リサーチインテリジェンス

再訪・現代日本経済システムの源流 『日本的経営』の幻影をたどる

広野 彩子
コンサルティングフェロー

2026年8月3日、神田明神(東京・千代田)に大企業の経営幹部や学者、省庁幹部らが集まり、イノベーションを共に創るエコシステム構築を目指して非公開で議論する「経営者イノベーション・ラウンドテーブル」が開かれた。各界を代表する企業や専門家の「経営者イノベーション委員会(EIC)」(事務局・ジャパンイノベーションネットワークほか)主催で、今年で3回目。筆者は、経済史が専門である岡崎哲二明治学院大学教授が講話で登壇するに当たり、質問役などのお手伝いをする機会をいただいた。

講話は、岡崎教授が共同編著者である書籍『現代日本経済システムの源流』(注1)で提示された問題意識に基づいた。同書はいわゆる「日本的経営」やメインバンク制など、海外からの「日本経済特殊論」の論拠とされてきた戦後日本の産業経済のありようを、戦後ではなく戦前を起点として歴史的に分析した論文集である。本稿では、岡崎教授の研究と講話を足がかりに、海外の日本観の変化を交えながら「日本的経営」といわれてきたシステムのありようと制度の変化を改めて整理したい。

日本的経営の残像

「日本的経営」が語られる時、その中身は通常、「終身雇用・年功序列・企業内労働組合」の「三種の神器」を指す。1955年に米フォード財団の研究員として来日した米国の人類学者・心理学者ジェームズ・C・アベグレン氏が日本の工場を観察し、1958年に『日本の経営』(注2)で打ち出した。英語の原題は『The Japanese Factory(日本の工場)』だ。工場における会社と工場従業員の「Lifetime Commitment」、すなわち超長期的にコミットし合う関係性が日本の雇用関係の原則で強力な経営基盤だとし、後に広まった「日本企業特殊論」の嚆矢(こうし)となった(注3)。Lifetime Commitmentは終身雇用と訳され、日本社会に定着した。

1973年に発行された改訂版からは「Factory」がなくなりタイトルが『Management and Worker: The Japanese Solution』に変更された。経営学者、高橋伸夫東京理科大学教授のウェブサイトコラムによると、タイトルが変更された改訂版では、1958年版で工場の生産性について否定的だった章がまるごと削除されている(注4)。1960年代の日本の高度成長で1970年代以降、欧米の研究者の間で日本企業の経営スタイルに積極的に評価すべきところがあるという論調が台頭していた。本格的に日本が見直されたきっかけは、1971年にピーター・ドラッカー氏が米ハーバード・ビジネス・レビュー誌に発表した論考とされる(注4)(注5)。

「通産省の奇跡」

米国でアベグレン氏やドラッカー氏のように戦後の復興と高度成長を果たした主役が「日本的経営」にあったとする有識者が台頭した頃、「米国から、日本政府による産業へのさまざまな介入に批判が起こるようになった」(岡崎教授)。米国の関心を、政府に引き戻したのが国際政治学者でコンサルタントのチャルマーズ・ジョンソン氏だ。ジョンソン氏が1982年に刊行した『MITI and the Japanese Miracle(邦題:通産省と日本の奇跡)』は、通産省こそが日本の経済成長をリードしたと打ち出し大きな反響を呼んだ。同書は1980年までの日本研究について、「官民協調」という文脈の中で国家の役割が「支配的すぎる」と非難されるか、「単なる補助的存在」として軽視されるかという両極に振れがちだったと総括している(注6)。「80年代に日米経済摩擦が激しくなり、米国が産業政策そのものを直接批判するようになった」(岡崎教授)。

興味深いことに、同書の扉には「It is only managers―not nature or laws of economics or governments―that make resources productive(資源を生産的にするのは経営者であって政府ではない)」という、ドラッカー氏による1980年の著作『Managing in Turbulent Times』からのエピグラフ(注7)が掲げられている。ドラッカー氏に代表される「経営者こそリーダー」といった有力な「通説」に対する挑戦状とも取れる。

ジョンソン氏は商工省(戦時中に軍需省、農商省など変遷)、のちの通商産業省(現経済産業省)主導による1925年から1975年の戦前から戦後までの日本の産業政策をつぶさに分析したうえで、戦後日本の高度成長が「通産省主導によって成功した」と再定義した。本書は、日米経済摩擦で政府が批判の矢面に立つ根拠にもなった。政府は厳しい批判を受け入れる形で個別産業の育成から撤退。「1990年代から2000年代にかけ、規制改革のような産業全体に対する『水平的』産業政策に大きく舵を切った」(岡崎教授)。

戦中体制をひきずる日本

岡崎教授が共編著で「現代日本経済システムの源流」を出版した1993年は、規制改革がメインになりつつあったころだ。「『日本型』システムの原型は、戦時期に形成された 新しい経済史の誕生!」。書籍『現代日本経済システムの源流』の帯にはそんな文言が踊る。戦後の日本経済システムは、戦前から戦時体制下に至るまでの「総動員体制」という状況の中、民間との密な情報の共有が既にあったからこそ有効だったということを比較制度分析の視点から明らかにした。

総動員体制への転換はまさに大改革だった。1920年代の日本は「基本的に欧米諸国と異ならないオーソドックスな資本主義的市場経済システム」だったからだ。自営業が多く、賃金も変わりやすく、転職も普通。企業の資金調達の多くは株式や社債の発行でまかなわれた。有力な大株主が役員に名を連ね、経営には株主の意向が強く反映された。多くの企業で株主総会が実効性をもち、敵対的買収もまれではなかった。銀行からの貸し付けや金融機関の株式保有も少なく財閥が傘下企業を監督した(注1)。

1930年代、政府は日中戦争・太平洋戦争を遂行するため資源を総動員することを目指した。一方当時の社会は1920年代以降の経済発展に伴い高所得層に所得の集中が進んだ。大不況が日本を襲い、1923年の関東大震災と昭和初期の金融恐慌を経て昭和恐慌が起こった。1929年度には帝国大学の新卒者さえ3割しか職がなかった。市民の間では市場経済への失望と財閥など資本家に対する不満が増大し、軍と右翼のテロも頻発した。自由な市場経済から官僚による統制経済に変革することが時代の要請に合った。政府はナチス・ドイツの戦時経済体制と、ソ連の社会主義計画経済を範として次々と改革した。賃金が生活給と位置づけられ、賞与が普及したのも戦時期だ。メインバンク制の原型もこの時期にできた。そして株主権限の制限が1943年の軍需会社法で法制化された(注1)。一連の施策がエコシステムとして機能した。

「日本的経営」は「文化」なのか

企業経営も大きく変わった。資本主義的な社会だった1900年当時の経営者はオーナーが62.5%を占め、内部昇進の雇用型経営者は5.5%に過ぎなかった。1928年には内部昇進型が22.9%に増えてオーナー型と逆転したものの、転職者が55%だった。戦時期を経て1962年には内部昇進型が47.8%に達する(注1)。今でも多くの企業で、役員は内部昇進者が主流で、あまり変わっていない。

「本書(『現代日本経済システムの源流』)を出版した当時、『(日本的経営は)長い歴史と文化に根差したシステムで、それを変えることは難しい』という見解が強かった。だが歴史を研究すると、1920年代、30年代は相当違ったシステムが機能していたことが分かった。決して変えられないものではないということを伝えたかった」。岡崎教授は研究の動機についてこう振り返る。

ここで、2024年にノーベル経済学賞を共同受賞したダロン・アセモグル米マサチューセッツ工科大学教授(MIT)と、2025年にやはりノーベル経済学賞を共同受賞したフィリップ・アギオン仏コレージュ・ド・フランス教授らの共同研究が、制度の変化が経済社会に与える影響について興味深い洞察を提供しているので紹介したい。

技術者が大学や企業で何を開発すべきかについては、社会が何を必要とするかに左右される。アセモグル氏らはイノベーション重視の技術先進国と、先行技術を模倣するために投資が必要な技術キャッチアップ国とでは、最適な戦略の条件が異なることを理論的に説明した。そしてイノベーション重視の技術先進国では「模倣する国と比べて、より優れた経営者を選び出す『選抜』が戦略的に重要」とした。ただし、従来のキャッチアップ型戦略で利益を得てきた企業や経営者(インサイダー)が政策転換に抵抗すると、外部の技術をコピーするキャッチアップ戦略からイノベーション型戦略への転換が起こりにくくなる。すると、そうした社会は世界の技術フロンティアから取り残されるというのだ。目利きが不在で、イノベーションの機会を生かせないためだ(注8)。

もちろん現代の日本は、本稿で振り返ったキャッチアップ時代とは環境が異なる。政府主導でも、民間主導でもない、これまでと違うやり方が必要ではないか。そう言う岡崎教授は、ヒントとして、日本で自動車産業の育成が始まった時のエピソードを挙げた。「終戦直後に産業政策をするにあたり、通産省は自動車産業を育成しようかどうか迷った。そこで自動車メーカーに何をしてほしいか諮問した。政策金融がほしい、輸入が許可制なので輸入設備を認めてほしいといった意見が出た。それがボトルネックと知り、ならば取り除くことに産業政策の焦点を定めた。民間と政府の間で協力関係を構築することが、今も必要なのではないか」。

海外から情報を取られる日本

さてラウンドテーブルでは、これから日本社会発展のかぎになりそうな技術開発や安全保障などについて「どこに相談したらよいのか分からない」「どこに情報があるのか分からない」ため困っているという意見が、産業界、官界双方から多く聞かれた。米国や中国が先端技術を駆使して日本企業の製品や制度について次々と情報収集しており、日本人以上に細部まで詳しいとの指摘もあった。

イノベーションには、シュンペーターの創造的破壊を参照するまでもなく違った知識を持つ者同士による知と知の出合いが不可欠だ。2025年にノーベル経済学賞を共同受賞したジョエル・モキイア氏も、処方的知識、つまり何かを実現するための実践的な知識と、命題的知識、つまりある現象が生じる理由を原理的に説明する知識が相互に作用し合うことで技術革新が続き、持続的な経済成長が実現すると説いた(注9)。

岡崎教授の研究を踏まえると、戦後の復興と高度成長は、関係者が密に互いの問題意識を共有できたからこそ可能だったと思える。失われた30年とは、産官学に見えない壁ができ、知識共有の場がなくなった「官民分断」の30年でもあったのではないか。

脚注
  1. ^ 岡崎哲二・奥野正寛編、『現代日本経済システムの源流』、日本経済新聞社(現日経BP日本経済新聞出版)、1993年
  2. ^ ジェームズ・C・アベグレン、山岡洋一訳、『日本の経営』新訳版、日本経済新聞社(現日経BP日本経済新聞出版)、2004年
  3. ^ 小田切宏之・久保克行、橘木俊詔編『戦後日本経済を検証する』第6章「企業――ガバナンス・行動・組織」、東京大学出版会、2003年
  4. ^ 高橋伸夫、BizSciNet
  5. ^ Drucker, P. F. (1971). What we can learn from Japanese management. Harvard Business Review, 49(2), 110-122.
  6. ^ Johnson, C (1982). MITI and the Japanese Miracle: The Growth of Industrial Policy, 1925-1975. Stanford University Press, Stanford, California. 翻訳書タイトルは『通産省と日本の奇跡』、TBSブリタニカ、1982年
  7. ^ Drucker, P.F. (1980). Managing in Turbulent Times. New York: Harper & Row. (邦訳は『乱気流時代の経営』、ダイヤモンド社、2017年)
  8. ^ Acemoglu, D., Aghion, P., & Zilibotti, F. (2006). Distance to frontier, selection, and economic growth. Journal of the European Economic Association, 4(1), 37–74. https://doi.org/10.1162/jeea.2006.4.1.37
  9. ^ 岡崎哲二、「ノーベル経済学賞にモキイア氏ら 新技術による経済成長 解明」日本経済新聞「経済教室」2025年10月31日付

2026年8月12日掲載

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