Economics Review

No.14 政府の透明性(パート2) ―財政・金融政策の透明性―

鶴 光太郎
上席研究員

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1. イントロダクション

前回(パート1)は、国民が政府に対し有効な規律付けを行うため、政府の透明性こそが唯一、決定的に重要な条件であり、政官含めた国の「かたち」を大きく変革していく「突破口」になりうることを強調した。政府の透明性を論じるシリーズの2回目である本稿では、政府の透明性についての具体例を分析するため、財政の透明性(fiscal transparency)と中央銀行の透明性(central bank transparency)を取り上げることにする。

なぜ、財政金融政策の「透明性」に着目するのか。通常、財政金融政策はマクロ政策として考えられているが、その「透明性」に関わる制度や政策決定プロセスに光を当てることにより、通常の政策論議とは異なった視点から財政金融政策の有効性を論じることができるからである。第2は、国際比較が可能だからである。財政の透明性、中央銀行の透明性については、OECD諸国を中心に、さまざまな項目について透明性の程度を数値化した指標が作成され、国際比較を行った実証分析が近年いくつか出てきている。財政金融政策の透明性について、日本のレベルを諸外国のそれと比較することで、日本の透明性が先進国の間でどの程度のレベルか、特に、どの分野の透明性に問題があるのかを客観的に評価することが可能となる。本稿では、まず、財政の透明性について分析した後、中央銀行の透明性について議論する。最後に、両者に共通する問題を浮き彫りにしながら、財政金融政策の透明性向上のために何が必要なのかを検討することにする。

2. 財政の透明性

財政の透明性は、「依頼人」である国民が、財政当局、支出官庁、政治家など財政活動を担う「代理人」に対し、いかに規律を与えるかという文脈で考える必要がある。財政規律が問題になるのは、財政支出は制度的に放漫になりやすい傾向を持つためである。つまり、支出官庁や政治家が個々の支出プログラムを提案することは自分の官庁や選挙区のために利益になるが、そのコストは税金として広く薄く負担されるため、コストは内生化されず、そうした個別支出への増加圧力は大きくなり易いということである。これはモラル・ハザードの一形態として「コモン・プール問題」と呼ばれる(Weingast, Shepsle and Johnsen (1981), Chari and Cole, Chari, Jones and Marimon (1997))。政府や政治家は、私的利益追求のために予算を本来とは異なった目的で執行したり、過大な支出を隠したり正当化したりするためのトリックを作ろうとしがちである。財政の透明性の向上は、こうした行動を抑制し、財政活動を行う政府・政治家に対し有効な財政規律を与えることができると考えられる。

財政の透明性を巡る3つの視点:制度、会計、予測

財政の透明性を具体的に論じるにはさまざまな視点があるが、ここでは、「制度の透明性」(institutional transparency)、「会計の透明性」(accounting transparency)、「指標と予測の透明性」(transparency of indicators and projections)という3つの観点から包括的に論じた、Kopits and Craig (1998)に基づいて考えてみよう。

第1は、「制度の透明性」である。特に、予算プロセスにおいて、予算の立案・執行を行う「代理人」としての政府に対して、「依頼人」たる国民の利益にかなうよういかに有効な監視や規律付けを行うかがポイントになる。Kopits and Craig (1998)は、具体的に、予算案における財政目標と優先順位の説明、予算執行の透明性、パフォーマンス評価・財務監査の公表などを挙げるとともに、政府活動に広範な調査権限を持つ独立の監査機関設置を提案している。

第2は、「会計の透明性」である。政府の予算については、通常、予算書が議会に提出され、その情報は国民に詳細に公開されている。しかし、一国の政府の予算書は、当然のことながら非常に複雑であり、国民が容易に理解できるものとはいいがたい。さらに問題なのは、政治家や官僚が、予算書や予算制度を必要以上に「複雑」にしたり、「あいまい」な部分を残したりすることで、私的利益追求のための放漫な財政支出を隠すことが可能になることである。特に、中央政府の予算と他の財政部門、たとえば、地方政府や公的企業などの予算外(オフ・バジェット)部門との資金の複雑なやりとりを通じて、中央政府の財政赤字を少なく見せることはしばしば行われるトリックである。したがって、会計上では部門毎の内訳、部門間の資金のやりとりについて実態に即した形で総合的に情報提供することが「会計の透明性」において重要であるといえる。Kopits and Craig (1998)は、財務会計の対象範囲として、中央政府、地方政府の内訳も含んだ一般政府、社会保障基金などの予算外基金、および公的企業の擬似的財政活動まで含めるべきとしている。さらに会計の透明性向上のために必要な措置として、発生主義による記録(フローベースでのお金の流れのみに着目する現金主義はあくまで補足)、政府資産・債務(および純資産)の適切な評価、および歳出の経済主体別・機能別内訳、歳入内訳の明示、が列挙されている。

最後は、「指標と予測の透明性」である。政府や政治家が過大な財政支出を正当化するために典型的に使われる手法は、楽観的な経済予測に基づき、期待成長率、ひいては税収を過大に見積もることである。したがって、予算規模の妥当性の判断根拠になるマクロ経済の予測やそれぞれの政策の財政への影響は、意図的な楽観性を廃し、常に現実的な数字を国民に提供するという意味で「予測の透明性」が重要となる。また、そもそも現在の財政状況を国民の立場から適切に把握・分析するために必要な各種指標に関する情報も広範囲に提供される必要がある(「財政指標の透明性」)。Kopits and Craig (1998)は、財政バランスに関するいくつかの指標とグロスおよびネットの政府債務といった財政の直接的指標のみならず、構造的・循環的財政バランス、財政の持続可能性(債務を安定化させるプライマリー・バランスのレベル)、未積立債務の純価値などの財政の分析的指標の試算の公表も提案している。また、短期・中期・長期の財政予測を透明にするために、現実的な前提に基づくとともに、ベースライン・シナリオ(政策変化なしの場合)と政策変化を織り込んだシナリオを明確に区別することが挙げられている。

予算プロセス改革の前提条件ともなる透明性

財政に規律を与える方法としては、上記のように財政の透明性を高めることとともに、上記の「コモン・プール問題」に直接メスを入れる方法もある。いくつかの国で財政改革として実施され、一定の成果が出ている手法としては、第1に、数値目標を設定したり、予算均衡法を制定したりして強制的に赤字を削減するやり方がある。第2は、予算の意思決定プロセスにおいて(特定の産業や地域の利益を代弁しておらず、平均的納税者と同じ「選挙区」から選出されていると解釈できる)財務大臣や総理大臣などへの権限の集中化である(Alesina and Perotti (1999))。

しかし、いずれの予算プロセス改革を行うにしても、財政の透明性が確保されることが重要である。なぜなら、前者(強制的赤字削減)の場合、「会計上の小細工」(creative accounting)や楽観的経済予測を行うことで数値目標を満たすことは簡単に可能になるので、それを避けるために透明性の確保(情報開示)が必要だからである。後者(権限の集中化)については、たとえば、予算プロセスにおける権限を単独政権下での財務省に集中させるような場合、確かに財政の放漫化の原因となっている「コモン・プール問題」を非常に効率的に回避することができるであろう。しかし、財政支出に関わる権限が一部の組織に集中するということは、意思決定に必要な情報もそこに集中・偏在することを忘れてはならない。その場合、予算プロセス全体の透明性はかえって損なわれる懸念がある。なぜなら、多くのプレイヤーが予算プロセスに介在し、交渉を行う方が情報がより共有され、国民への透明性向上も図りやすいからである。したがって、予算プロセスにおける意思決定の集権化を行えば、財政の透明性向上にとりわけ努力を傾注させる必要があるのだ。

財政の透明性の国際比較

財政の制度・手続きに関するさまざまな指標を作成し、その財政パフォーマンスへの影響につき包括的・実証的分析を最初に行ったのはVon Hagen (1992), Von Hagen and Harden (1994)である。彼らの対象国はEU加盟国(8カ国)であり、その透明性の指標としては、主に、「会計の透明性」を取り上げている。具体的には、(1)特別会計が予算書に明示されているか、(2)予算書が一冊にまとまっているか、(3)財政の透明性に対する自己評価、(4)予算書と国民経済計算とのリンクがあるか、(5)政府から非政府部門への貸出が予算書に明示されているか、である。彼らの試算によれば、ドイツが最も透明性の高い国となっている一方、イタリアやアイルランドは最も透明性の低い国となっており、各国の債務比率などの財務パフォーマンスと概ね対応している。一方、Alesina, Hausmann, Hommes, and Stein (1999)は、ラテンアメリカ諸国を対象にして、同様に財政制度・手続きと財政パフォーマンスの関係をみた。ただし、彼らの使った透明性指標は、中央政府と他の機関との債務関係、地方・公営企業の財政自立度などであり、「会計の透明性」の一部をカバーするに止まっている。

一方、既存の分析が強調していた「会計の透明性」よりも、むしろ、「制度の透明性」や「指標と予測の透明性」に焦点を当て、日本も含めたOECD諸国(19カ国)を対象とし、かなり包括的な視点から以下の12項目について財政の透明性を実証分析しているのは、Alt and Lassen (2003)である。具体的には、(1)財政レポートの年度中監査、(2)経済前提条件の独立機関によるレビュー、(3)補正予算の年1回以上の提出(以上、「制度の透明性」)、(4)発生主義会計の採用、(5)非金融関連の財政パフォーマンスの予算書への記載(以上、「会計の透明性」)、(6)選挙前における財政予測の特別レポート公表、(7)長期財政予測の定期的公表、(8)偶発債務(contingent liabilities)の定期的な公表、 (9)翌年度以降の支出予測の予算書への記載義務、(10)事後的な予測と実績の乖離の記載義務、(11)主要な経済前提条件の違いによるインパクトの明示、(12)社会保障プログラム関係の発生主義的予測の定期的公表(以上、「指標と予測の透明性」)である。

それぞれの項目を集計した指標でみた場合(12点満点)、透明性の高い国としては、ニュージーランド(11)、アメリカ(9)、イギリス(8)、オーストラリア(6)などの英語圏の国が占めている一方、透明性の低い国としては、ベルギー(3)、ドイツ(3)、イタリア(3)、スイス(3)、デンマーク(3)、ノルウエー(2)などの大陸ヨーロッパ諸国が占め、日本の財政の透明性のレベルは最低(1)となっている。Von Hagen (1992)などと比較して、たとえばドイツは過小評価されているといったバイアスがあることに留意する必要はあるが、国別のクロス・セクションのデータを使った分析では、透明性指標の水準の高い国の債務水準は低い、または、財政支出水準も低いという関係が有意となっている。

Alt and Lassen (2003)の日本へのインプリケーションは、諸外国と比較しても、特に、「指標と予測の透明性」に関して相当向上の余地があるということである。この問題は本稿の最後に触れることにしたい。また、「会計の透明性」についても、Von Hagen (1992)が着目した、特別会計や国民経済計算とのリンクにおける透明性向上は日本にとって重要な政策課題といえる。なぜならば、日本の場合も、特別会計や財政投融資などの間の資金の流れが複雑であり、Von Hagen (1992)の分析では特別会計やオフ・バジェットを広範囲に使用しているため、最も透明性の低い国と分類されたイタリアと共通する部分があるからである。また、国民経済計算とのリンクについては、それが明示されていなければ、たとえば、予算での公共事業の増額がGDPベースでどのように公共投資に反映されるかが明らかでなく、マクロの財政政策の効果を分かりにくくしているという問題があるので、これも重要な課題といえる。

3. 中央銀行の透明性

中央銀行の透明性はなぜ必要か?

次に中央銀行の透明性について考えてみよう。中央銀行は公共的目的で運営されており、その機能として政府の銀行という役割を果たしたり、国によっては民間企業の株式に当たる出資金を全額政府が負担している場合もある。しかしながら、中央銀行は政府の一部というよりも、政府や議会と別個の主体であると考えられている。その公共的な性格を踏まえ、国民の意思を反映するべき政府や議会が中央銀行のトップ(総裁等)の任命などを通じて中央銀行のガバナンスを担っている。

したがって、ガバナンスと透明性の観点からいえば、政府・議会と中央銀行の情報の非対称性を解消することが中央銀行の透明性の向上に資するようにもみえる。しかし、中央銀行の場合、特殊なのは、以下で詳しくみるように、政府や議会が強いコントロールや干渉を行うようなガバナンスはむしろ望ましくないという点である。中央銀行に金融政策の権限を委譲し、一定の独立性を付与することが適当であるという考え方(中央銀行の独立性)が現在では国際的にも主流であり、日本においても、98年に施行された新日銀法はこうした考え方に則ったものである。したがって、独立性を付与する見返りとして、中央銀行の更なる透明性や説明責任が求められているところが、通常の公的組織の透明性とは異なる部分である。

中央銀行にはなぜ、独立性が付与されるべきであるのか。それは、金融政策決定に当たっては複雑かつ技術的な専門性(Stiglitz(1998, 2001))とともに長期的な視点が必要であり(Blinder (1998))、目先の利益を追いがちな政治的干渉によって望ましい政策が遂行できないリスクは、他の公共政策に比べても高いためである。金融政策決定の権限を中央銀行に委譲し、独立性を付与することでそうした干渉や圧力を排除できる。特に、金融政策の場合、政策手段は基本的に短期金利の誘導であるが、その幅やタイミング決定はかなり専門性を有する政策判断であるにもかかわらず、実際に行うことは金利の上げ下げという単純な手法である。加えて、金融政策変更に伴うコストは比較的広く薄く負担される。こうした金融政策の特徴が、政策コストを考えずに単純に金融緩和を要求するといった「政治家の横槍」を受けやすくしていることも、中央銀行の独立性を担保しなければならない重要な視点である。

一方、中央銀行に独立性を付与すれば、政府や議会の直接的なガバナンス機能が弱まることは明白である。独立性が付与されたとしても、それは中央銀行に対するガバナンス・メカニズムが一切不要になることを意味しない。中央銀行が独善に陥らないためのチェック機能は必要だ。この場合、ガバナンス機能を補完するのは、国民や金融市場参加者など不特定多数の主体である。彼らの「声」によるガバナンスが機能するための重要な前提条件が、中央銀行の透明性や説明責任なのである。つまり、中央銀行の透明性、情報開示はその独立性を付与するための条件として、通常の公的機関以上に徹底させるべきものである。

中央銀行の透明性を巡る5つの視点

財政の透明性同様、中央銀行の透明性を分析する視点は多様であるが(たとえば、Fry et al. (2000)参照)、政策決定プロセスのそれぞれの段階に着目することでGeraats(2002)は、以下のように透明性に関する5つの視点を提供した。また、Eijffinger and Gerrats (2002)は、日本を含む先進国9カ国について、この5つの透明性の視点を更に3項目に分けて具体的な透明性の程度を判断し、5つの視点ごとに集計、更には、すべての視点を合計した総合的な透明性の指標(15点満点)を作成している。

  • 「政治的透明性」(political transparency):政策目的や金融政策担当者の動機付けが明確化された制度的な取り決めの開示(正式な政策目標、数量的なターゲット、独立性を担保する政府との取り決め)
  • 「経済的透明性」(economic transparency):金融政策決定に利用される経済情報に関する開示(金融政策に必要なデータのタイムリーな発表、政策に利用するマクロ・モデルの公表、中央銀行による物価上昇率や成長率の予測の公表)。
  • 「手続きの透明性」(procedural transparency):どのようにして金融政策が決定されたか、その過程や議論の開示(明示的な金融政策戦略、政策決定プロセスの議事録公表、政策決定における個々のメンバーの投票結果の公表)。
  • 「政策の透明性」(policy transparency):決定された政策の開示(政策決定の迅速な公表、決定された政策の説明、将来のありうるべき政策の明示)。
  • 「実施の透明性」(operational transparency):金融政策遂行に関する開示(操作変数のコントロール・エラー、金融政策の波及過程で予測できなかったマクロ的かく乱要因、マクロの経済目標からみた政策評価)
中央銀行の透明性の国際比較

Eijffinger and Gerrats (2002)が作成した指標に基づき、9カ国の透明性のレベルをみると(図)、透明性の高い国は、ニュージーランド(13.5)、イギリス(12.5)、スウエーデン(12)である。財政の透明性の場合と同様、ニュージーランドとイギリスの透明性がかなり高いが、アメリカの透明性は中程度、オーストラリアは低い部類に入るなど、英語圏の国の透明性が高いという傾向は財政の透明性の場合ほど明確ではない。一方、透明性の低い国は、スイス(7.5)、日本(8)、オーストラリア(8)であり、財政の透明性と同様、日本は最も透明性の低い国の部類に入ることになる。5つの透明性の指標をみると、ある指標で透明性の高い国は、他の指標での透明性も高いという具合に、基本的にバランスが取れている。例外的なのはアメリカである。「経済的透明性」(2.5)、「政策の透明性」(3)のレベルはそれぞれ9カ国中、最高であるにも関わらず、「政治的透明性」(1)は最低のレベルとなっている。アメリカの「政治的透明性」が低いのは、政策目標が多面的で明示的な重点化がされていない、インフレ―目標などの数値目標を設定していない、さらには独立性を担保する明示的な取り決めがないためである。

図 中央銀行の透明性の国際比較
日本銀行の透明性

一方、日本の透明性をみると、どの指標をみても概ね低い水準であるが、「手続きの透明性」では2ポイントと比較的高い水準となっている。これは政策決定会合の議事録や投票結果がわりと迅速に公表されていることが評価されているためである。一方、「政治的透明性」については、アメリカについで低い水準(1.5)であり、「政策の透明性」も他のいくつかの国と並んで最も低い部類(1.5)に入るため、Eijffinger and Gerrats (2002)は、最近の日本銀行の透明性向上に一定の評価を与えながらも、この2つの分野の透明性向上に余地があることを強調している。

透明性向上のための一手法としてのインフレ目標設定

Eijffinger and Gerrats (2002)の透明性の指標については、インフレ目標を採用している国は、「政治的透明性」が満点になるとともに、「手続きの透明性」にもカウントされるため、全体的に高くなるというバイアスがあることは否めない。しかし、インフレ目標設定も、あくまで、中央銀行の透明性を向上させる1つの手法に過ぎないという理解が重要である。確かに、インフレ目標を設定している国はそれ以外の分野の透明性指標も高いという傾向はあるものの、アメリカのような例外もある。したがって、日本銀行もインフレ目標を設定しなくても、アメリカの連邦準備制度並に他の分野での透明性を向上させていくことは十分可能であるし、それにより良好な金融政策のパフォーマンスを示すことはできよう。実際、90年代、インフレ目標を設定した国と設定していない国を比較した実証分析をみても、さまざまな他の要因をコントロールしてしまえば、そのマクロ・パフォーマンスにはあまり差異がないことが明らかとなっている(Neumann and Von Hagen (2002), Ball and Sheridan (2003))。逆に、日本銀行にとっては、インフレ目標を設定しないのであれば、全体の透明性レベルを向上させるために、他の分野での透明性向上努力が必須であるといえる。

4. 財政金融政策の透明性向上を目指して

以上、財政と中央銀行の透明性について、それぞれ日本を含む国際比較の実証分析を紹介した。透明性の指標の選択にはさまざまな考え方があり、その数値化にも主観が入りうる。したがって、その結果については十分幅を持って解釈すべきであろうが、財政、中央銀行共に、日本の透明性が先進諸国の中でも最低の部類に属するという事実は、真摯に受け止める必要がある。もちろん、指標の選び方で日本の数字が低く出るバイアスがあるかもしれないが、逆に、日本の場合、どこの分野の透明性が問題であるかを明示しているという意味で有益な情報を提供しているといえる。

財政と金融政策双方の透明性に関する論点と国際比較の結果から、日本の問題点として共通して浮かび上がってくる事項は、決定された政策自体の説明に関する透明性はある程度確保されているものの、(1)「予測・政策の前提」(および現状認識のための分析)、(2)「予測や将来の政策方向」、(3)「予測・政策効果の事後評価」、についての透明性向上が遅れているという点である。財政の透明性については、こうした項目は「指標と予測の透明性」に分類されており、国際的にみてもその透明性は非常に低いことはこれまでみた通りである。中央銀行の透明性の場合は、たとえば、政策分析や予測の参考にするマクロ経済モデルが公表されていないこと、経済予測も公表されているが年2回の頻度に止まっていること、将来の政策方向が公表されていないこと、さらには、操作目標、予測、政策目標が達成されたかどうかの事後評価が行われていないことが、日銀の透明性の問題点としてEijffinger and Gerrats (2002)から指摘されていることからも明確である。

求められる「政策の無誤謬神話」からの決別

予測を示し、将来の政策を語ることは政策当局にとっては常にリスクが伴うものである。将来への見方は元来多様であるし、政策当局は自ら制御できない環境変化に常にさらされているためである。政策当局が「失敗することは許されない」という「政策の無誤謬神話」に縛られている場合、なるべく「予測や将来の政策方向」にはコミットしたくはないであろう。また、当然、「予測・政策の前提条件」といった「手の内」は見せたくないであろうし、自分の失敗を認めざるを得ないような「予測・政策効果の事後評価」を行うインセンティブがないのも当然である。

このような分野での透明性を向上させるためには、政策当局者に透明性の向上を説くばかりでなく、政策当局者、さらには、国民が前回のレビューでも論じたように「政策の無誤謬神話」から抜け出すことがまず必要である。予測も政策効果もそれが当初の期待とは異なるという意味で「外れる」ことを恐れてはいけない。問題なのは、それを隠そうとしたり、間違うことを恐れて、マクロ経済政策の根幹ともいえる政策当局者の将来に対する見方・分析("forward looking analysis")を国民へ積極的に伝えることに対し消極的になったりすることである。むしろ、予測が外れたり、政策が失敗したりしてもその原因がなんであったのかを丹念に分析する事後評価をしっかり行うことが重要である。また、事後評価を行うためには、「予測・政策の前提条件」を事前にはっきりと開示しておくことが大切である。なぜなら、前提条件が明示されてあれば、結果が予想と異なったのはどの前提に問題があったのかが分かるからである。

こうして、政策当局が予測・政策の前提条件をしっかり開示し、予測と将来の政策方向を明示し、最後にそれらを事後評価するというプロセスを徹底化していけば、国民の政策当局に対する信頼も高まっていき、当局も政策の失敗を隠したり、あいまいにしたりする必要はなくなる。また、第三者による政策評価も容易になるため、政策当局の透明性向上は、他の機関の政策提言を活発化させるなどの「政策の競争」(policy competition)も活発化させ、「政策の質」を向上させることが期待できる。以上のように、「政策の無誤謬神話」から脱皮し、将来を見据えた(forward looking)政策・分析の透明性を向上させることは、政策意図がより明確に国民に伝わるとともに、「政策の質」を向上させ、より望ましい政策効果が期待できるのである。金融政策の透明性向上を行う主体は、国内の場合、もちろん日本銀行であるが、財政政策の場合、「指標と予測の透明性」を向上させるための各種方策は、財務省ではなく、経済財政諮問会議が担っていく、つまり、財政政策だけでなく、政府の経済政策全体の透明性を高めるための独立した機関として位置付けることも検討に値すると考えられる。

2003年7月22日

2003年7月22日掲載

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