにしてきたツケが回ってきたのです。「日本の技術は世界的優位を保っている」という人がいますが、どのように優れているのか聞きたいと思います。また、最先端かどうかも非常に疑問ですし、マーケット化能力も大きな問題です。
企業の意識に基づく産業技術の水準動向を日米で比較しますと、本来日本が優位なはずだった通信・電子・計測、精密機械でもどんどん米国優位になっています。一概にはいえないかもしれませんが、日本の競争力は以前より大きく低下し、2001年には26位と評価されました(注:2002年は30位)。大学教育が競争経済のニーズに見合っているかどうかでは最下位の49位でした。
大学発ベンチャーや研究所発ベンチャーについてですが、大学がベンチャービジネス・ラボラトリーを作っても果たして機能するのでしょうか。ベンチャーをやったこともない人がベンチャーを教えるというのも疑問に思います。ベンチャーとは精神の働きそのものであり、教えられるものではありません。そのようなものは、生まれつきであるか、あるいは、家庭などの環境で決まってくるような気がします。また、日本では、あちらこちらにTLOが出来ていますが、ガイドラインもはっきりしていません。TLOとしてやるべきことはライセンスだけで良いのかも疑問です。日本の大学や研究所がやっている中身はある程度優れているかも知れませんが、「マーケティング」と「セールス」が完全に不在です。技術自体の話だけでは不十分で、マーケティングとセールスが不在では、ビジネスとして成り立ちません。「お金と学問は別」という考え方が日本にありますが、まずマーケットとセールスが先に念頭にあって、(売れるか売れないか分からないものに無闇に取り組むのではなく、明確なターゲットとイメージを持って)技術開発が行われるべきだと思います。

アントレプレナーシップとは精神である

「アントレプレナーシップ」とは精神そのものであって、大学生になった頃に教えてももう遅いというのが現状だと思います。これからの日本丸の将来ですが、特に、基礎教育をしっかりするべきです。実は、基礎の技術が最先端の技術開発の役に立つのです。たとえば、工学部電気・情報系では、基礎回路と電磁波工学の教育が欠けており、是非、見直さなければならないと思います(こうしたことが欠けているために、設計などで日本の競争力が発揮できていない部分が相当あります)。次に、戦略的に技術を考えることが必要ですし、税制などの制度変革も重要です。税金の制度が変われば日本でのオペレーションがやりやすくなるのですが、日米で税金の納め方がまったく違います。また、商法も問題です。最後に意識の問題ですが、日本国民全体の意識が変わらなければなりません。投票率も低いし、コミュニティへの参加意識も低いのです。

製造から創造へ

ものづくりに関しては確実に中国に抜かれてしまうでしょう。クオリティ・アシュアランス(品質保証)でも中国は最近ではしっかりしてきていますし、コスト的にも20分の1で作れる状況です。日本は今後賢いものづくり、即ち創造が必要です。
最後に、提言としてまとめたいと思います。
第一点目に、マーケットと技術の情報チャンネルについてです。大学教授や企業のトップが持っている情報は、最前線の情報かどうかとても疑問です。政府も同様です。おかしいと分かっていても、それを発言することによって生じる悪影響を考慮して敢えていわないのか、本当に分かっていないのか、どちらなのでしょうか。皆さんの御意見もお教えください。海外のカンファレンスや展示会にもっとトップの人々や大学の先生方が行くべきだと思います。自分達の技術も発表し、マーケット情報も取り入れることができるからです。
第二点目に、税制とエンジェルについて。エンジェル税制の存在があまり知られていませんし、私自身も使おうとしましたが使い勝手が良くありません。
明らかに、会社をスタートアップしたり、エンジェルとして活動するのに米国の税制が進んでいる気がしますが…。
第三点目に、日本の人材不足です。少子化で高齢化しており、アジアからの人材を増やすべく、もっとアジアに向いた政策が始まって欲しいと思います。たとえば、ベトナムのハノイ大学で最近セミナーをしましたが、非常に優秀な才能を持つ人がいました。ODAを使ってもっと優秀な人材を日本に連れてくる方法はないのかと考えています。
皆さん、21世紀の坂本竜馬になって、片手に刀ではなくコンピュータを持って、Let's Think Differentのコンセプトで改革を進めて行くのは如何でしょうか。突飛かもしれませんが、たとえば、国立大学も私立大学も含め、現行の大学システムをすべて無くし、国民が投資して大学を創るというのはどうでしょうか。日本人には1400兆円くらいのお金が貯蓄としてあるといいます。日本人は、日本を愛して、この国に今後も住み続けるつもりであるなら、日本の将来に投資するべきでしょう。

質疑応答

質問者C:

コミュニティとトレーニングに関して質問ですが、いつ頃から動き始めたシステムなのでしょうか?

田辺:

1940年頃から、大学と企業が協力し合うことは既にありました。少なくとも防衛や通信の領域では非常に良い循環が生まれていました。1970年代を過ぎると防衛産業は衰退しましたが、この当時からコミュニティ・カレッジは既にありました。コミュニティ・カレッジの情報は、一般市民に配布されていましたし、循環システムは非常に上手くいっていました。

質問者D:

主税局にいわせると、日本は法人税率も特に高いわけではないから、税制がベンチャーの障害ではない、ということでしょう。それ以外で仰った変革ができない理由にはほとんど賛成します。明治維新当時は1000人くらいの少人数でやっていたから上手くいったのかもしれません。エンジェル税制を安くすると日本は低所得層の税率を高くしなければならないのではないかと思います。日本のような格差のない社会でもそれはできるとお考えでしょうか。

田辺:

税金の制度の話ですが、日本では単年度税制で税金の問題を考えるのは大変です。個人の税金も企業の税金にしても、数年間単位で計画する方がやり易いのです。単年度の制度ではペーパーワークが増えてしまいます(企業が立ち上がって、最初は赤字ですが、次第に成長していきます。税制の面でも、起業を容易にして長い目で増収を考えないと、単年度の考え方では制約が多すぎるのでしょう)。欠損金の繰越もアメリカは10年なのに日本は5年が限度です。また、黒字の後に赤字となって還付してもらうのはアメリカでは出来ますが、日本では駄目です(日本でも法律上は可能ですが、還付してもらおうとすると、実際は非常に大変です。アメリカでは還付制ではなく、従って、利益があった年でも税金を払わなくて良いのです)。さらに、日本は税金の使い方が不透明な感じがします。米国の納税者は税金を納めても明確な感じですが、日本では裏があるようなしっくりしない思いがいたします。また、ベンチャー税制は、エンジェル税制にしても、とてもペーパーワークが多いのです。ペーパーワークの多さは、補助金でも同様です。一昨年、科学技術財団から2500万円の開発費を頂きました。また、同じ年、違うプロジェクトで米国エネルギー省(DOE)からも同じくらいの資金をもらいました。DOEの方は、途中のプロセスはまったく気にせず、最後の成果物だけを中身の分かる検査官が現場に来て見るだけで、実質をクリアすればOKが出ましたが、日本では、たとえば補助金の2500万円のうち3分の1程度は、ペーパーワークに費やす作業で実質的には消えてしまった気がします(日米の差を実際に体験すると、日本の仕組みはどこかもったいないというか、おかしいと思います)。

質問者D:

日本では税金を払っている会社は全体の3分の1といわれています。まったく税金を支払っていない人が引き続きいます。課税ベースを変えないままでは難しいと思います。

田辺:

国が儲かっていないから税収が上がらないのではないでしょうか。

質問者D:

何しろ日本では課税最低限が非常に低いのです。日本では税金を払わない層が米国では税を納めています。

質問者E:

補足ですが、日本でも欠損金の繰戻制度はあり、完全な単年度税制ではありません。とはいえ、日本の税制には欠点があるともいわれています。

安藤:

ベンチャー経営者やクロスボーダーのM&Aを扱っているプロフェッショナルからの聞取りでは、税制面は、透明性とスピード感が重要であり、問題だという意見が多いです。たとえば、専門家のはずの税理士に聞いても「分からない、当局に聞かないといけない」ということ自体が外資にとってはリスクであり、特に、ベンチャーのようなところでは参入障壁になります。また、繰戻制度は事実上使えないという苦情も耳にします。時間ももったいないので話題を変えましょう。

質問者E:

アントレプレナーシップは「精神」ということですが、日本ではどうやって増やしていけば良いと思われますか?

田辺:

意識改革が必要です。国、マスコミも変わらなければなりません。教育の最も大切な基礎は幼児期にあると思います。それには母親が自身を磨き、育児に自信を持てる機会を与える事も大切だと考えます。たとえば、女性に対して助成金を出していくというのはどうでしょうか。意識を改革するためには国の制度を変え、一般のレベルも変わらなければならないと思います。これは最早一般国民の意識レベルの話であって政府や大学の問題ではないのです。

質問者F:

そういう「精神」の問題もあると思いますが、ベンチャー創業の阻害要因が多いのだと思います。たとえば、エンジニアは大企業に囲い込まれていて、ベンチャーをしようとしても銀行と相談しなければならない、などです。シリコンバレーには遅れていますが、ようやく日本でも動き始めていると思います。

質問者G:

(自分もシリコンバレーで創業しましたが)マーケットと情報のチャンネルについては、結論からいうと、日本では残念ながらありません。1990年代、米国のベル研究所などが基礎研究を打ち切った時期がありました。論文は減りましたが、特許申請数は増えました。ベル研の人は、大学やその他の研究所に移っていったのです。日本では論文と特許が両方減っています。米国では人的資源は減っていませんが、日本ではエンジニアが(本来の能力を発揮し難い)営業に廻るなど、人的資源を有効活用していない状況があります。日本では個人がどんどん死に絶えています。マーケットと技術といった場合、ラーメンチェーンや安売業しか既存マーケットがありません。ただ、日本のハイテク関連企業がずいぶん潰れそうで、人材が流出するのではないかといわれています。

質問者H:

3月までシリコンバレーに行っていました。彼らは国や制度にまったく関心がないということに驚きました。ワシントンとかけ離れた世界で、「政策、国の動きがどうであれ、俺たちはこのビジネスをやる」というのが「アントレプレナーシップ」かと思いました。日本と米国では、ベンチャーキャピタルという同じ名前を使っていても、まったく違う性質のものではないかと思いました。創業初期の段階でファイナンシングするのか、株式市場に出る直前の段階でファイナンシングするのかでビジネスのやり方がまったく違ってきます。大企業に人材がすべて取り込まれて、人材のアロケーション(再配置)の問題があるのでしょうが、お互いに絡み合った問題だと思います。3年くらい前、日本企業の研究所から随分スピンアウトしていました。大きな動きになるのではないかと思っていましたが、全体の景気の動きも影響して、今は非常に冷めてきているようです。大企業に囲い込まれていた人のスピンアウトが出されなければ、日本を変える大きな「うねり」にはならないのではないでしょうか。

田辺:

上から作るのではないというのはまさにそのとおりです。大企業からのスピンアウトですが、日本の企業で、優秀な「できる人」はポジションが上がっていき、本当にできる人は大企業に入ってしまうと出てこられないようになっています。安泰なポジションがあれば国家公務員のような感じになってしまいます。スピンアウトは、未だ、二流の人が出ているような気がします。スピンアウトする人の年代は50代、60代で、30代、40代で優秀な人はスピンアウトしないような気がします。日本の大企業の弊害もありますが、すべてベンチャーが変えているわけではありません。日本は大企業に依存する良い面も多いのですが、問題はスピードの遅さです。数カ月で製品の性質が変わっていくので、「今」変える必要があり、5カ年計画等はまったく意味がないと思います。

安藤:

産学連携、スピンオフでも近頃は良いプロジェクトも出てきています。今後のBBLでご紹介していきます。

この議事録はRIETI編集部の責任でまとめたものです。