1 堅調な成長を続けるドイツ、沈没する泥船日本
2024年、日本は名目GDPでドイツに追い抜かれた。かつて日本は米国に次ぐ世界第2位の経済大国だったが、2010年に中国に抜かれ、2024年ドイツに抜かれ、第4位になった。人口や企業数など、サイズが2/3しかないドイツに抜かれたことは、円安の影響などで説明できないもっと本質的で深刻な問題がある。IMF(国際通貨基金)の予測では、2026年にはインドにも抜かれて、世界第5位に後退するとされている。沈没する泥船日本を象徴しているようだ。
日本の「失われた30年」が始まった1995年頃に日本の47%しかなかったドイツの名目GDPが、その28年後の2024年、日本に追いつき追い抜いた。ドイツの立派さを褒めたたえるとともに、日本の余りのふがいなさを恥じる。
欧米先進国の名目GDPは、1995~2023年で大体、2~3倍には増えている。その中にあって、成長が止まってしまった日本だけが突出した異形の存在である。
国民生活の豊かさの目安とされる1人あたり名目GDPは、2022年にはOECD(経済協力開発機構)加盟38カ国中では21位になった。2022年の日本の時間あたりの労働生産性はOECDの38カ国中30位、1人あたりの労働生産性では31位となった。日本の労働生産性は、ポーランドや東欧・バルト海とほぼ同水準まで落ちている。
GDPは、Gross Domestic Productsの名の通り、国の中で作り出される「付加価値」の合計である。付加価値を作り出すのは企業活動なので、日本企業は全てを平均すると約30年間、作り出す付加価値がほとんど変わらなかったということになる。だが、ドイツ企業が作る付加価値は順調に増え続け、そして2024年、日本を超えた。それは取りも直さず、日本企業は約30年間、成長せず、現状維持を続けたということである。なぜだろうか?
日本の若者は決して怠けている訳ではない。夜遅くまで残業し、必死で働いている。だが、企業が作り出す付加価値が一向に増えないのは、企業リーダーの責任である。すなわち、若者に対して、仕事のエネルギーを向かわせる方向付けが間違っている。企業リーダーは、企業のパフォーマンスに結び付かない無駄で非効率な作業を、若者に残業させて必死でやらせていると言ってよい。
OECDが世界各国で実施する能力試験PISAを見ると、日本の若者は世界一優秀と言ってよい。PISAの結果を見ると、日本人は一人一人を見れば、何という優秀な民族なのだろうと感動すらする。だが、その若者が大人になり、企業に就職して集団となって働き始めたとたん、そのパフォーマンスは上述した通りガクンと落ちる。これは、企業リーダーに原因があるとしか考えられない。
国民の人数が2/3、1人あたり年間労働時間が2/3であれば、労働総投入量は2/3×2/3=4/9となり、ドイツは日本の44.4%しか労働量を投入していない。そのドイツが日本と同じ量の付加価値を産出するのであるから、1単位労働投入量あたり日本人の約2倍以上の付加価値を生み出していることになる。
ドイツで住む日本人は、よく「なぜドイツ人はこんなに働かないのだろう」「定時になるとさっさと帰っていく」「夏やクリスマスには長期休暇をとる」と言う。ドイツに旅行すれば、すぐに分かることだが、ドイツはキリスト教圏であるため、日曜日、商店街は全て休みになる。すなわち、365日のうち、1/7は経済活動を完全に休止している。平日は残業しないでさっさと家に帰り、戸外のレストランで長々とおしゃべりに興じている。それでありながら、「独り勝ち」といわれるほど強力な経済力を有している。
一方、日本は、平日遅くまで残業し、週末でも、めいっぱい経済活動している。日本人の働き方が間違っているとしか言いようがない。
ある経済学者が、今の日本経済の状況を次のように比喩した。
国どうし、マラソンで競争している。だが日本だけが、この30年間、立ち止まって動こうとしない。後ろから走ってきた国が、次々と日本と追い抜いていく。日本は、かつては1位、2位を争っていたが、日本の順位はどんどんと落ちていく。だが日本というランナーはなぜか一向に走ろうとしない
1人あたりGDPは韓国に抜かれ、平均賃金は米国人の半分、部長の給料はタイよりも低く労働生産性は旧東欧諸国と同じである。
日本とドイツは、ものづくりが経済力の基盤であることは同じである。額に汗してものづくりに励む光景も同じである。なのに、この違いは何だろうか?
筆者は、この点を解明すべく、約15年間、日本とドイツにおいて、ずっと現地調査を継続してきた。
ドイツ現地調査は、当初、霧の中を手探りで探検しているようだった。何度もドイツに足を運び、専門家と意見交換し、多くの中小企業を視察した。それは「目からうろこ」と言ってよい旅だった。日本で当たり前と考えていたことがドイツでは当たり前ではなかった。ドイツ人の話を聞くと、確かに論理的には正しい。彼らは、論理的に正しいことを実行すれば論理的に導出される成果が出るはずだと信じ、真面目かつ愚直に努力し、そしてきちんと成果を出している。筆者は、ドイツの底力とは、ここにあるのだと理解した。
これまでの調査結果の総括を述べると、
ドイツ人は、当たり前のことを、当たり前のごとく実行し、当たり前の成果を出しているに過ぎない。すなわち、「売れる商品を開発し」「世界市場で売る」という基本に忠実なだけ、ドイツ人の真面目で愚直な性格で、基本を忠実に実行しているだけに過ぎなかった。
という結論に達した。15年もの長い間、多くの人々、多くの組織、多くの場所を視察調査した結果は、極めて当たり前の結論でしかなかった。基本に忠実な者が勝つと言う当たり前の事実だった。
これを戦い方に例えれば、ドイツは、今の世界の先端的な戦い方は、ドローンを多用する方法なので、その当たり前の方法で、基本に忠実に従っているだけだが、日本は依然として昭和の古い価値観のリーダーがいて、まるで旅順203高地に突入攻撃するような戦い方を、今の若者に強いている、と言える。
日本企業は、「失われた30年」(それは1995年頃から始まっているが)の間、売り上げ、利益、従業員、賃金が横ばいというのが平均的な姿である。もし本稿の読者が所属している会社で、これらが伸びているとすれば、平均以上の素晴らしい会社ということになる。
本稿では、最後に、日本が「失われた30年」から脱却し、再び力強い経済力を有するために、どのような構造改革を成し遂げなければならないかを提言する。その提言を実行するには、とてつもなく高いハードルや強固な岩盤抵抗勢力がある。だが誰かがその改革を成し遂げなければ、日本は本当に泥船となって沈んでしまう。