ガバナンス・リーダーシップ考

Vol.2「なぜ貧困解消が世界にとって重要か?-南アジアの事例から(II)」

西水 美恵子
コンサルティングフェロー

戦略的リスクの正体

貧困が戦略的リスクになりうるという考え方は、必ずしも広く一般に受け入れられているものではない。しかし、南アジア諸国における内部紛争のほとんどは、貧しい人々の置かれた生活環境や政治状況にその根本的原因があると考えられる。

アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンは、最もよく知られた例であるが、パキスタンのマドラサ(イスラム神学校)における宗教教育とそのネットワークがその思想の根源となっている。授業料が無料であるばかりでなく部屋も食事も与えてくれるイスラム神学校は、パキスタンの辺境に暮らす貧しい人々にとって、息子に教育を受けさせるためにとりうる唯一の、そして、きわめて魅力的な選択肢である。こうした事情を熟知し、利用することによって、イスラム神学校は貧しい家庭から生徒を募った。集められた子供たちは、確かに教育を受けたが、同時に、アフガニスタンやパキスタンにイスラム原理主義国家を樹立し、その覇権を全世界に広めようという政治的野心を持つイスラム過激主義者による洗脳も受けたのである。

もう1つのよく知られた例として、スリランカのタミール・イーラム開放の虎(LTTE:通称「タミールの虎」)と呼ばれる反政府武装勢力がある。独立タミール国家の建設をめざして1970年代に結成されたタミールの虎は、急速に勢力を拡大し、スリランカの政府軍や政治的標的に対してゲリラ戦を展開している。茶農園で働くタミール人契約労働者を含め、スリランカ国内のタミール人は、少数民族として社会経済的に抑圧され、貧困に喘いでいる(スリランカの茶農園で働く労働者たちは、その出身地であるインドにもスリランカにも属さない無国籍状態に長らく置かれていた)。こうした状況がタミールの虎の活動を生み出す根源となっている。今日、タミールの虎の勢力基盤には、経済的差別や社会的差別を受けながら都会に暮らし、仕事につけずにいるタミール人の若者たちも含まれている。スリランカ政府はタミールの虎との和平交渉に乗り出しているものの、今のところ実りある結果は得られていない。1980年代初頭以降、統一スリランカをめざす政府と分離独立を求める少数民族のタミール人勢力の間で内戦が続き、これまでに6万人を超える人々が命を落とした。

スリランカの事例ほど知られていないが、同じような分離独立の動きがインドとネパールでも起きており、その動きは国境を越えて結びつこうとしている。特にネパールの事例は、絶え間なく続く悪い統治と変わらぬ貧困が引き金となって起こる分離独立への動きがいかに危険なものであるかを如実に示している。

インドの事例―連邦を崩壊させないために

インドが米国やカナダ、オーストラリアと同じように連邦国家で、各州が政治・財政面において強大な自治権を有しているということは、少なくとも日本においては、あまり知られていない。インドの人々が民族、言語、宗教においてきわめて多様であるという事実についても同様である。

インドにも分離独立主義者が存在し、独立主権国家(または妥協策として州としての地位)を求めている。現在繰り広げられている主な分離独立運動は以下のとおりである。

  • 北東インドにおける主な動きとしては、ナガランド州とアッサム州の独立運動がある。(インドの北東部は、アルナチャルプラデシュ、アッサム、ナガランド、マニプール、ミゾラム、メガラヤ、トリプラの7州から成るが、いずれもインドにおける最貧州に数えられ、多かれ少なかれ分離独立主義者の影響を受けている。これまでにインド政府との間に平和的解決が得られたのは、1986年のミゾラム州のミゾ民族戦線(Mizo National Front)との和平1件のみ)。
  • その他の地域、特にアンドラプラデシュ州とオリッサ州においては、低カースト層や土地を持たない貧困層の代弁者たらんとして、さまざまなマルクス主義的共産主義運動が活発に繰り広げられている。すべてが分離主義者というわけではないが、近年、一部の活動グループはゲリラ的な反乱勢力となっている。

ここに例示したような活動は決して新しいものではなく、中にはインドが英国から独立して以来ずっと続いているものもある。しかし、これまでと異なるのは、こうした武装組織が互いに連携し、より大きな大儀を掲げ、共通の「敵」であるインド連邦政府に立ち向かおうとしている点である。こうした連携の輪はインドの国境を越えて広がりつつある。

  • インド北東部における分離主義ゲリラ活動は、その繋がりは緩いものの統一戦線を形成し、最近ではネパールのマオイスト(毛沢東主義派)と積極的に連携する動きが見られる。
  • マルクス主義派のインド左派共産党もネパールのマオイストとの連携を宣言した。
  • 地下活動を行うインドのマオイストとネパールのマオイストが結託し、インド国内で最も貧しく、最悪の統治が行なわれているベンガル州北部に独立したグルカランド(グルカ人国家)を打ち立てるという共通の大儀を掲げて武装蜂起しているとの情報もある(この展開は、ネパール、ブータン、バングラディシュ、およびインドのシッキム、アッサム、ビハール各州に囲まれ、戦略上重要なこの地域に、反政府組織が勢力範囲を広げようとする動きととらえられている)。

インド連邦がこうした分離独立のリスクに晒されるのは、今に始まったことではない。インド建国の祖であるマハトマ・ガンディーとジャワハルラル・ネルーは、こうしたリスクを明確に認識していた。その努力は報われなかったものの、彼らは、インド独立に際して東西パキスタンの分裂(後にさらにバングラディシュとパキスタンに分裂)を回避しようと懸命に闘った。彼らはまた、民族言語の境界に沿って連邦内の州境を画定しないよう奮闘し、それなりの成果を得た。しかし、連邦の利益のために苦難の末に勝ち取ったこの成果は、年月の経過とともに風化した。インドの州の数は徐々に増加してきたが、さまざまな分離独立運動に対する政治的に懐柔するため州を分割せざるをえなかったというのがその大きな理由である。もちろん、インド連邦が分裂するリスクはきわめて小さい。しかし、リスクが小さくとどまっているのは、インドの歴代の指導者たちがそのリスクを明確に認識し、適切に管理してきたからこその結果である。

インドは長年にわたり、分離主義を封じ込めるための地域外交にも多大な投資を行なってきた。パキスタンとのカシミール問題が最も顕著な例であるが、これに限られるものではない。

  • インドは昨年、ブータンが「南アジア地域協力連合(SAARC)における協力のありかたを示す模範」であると宣言した(ブータンは、きわめて効率的かつ効果的な軍事作戦を展開し、アッサム統一解放戦線(ULFA)やその他の組織のテロリストキャンプを領土内から一掃した。これを受けて、インドのマンモハン・シン首相は、今年1月、軍事攻勢で自ら陣頭指揮をとったブータン国王を共和国憲法発布記念式典に主賓として招くという異例の待遇でその功績を称えた)。
  • インドは、バングラディシュやビルマに対してもブータンの例に倣うよう促している。
  • ビルマで、つい先ごろ、同様の掃討作戦が展開された。
  • 現政権が反インド感情を擁護する傾向にあるバングラディシュでさえも、ゆっくりとではあるが、テロ弾圧に向けた取り締まりを開始している。

破綻国家ネパールの事例

南アジアで最も貧しく世界の最貧国にも数えられるネパールについては、かねてより破綻国家となる危険性が指摘されていた。しかし、その見解はもはや時代遅れである。主権国家としてのネパールはすでに破綻し、世界がなぜ貧困解消に取り組まなければならないかを示す典型例となっている(「選択」2005年3月号参照)。

その指導者が誰であろうと、ネパール政府はもはや、国土のほとんどにおいて統治力を有していない。反政府武装組織マオイストは、1996年以降「ネパール国民過半数の声無き声」の代弁者として闘争を続けてきたが、今や、首都カトマンヅと一握りの地方拠点を除くネパール国土ほぼ全域をその影響下に置き、政府は事実上、支配権を失った。「声無き声」を発しているのは、自国民であるにもかかわらず無視されるか二流市民としてしか扱われてこなかった貧民や低カースト層の人々である。マオイストが掲げるところの目標は、支持者の権利と福祉を擁護することなのである。

今日では、カトマンヅさえもがマオイストに包囲され、ネパールは事実上、指導者不在の状態に陥っている。今なお憲法上の正当性を有するネパールの指導者たち、つまり、王族および選挙によって選出された政治指導者たちは、驚くべきことに、未だにこの事実を直視しようとせず、現実を認められずにいるようだ。政治指導者たちは、自らの権力の拠りどころとすべき国民の支持がもはや存在しないという事実に気付かないまま、党内の権力争いや王族や王党派との勢力争いに明け暮れている。一般民衆の現実を知らず、その窮状を理解できずにいる富裕層、権力者、高カースト層等、ネパール社会のエリートについても同じことがいえる。

ネパール王族は、宗教的畏敬の念(ネパールの王は、国内のヒンドゥー教信者にとって神聖な存在)にも支えられ、歴史的に大きな国民の支持を得てきた。しかし、今日、その王族までもが人々の信任を失おうとしている。「王室クーデター(palace coup)」によって、一度ならず二度までも、選挙によって選出された政府が更迭されたことがその主な理由である。こうしたクーデターの結果、国民は、堕落した権力政治を超越し、国家を導いてくれる指導者だと思っていた国王もまた、信頼するに足らないただの「政治家」に過ぎないと考えるようになったのである。

指導者不在という状況も含め、以上に述べたことすべてがマオイストにとって有利な材料となっているはずである。しかし、マオイストもまた、具体的な成果のないまま10年近くも血みどろの戦闘を続けた結果、彼らが拠りどころとする貧しい人々の支持を失いつつある。内部においても権力争いが絶えず、もはや統一された組織としての体をなしていない。このように、アフガニスタンとは異なり、内側から崩壊するネパールのリスクは増加し続けているのである。

真の難題

南アジアの貧困は戦略的リスクである。なぜなら、国家の政策や制度における悪い統治が貧困を生み出す原因となっているからだ。このリスクを長期間にわたって放置すれば、ネパール同様、この地域のその他の国民国家もその統一性が脅かされる事態に陥りかねない。

南アジアのリスクを真剣に管理するということは、こうした国々の政治のプロセスや制度はもとより、社会経済政策・制度についても改革を推し進めて、よい統治を導入し、根付かせるということである。しかし、口で言うのは容易いが、実行するのはきわめて困難である。適材かつ強力な政治指導者が現れ、よほど大きな幸運にでも恵まれない限り、一般大衆がその変化を認知できるほどの速度で、改革が動き始め、その成果がもたらされることは期待できない。

したがって、今日世界が直面する困難な課題の正体は、南アジアやその他の途上国における貧困でも悪い統治でもない。真の難題は、政治的外交、開発援助、国際ビジネス、その他いかなるかたちであれ、外部が関心を持つことによって、何かできないかということである。外部から何らかの影響を与えることによって、主権を有する途上国において、一般市民に前向きな政治的決意を促し、望ましい政治指導者が現れ、国民から支持される建設的かつ包括的な変化のプロセスが起こるよう働きかけることができないだろうか。そして、できるのであれば、いかにしてこれをなすべきか。その答えを見出さなければならない。

2005年7月29日

2005年7月29日掲載

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