小林フェロー:新連載「ちょっと気になる経済論文」の記念すべき第一号はHarold L. Cole, Lee E. Ohanian, and Ron Leung, (2005), "Deflation and the International Great Depression: A Productivity Puzzle," NBER Working Paper 11237.を紹介しましょう。世界恐慌の原因を探る研究は、今も多くの経済学者が行っています。世界恐慌から75年経った今も原因として確立した定説はなく、魅力的な研究テーマとして多くの学者を惹きつけています。しかも、最近の日本の長期不況や、80年代、90年代に世界各地で頻発した通貨危機も、「世界恐慌」という現象が決して過去のものではない、ということを物語っています。この論文は、新古典派成長モデル(あるいはリアル・ビジネスサイクル・モデル)の枠組みを使って、世界恐慌の原因として、デフレショック(貨幣要因)と生産性の低下(実物要因)のどちらが重大だったのか、という問題を定量的に測定しようとする研究です。
マスターくん:多くの経済学者が執筆したあまたある論文の中から、小林フェローがこの論文を選ばれた理由は何なのでしょうか?
小林フェロー:新古典派モデルを厳密に当てはめてアメリカ大恐慌を分析しようとする研究は、90年代にColeと Ohanianが始め、多くのリアル・ビジネスサイクル研究者が追随しました。アメリカだけでなく、イギリス、カナダ、ドイツなど、大恐慌期の各国経済を分析した研究が発表されています(日本の90年代についても、Hayashi and Prescott [2002]があります)。
しかし、それらの研究は、1つの国の経済を分析するものでした。この論文は、世界恐慌期の17カ国のデータを一度に分析している点が新しいのです。
モデルでは、貨幣的ショック(貨幣供給量の低下)と実物ショック(生産性の低下)の両方が、実物経済に影響を与えると想定されています。家計は貨幣ショックと実物ショックを観測できないうちに労働供給を決めなければならない、と想定されているので、貨幣が実物活動に影響を与えることになります。
1930年代は各国の経済統計はまだ未整備で、手に入るデータは物価と生産高くらいです。貨幣ショックや実物ショックは観察できません。Coleたちは、モデルから各国の物価と生産高が再現されるように、各国の貨幣ショックと実物ショックの値を逆算しました。こうして逆算された貨幣ショック、実物ショックを元に、それぞれがどれくらい生産高(GNP)の低下に責任があったのか、を推計しました。
結果は、生産低下の2/3は実物ショック(生産性の低下)によるもので、デフレショックは、生産低下の1/3を説明できるにすぎない、というものでした。これは、世界的なデフレが実物生産低下の主要因だとする通説と大きく異なります。しかし、Coleたちが示したグラフによると、この時代の各国における生産低下の激しさは、デフレの程度とあまり相関がないということも事実です。モデルのカリブレーションも、そのことを支持しているわけです。
マスターくん:なぜ生産性の低下は発生したのでしょうか?
小林フェロー:Coleたちは、推計した生産性低下ショックと、4つの変数 ― 貿易シェア、実質為替、経済に占める非農業の比率、銀行パニックの発生有無 ― との相関を調べました。その結果、貿易シェアを除く3つの変数と、生産性低下ショックとは高い相関を示したのです。つまり、産業化の進んだ経済で、為替や銀行の異常が、生産性の低下として観察された可能性があるというわけです。
もう1つ、Coleたちは面白い事実を発見しています。それは、生産性低下ショックが、一期前の株価と強い相関を持っていたということです。この相関の強さは、世界恐慌期に特有で、戦後は相関が小さくなっているといいます。標準的な新古典派理論では、株価は生産性の先行指標だから、両者に相関があること自体はおかしくはない。しかし、株価が暴落した世界恐慌期に、生産性と株価の相関の強さが異常に上がっているということは注目すべきことです。
たとえば株式を担保に企業が資金調達をしていたとすれば、株価暴落は企業の資金調達を強く制約し、生産性も大きく悪化させたかもしれない。そうだとすれば、株価と生産性の相関が、世界恐慌期に限って異常に強くなったこともうなずけます。
いずれにしても、デフレショックが情報の非対称や価格の粘着性を通じて実物経済に悪影響を与える、という最近のDynamic New Keynesianの議論は、世界恐慌のような大きな不況の発生メカニズムを、必ずしも十分には説明できないと言えそうなのです。
マスターくん:デフレのメカニズムはそれだけ複雑だということですね。小林フェロー、どうもありがとうございました。