小林慶一郎のちょっと気になる経済論文

第2回「デット・デフレーションの新しい理解」

小林 慶一郎
ファカルティフェロー

マスターくん
某私立大学大学院修士課程2年生(経済学)。経済学者志望で目下猛勉強中。

小林 慶一郎写真小林フェロー:今回とりあげるのは、Mendoza, Enrique G. (2004). "Sudden Stops in an Equilibrium Business Cycle Model with Credit Constraints: A Fisherian Deflation of Tobin's q"です。

メキシコで1994年に発生した通貨危機(テキーラ・クライシス)やその後のアジア通貨危機、ロシア、ブラジル、アルゼンチンの通貨危機では、外資の突然の引き揚げが原因となって、比較的健全だった経済が、急激に不況に陥りました。このような現象は、「資本収支型危機」「21世紀型危機」等とも呼ばれていますが、海外からの資金循環が急に止まる、という意味で、Maryland大学のGuillermo Calvoは"Sudden Stop"と名付けました。この論文は、普通の景気循環で発生している普通のショック(生産性の変化、海外の金利の変化など)が、ある条件の下で起きると、資産価格の急激なデフレを発生させ、Sudden Stopが生じる、と主張しています。Small open economyのReal business cycle modelで、通貨危機を説明しようとする試みです。

マスターくん画像マスターくん:2回続けて「デフレ」がテーマなのは、何か理由があるのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:それは私の最近の問題意識と関係があります。1930年代のアメリカの大恐慌、1990年代の日本の長期不況、途上国のSudden Stopなどの「普通の景気循環の枠を超えた大きな不況」(Patrick Kehoe, Edward Prescottらは、小文字・複数形のgreat depressionsと呼んでいる)を、動学的一般均衡モデルで記述する統一的な理論の枠組みが作れるのではないか、と私は考えています。その鍵になるのは、企業などの借入制約(または担保制約)と資産価格の変動です。たとえば、資産価格が下落して企業の担保制約がきつくなると、設備投資や雇用の減少が発生します。このメカニズムでアメリカの大恐慌や日本の長期不況をある程度は説明することができます(この発想は、DPとして準備中の拙稿Borrowing constraints and protracted recessionsでも議論しています)。Mendozaのこの論文は、「大きな不況」を説明する要因として、担保制約の重要性をさらに強調します。日本やアメリカのような大国経済における大不況だけではなく、メキシコのような小国経済でのSudden Stopをも担保制約が説明できることを示しました。

マスターくん画像マスターくん:Mendozaの論文の概要を教えてください。

小林 慶一郎写真小林フェロー:Mendozaは、資産価格の下落によって借入制約がきつくなると、今度は経済主体が資産を投げ売りするため、資産価格が更に下がる、というメカニズムを指摘しています。Mendozaのモデルでは、家計が消費をスムージングするために、海外から資金を借りますが、その借入の際に、家計が国内に持つ資産(物理的資本)を担保として必要とされます。この小国経済で、債務比率が高まりすぎた状態になると、小さなきっかけで資産価格が少しさがると担保制約がきつくなります。家計は担保制約のため、借入が増やせないので、借入をする代わりに、手持ちの物理的資本を売却して消費をスムージングしようとします。これは物理的資本の投げ売りであり、その結果、資産価格がますます下がります。すると、担保制約がますます厳しくなり、家計が海外から借り入れられる金額はますます小さくなります。すると、物理的資本の投げ売りが激しくなる・・・、という悪循環が始まってしまう。この悪循環の結果、資産価格は暴落し、消費や設備投資も激減するという、Sudden Stopが引き起こされるのであると述べています。

このメカニズムは、1933年にIrving Fisherがアメリカの大恐慌を説明するために提唱したデット・デフレーション理論のメカニズムとほとんど同じものです。Fisherのデット・デフレーションを、動学的一般均衡モデルの世界で再現したことが、Mendozaの功績といえます。

Mendozaは、担保制約だけでなく、運転資本の借入制約も導入しています。企業は、原材料費と設備投資費の一部を借入によって賄う必要があり、その借入はその企業の売上総額から賃金を差し引いた額を超えられない、という運転資本借入制約です。運転資本借入制約がないと(家計の担保制約がきつくなっただけでは)、モデルは次のような非現実的な結果を生みだします。
1)生産、投入、資本稼働率、運転資本がSudden Stopにすぐに反応しない。
2)資本稼働率はSudden Stopの不況の最中に上昇してしまう。

運転資本借入制約があると、こうした2つの問題は解消され、現実的な結果が得られるというわけです。

マスターくん画像マスターくん:デット・デフレーションのこれまでの見方はどういったものだったのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:Fisherがデット・デフレーションを提唱して、50年経ってから、Ben BernankeとMark Gertlerがデット・デフレーションのモデル化を行いました(彼らの理論は、ファイナンシャル・アクセレレーターと呼ばれる)。しかし、Bernankeらの理論は、デフレによって債務者から債権者への予期せざる所得移転が発生すると、設備投資などが抑制され、不況が深刻化する、というメカニズムを説明するものです。これはFisherがいったような資産価格と需要の減少との双方向の悪循環のメカニズム(デフレの結果、借入制約がきつくなって、資産の投げ売りが激しくなり、ますます資産価格が下がる)ではなく、デフレから不況への一方向の(おそらく一過性の)現象を説明する理論です。Fisherは、債務返済の動きが、資産価格のデフレを深刻化させる、というメカニズムを強調しましたが、Bernankeたちの理論では、デフレの原因は明らかにされず、デフレは単に外生的なショックとして(つまり、外から与えられた出来事として)仮定されています。Bernankeたちの理論は、したがって、真の意味でFisherのデット・デフレーションをモデル化したことになっていない、という不満足なものです。それと比較して、Mendozaは、担保制約を導入することで、資産価格のデフレと、借入の減少(需要の減少)との間の双方向の悪循環を作ることに成功しており、まさしく、Fisherが本来意図したデット・デフレーション理論を、初めて動学的一般均衡モデルの世界で再現したモデルであるといえます。

このように、担保制約の役割を考慮することで、「大きな不況」における、さまざまな異常現象が説明できる可能性があります。日本の90年代後半以降のデフレも、こうした方向で、理論化することができるかもしれません。

マスターくん画像マスターくん:日本の90年代後半以降のデフレが理論的に説明できるようなれば画期的ですね。ありがとうございました。

2005年12月27日

2005年12月27日掲載

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