(1)はじめに
2016年4月、筆者は、自身が主催する「IoTによる中堅・中小企業競争力強化に関する研究会」を立ち上げ、2020年7月までの間、参加したモデル企業は9社となった(2018年4月から、「IoT、AIによる中堅・中小企業競争力強化研究会」に名称を改正)。
すでにIoT、AI等デジタル投資が行われ、いくつかの企業で成果が計測されている。またモデル企業は全て製造業であるが、BtoB,BtoC,ものづくりサービス業、小規模企業など種類も揃ってきた。
これまでの取り組みの結果、中小企業への円滑なIoT、AI導入を行い、飛躍的な効果を生み出すための各種のノウハウが蓄積されてきた。特に、中小企業にIoT、AIを導入するに当たっての「手順マニュアル」のようなものがほぼ確立されてきた。
また研究会のオブザーバーとして参加し、支援ノウハウを吸収してきた地方自治体においても2018年度ごろから同様の研究会が発足し、その数は順次増加しており、本取り組みは全国的な広がりを見せている。
(2)研究会の趣旨
第4次産業革命は、大きな市場の予感がするため、今日、新聞に、毎日のように、IoT、AIに関する記事が載っているが、残念ながら、それらはほぼ例外なく大企業。日本の中小企業の現場に新たに本格的なIoT、AIを全面的に導入し、実績を出した、という事例は極めてまれである。
その理由はシンプル、「よく分からない」の一言に尽きる。それには2通りの意味があり、1つ目は、「技術が難しくてよく分からない」、2つ目は、「自分の会社にどのようなメリットがあるのかよく分からない」という意味である。筆者の経験上、他社の「導入成功事例」を見るだけで、IoT、AI投資を決断する中小企業の社長は、ほとんどいない。
なぜなら、他社の最終的な完成形だけ見せられても、「あの企業は、あのやり方でよかったかもしれない。だが、自分の会社は違う」「あの会社は、スムーズにIoT、AI導入を実現できたはずはない。途中で多くの壁にぶち当たり、紆余曲折があったに違いない。IoT、AIを導入しようとすれば、自分の会社にも、どのような困難が待ち構えているか分からない」「あの会社は壁を乗り越えたかもしれない、だが自分の会社は果たして壁を乗り越えられるかどうか分からない」と不安を持った途端に、一歩踏み出すことができなくなる。

(3)研究会の目的
研究会の目的は、本来は企業内部にとどまっている「試行錯誤のノウハウ」の公開という公益目的である。
IoT、AIを使いこなせるのか、技術をコントロールできるのか、投資を回収できるのか、現場は大丈夫か、などなど、不安は尽きない。その不安を解消しない限り、中小企業の社長は、IoT、AI投資を決断できない。
そこで筆者は、 2016年4月から、モデル企業が参加する「IoT、AIによる中堅・中小企業の競争力強化研究会」をスタートした。
研究会は、モデル企業による検討のスタートから途中経過の試行錯誤から最後までのノウハウを「全て公開」することで、全国の中小企業の社長に、自社の現実の問題として実感していただくことで、IoT、AI投資を促そうと考えた。
途中の検討経過とは、例えば、どのような困難が待ち受けていたか、その困難をどのように乗り越えたか、どのような検討が遡上に登ったか、検討の上、廃棄した投資案は何か、その理由は何か、最終的に社長が判断した投資の内容は何か、その理由は何か、投資対リターンの数字はどうか、などである。
(4)研究会で採用した手法
本研究会で採用した手法は、MBAプログラムで用いられている「ケーススタデイの積み上げ方式」である。
企業経営を成功させる定石はない。MBAで学ぶのは、多くの成功事例のケーススタデイである。
同様に、中小企業へのIoT、AI導入で成功する定石はない。そのため、成功事例のケーススタデイを学ぶしかない。
だが日本では、中小企業のIoT、AI導入の成功事例はほとんどなく、しかも、もしあったとしても企業秘密として公開されない。
日本に現存しないのであれば、自分で作っていくしかないと考えた。
(5)研究会に参加するモデル企業に対して求めた条件
筆者が、研究会に参加するモデル企業に対して求めた条件は以下の3点である。
1 研究会参加期間中に、IoT、AI投資をすること
2 通常は「企業ノウハウ」として企業内部にとどまっている検討の途中経過の「試行錯誤のノウハウ」を全て公開すること
3 投資対リターンを数字で出すこと
研究会がモデル企業に対して、無償でアドバイス・コンサルティングを行う代わりに、「試行錯誤のノウハウ」を、全国の中小企業のために、全て公開することを条件に研究会に参加する。本研究会は、日本国内全ての中堅・中小企業全体の競争力強化を目的とする「公益目的」の研究会である。
(6)公開の手段
これまで「試行錯誤のノウハウの公開」として公開手段に用いてきたのは、
〇 RIETI Policy Discussion Paper
〇 書籍「岩本晃一・井上雄介編著『中小企業がIoTをやってみた 試行錯誤で獲得したIoTの導入ノウハウ』日刊工業新聞社(2017)」
〇 経済産業研究所RIETIのウェブサイト コラム・寄稿 フェローの連載
「IoT、AI等デジタル化の経済学」 岩本 晃一
〇 全国での講演会、雑誌・新聞等への執筆等
である。
(7)モデル企業9社および研究会参加者
これまで研究会に参加したモデル企業9社は、以下の通りである。
〇 第一フェーズ(2016年度):まず初年度は、中小企業の基本形である「機械系製造業の工場の中」をIoT、AIの対象とし、日東電機製作所、正田製作所、ダイイチ・ファブ・テック、東京電機に参加願った。うち2社はBtoC、他の2社BtoBの形態である。
〇 第二フェーズ(2017年度):2年度目は、「ものづくりサービス業」に拡大し、日本リファイン株式会社、金属技研株式会社、しのはらプレスサービス株式会社の3社に参加願った。
〇 第三フェーズ(2018~19年度):3~4年度目は、業種としては依然として製造業であるが、数十人レベルの小規模企業を対象とすべく、野中工業所(40人、栃木)、深井製作所(栃木)の2社に参加願う。過去の例から1年間では投資するまでがやっとで効果計測まで到達しないことから2年計画とした。
研究会の参加者は以下の通りである。 2020年7月時点
〇主催 岩本晃一 経済産業研究所/日本生産性本部
〇モデル企業 野中工業所、深井製作所
〇IoT、AI提供企業
高鹿初子 富士通(株) ものづくりビジネス統括部、(一社)IVI エバンジェリスト、ロボット革命イニシアティブ協議会
吉本康浩 三菱電機株式会社FAシステム事業本部FAソリューション事業推進部FAソリューションシステム部専任 エキスパート
和田 裕 日立製作所㈱ インダストリー事業統括本部 事業戦略統括本部研究技術管理部
(角本喜紀 日立製作所 産業・流通ビジネスユニット企画本部 研究開発技術部長)
〇識者
澤田浩之 国立研究開発法人産業技術総合研究所インダストリアルCPS研究センター総括研究主幹
宮澤以鋼 地方独立行政法人神奈川県立産業技術総合研究所人材育成部主任専門員
島田智 栃木県産業技術センター 機械電子技術部 電子応用研究室 主任研究員
〇オブザーバー
川井徹郎 日本商工会議所/東京商工会議所企画調査部主任調査役
近畿経済産業局地域経済部次世代産業・情報政策課
北海道経済産業局地域経済部製造産業課
広島県商工労働局イノベーション推進チーム
茨城県商工労働観光部 産業技術課 技術・情報グループ
熊本県商工観光労働部 新産業振興局 産業支援課
熊本県産業技術センター
栃木県産業労働観光部
群馬県産業経済部工業振興課
長岡市商工部工業振興課
札幌市経済観光局産業振興部立地促進・ものづくり産業課
日刊工業新聞社出版局書籍編集部
素形材センター
立命館アジア太平洋大学(APU)
2016年度モデル企業(正田製作所、日東電機、東京電機、ダイイチ・ファブ・テック)
2017年度モデル企業(しのはらプレスサービス、日本リファイン、金属技研)
(8)点の中小企業振興から面の地域経済振興へと理念の拡大
地方自治体から研究会に参加された方々は、研究会での議論の推移を見つつ、「中小企業へのIoT、AI導入支援」のノウハウを会得された。
そして地方自治体で予算を確保し、当研究会と類似の研究会を県内で立ち上げ、地元の中小企業へのIoT、AI導入を推進している。
地方での実施により同活動の地方展開が全国に拡大しており、それは当研究会の当初からの目的であった。
IoT、AI等デジタル技術を用いた産業振興の考え方は、点の中小企業の振興から面の地域経済振興へと理念が拡大している。今後、モデル都市を拡大するとともに、他の都市がモデル都市を先例として同様の取り組みが全国に拡大することを期待している。
(9)東京での研究会を通じた所感
その1)当研究会は、東京という日本の首都で行ったモデル研究会である。だが、この研究会だけで日本全国の中小企業をカバーするのは物理的に不可能である。
当研究会で蓄積された運営ノウハウを生かしながら、いくつかの地方自治体において、同様の取り組みがスタートしている。それがさらに広がっていけば、やがて日本全体に拡大するだろう。
日本は総企業数の99.7%が中小企業である「中小企業の国」である。その中小企業の生産性を上げなければ、日本全体の生産性は上げることはできない。
技術が大きく進化した情報通信技術を用いた生産性の向上は、まさに今でなければできない。
その2)当研究会と、2019年11月にドイツを訪問し視察したドイツのダルムシュタット工科大学の例を見ると、中小企業へのIoT、AI実装化の成功の共通要因は、もともとこの分野の専門家は日本にもドイツにもいない。そのため、当該分野の専門家を育成し、かつ長期に渡って、企業の現場に深く関わり続けさせて、最初から最後まで、専門的な指導を行うことである。
その3)モデル企業は、実際にIoT、AIを導入して実現できた成果よりも、むしろ、講演依頼が増え、メディアに露出するようになって有名になったことで、自分の会社は、世間から、「IoT、AIの先進企業、この分野のパイオニア」として見られていると意識するようになり、手を緩めずに、常にIoT、AI分野で日本企業全体の手本となるべき、先頭を走っていなければならない、そして自分の会社が日本全国の中小企業にIoT、AIを普及させる使命がある、という意識を持ったことが最も大きな成果ではないかと感じている。