2025年もあとわずか。ジョエル・モキイア(米ノースウェスタン大学)、フィリップ・アギヨン(仏コレージュ・ド・フランス)、ピーター・ホーウィット(米ブラウン大学)の3氏が、イノベーション主導の経済成長を説明した功績によりノーベル経済学賞を受賞した年だった。モキイア氏は、一連の著作や研究における歴史的な考察を通じて、知識・文化・制度が長期的な経済成長の基盤になることを明らかにした。またアギヨン氏とホーウィット氏は1992年の共著論文(注1)を起点に、イノベーションや競争政策、資本主義に関する体系的かつ膨大な研究を展開。創造的破壊を中核に据えた内生的成長理論を確立したことが受賞理由となった。
筆者は、本業での取材として欧州経営大学院INSEADの協力で、2021年に共同受賞者の1人であるアギヨン氏にオンラインでインタビューする機会を得た。21年当時、諸事情により所属先の日経ビジネス誌面には掲載されなかったが、今回のノーベル経済学賞を機に日経ビジネス電子版で掲載に至っている(注2)。ここではその内容を再編集し、補足を加えてRIETIでも紹介したい。
―――インタビュー本文――――
【筆者】 2020年~2021年の共著論文(注3)の中で、AIなどによる自動化で労働が失われると警鐘を鳴らす既存の研究に対し、「蒸気機関車も電気も大量の失業を生み出したわけではなかった」として批判していました。
【アギヨン氏】 従来の自動化に関する研究の多くには大きな欠陥があります。ほとんどが「産業レベル」で分析しており、「自動化を進めた企業」と「そうでない企業」を区別していないのです。
これでは因果関係が分かりません。 私たちは「企業レベル」で分析しました。その結果、自動化を進める企業はむしろ雇用を生み出していることが分かりました。確かに一部の労働は機械に置き換えられますが、それ以上に「生産性の向上効果」が大きい。自動化によって企業の生産性が上がれば、価格を下げられ、競争力が高まります。結果として市場が拡大し、雇用需要が増えるのです。
――インタビュー本文ここまで――
企業レベルの分析が示す「自動化」の真実
創造的破壊とは、新しい技術や商品・サービスが古いものを駆逐し、そのプロセスを通じて経済全体の生産性が向上することを指す。しかし足もとでは、人工知能(AI)やロボットにより猛烈なスピードで創造的破壊が進行しており、これが「雇用喪失」への恐怖と結びつき、幅広い関心を集めるテーマになっている。
アギヨン氏らはインタビュー以後、2025年にも、2018年から2020年のフランス製造業における「企業レベル」のAI導入データを使い、企業全体の雇用・売り上げへの効果を計測したさらなる研究結果も発表している(注4)。この分析によれば、調査時点でAI導入を進めていた企業は、雇用を減らすどころかむしろ雇用を創出していたことが分かった。 シュンペーター流に言えば、AIが「新結合」をもたらし、企業の価値創造の裾野を広げた結果、仕事の破壊を上回る雇用創出が見られたということである。
研究によれば、当時AI導入を進めていた企業はもともと生産性が高く、資本や技能を備えた企業だった。これは技術革新が大企業に有利に働く可能性を示唆している。政府による適切な競争政策と中小企業支援がなければ、大企業がますます優位になる恐れがありそうだ。
次に、今後さらに深刻になる人口の高齢化についてもアギヨン氏の言葉を紹介したい。
―――インタビュー本文――――
【筆者】 日本では高齢化が進んでいます。高齢化とイノベーションの関係についてはどうお考えですか。
【アギヨン氏】 高齢化には一つ問題があります。年齢を重ねると、人は一般的にリスクを取りにくくなり、革新的でなくなる傾向がある。私自身についてもそう感じます。ですから、年齢構成のバランスはイノベーションにとって重要です。
この点は、ダロン・アセモグル氏、ウフク・アクシジット氏、ムラト・アルプセリック氏による2014年の共同研究でも取り上げられています。マネジャーが若い世代である方がリスクを取り、創造的でオープンであることが多いという趣旨です。
――インタビュー本文ここまで――
アギヨン氏がここで挙げた、アセモグル氏らの共著論文(注5)は、イノベーションの担い手が既存の枠組みにとらわれない「アウトサイダー」や「若者」であることを強調したものだ。論文で著者らは、「イノベーションとは慣性の法則が働くやり方から逸脱することであり、そのためには現状からの反逆や、心の自由が必要である」と述べている。ちなみにアセモグル氏は日経ビジネスの特別座談会でも、この「逸脱」の重要性を改めて強調していた(注6)。これは、職種を問わない一般的な話であり、アギヨン氏もインタビューで次のように述べていた。
―――インタビュー本文――――
【筆者】 (AIなど自動化の)影響を受ける職種について質問します。低スキル職は不利になるのでしょうか?
【アギヨン氏】 いいえ。高スキル職と低スキル職の両方を分析しましたが、あらゆるスキルレベルで雇用が生まれていることがわかりました。低スキル職でも、むしろ「良い仕事」が新たに生まれているのです。 私は、社会ができる限りスキルの習得を推奨すべきだと考えます。「ハードスキル」は学校や教育で習得するものですが、「ソフトスキル」は企業内で周囲の人々と関わる中で培われるものです。職場で他者との交流を通じて得るソフトスキルがとても重要なのです。
――インタビュー本文ここまで――
アギヨン氏が指摘する「他者との交流を通じて培われるソフトスキル」の重要性は、2025年のノーベル経済学賞を共同受賞したモキイア氏の洞察とも響き合う。例えばモキイア氏は著書『知識経済の形成 産業革命から情報化社会まで』の中で、人の暗黙知の重要性を再検討しつつ、命題的な知識(発見)と、実践的な知識(テクニック、技術)の相互作用こそが、経済成長において決定的に重要であることを指摘している。
ノーベル財団の関連組織による一般向け解説では、命題的知識と処方的(実践的)な知識が相互にフィードバックしながらスパイラル状に「有用な知識」が蓄積され、結果として経済が成長していく様子がイラストで示されている(注7)。
さらに、AIと倫理・安全性が世界中で社会的な課題となっているが、この点についてもアギヨン氏はコメントしていた。
人の知識と技術イノベーション
―――インタビュー本文――――
【筆者】 AIや自動化が進む中で、倫理的な問題も指摘されています。
【アギヨン氏】 極めて重要なテーマです。例えば環境問題を考えると、「グリーン成長(green growth)」を実現するためには、企業だけに任せていても進まない。これまで汚染を悪化させる方向の技術に投資してきた企業は、その延長線上でしかイノベーションを起こせません。したがって、政府と市民社会の関与が欠かせないのです。国家は炭素税などの政策手段を選び、市民は「グリーンな商品」を選ぶことで企業を動かすのです。
経済学者のサミュエル・ボウルズ氏とウェンディー・カーリン氏が20年の研究で提示していましたが、市場、政府と市民社会の3者による相互補完的な「トライアングル(三角形)」の役割分担が重要です。(中略)私は市民社会の力を信じています。環境に優しい製品や技術にお金を払う消費者たちが大きな力になる。企業、政府、市民の3者の力が均衡することによる「役割のトライアングル」が機能すれば、政府の腐敗や企業との癒着を防ぐ役割も果たせます。
――インタビュー本文ここまで――
アギヨン氏はインタビューの中で、社会の意思決定の枠組みにおいて国家と市場だけでは不完全であると改めて指摘し、「市民社会」を加えた「トライアングル(三角形)」の重要性を説いた。企業が短期志向になり、国家には政治思想の変動リスクや腐敗リスクがある中、市民社会が監視役となって倫理的な方向付けを果たす。市民社会、あるいは個人が技術によって力を発揮し、かじ取りの役割(の一部)を果たすモデルへと進化しなければならない、ということである。フランス人であるアギヨン氏の思想がうかがえるくだりであった。
出る杭を打たない社会へ
またアギヨン氏らの見解によれば、創造的破壊には、異質な意見・異質性の受け入れが不可欠である。組織や社会に求められるのは、飛び抜けた才能を見いだし、排除したり骨抜きにしたりせずに、既存の組織とうまく調和するように「つなぐ力」を発揮することだ。外部の知恵を取り入れ、それを国内の文脈に合わせてきた日本には、異なるものを取り入れ、文化的な文脈に合わせ、平準化するのではなく、より高いレベルへと昇華させる底力があるはずだ。日経ビジネスに掲載したアセモグル氏、オードリー・タン氏、グレン・ワイル氏の座談会でも、3氏が日本のそうした歴史を「強み」として強調していた(注6)。
AIが日常となる時代に真の脅威となるのは、異質な者どうしが共にアイデアを出し合える「場」を失い、社会が停滞し、イノベーションが起こらなくなることである。創造的破壊の再評価は、「安定」ではなく「変化を伴う調和」を、「同質性」ではなく「異質との協働」を選び取るよう、社会に迫っているように見える。