中国は、2005年から、従来の対ドル安定に重点を置いた為替政策(いわゆるドルペッグ制)から、人民元の変動相場制への移行を模索してきた。それに向けて、認められる毎日の変動幅は、当局が発表する「人民元の対ドル中間レート」(以下では「中間レート」)の上下0.3%から段階的に同上下2%に広げられた。また、中間レートの設定に当たり、市場の需給関係を反映した前日の終値と、主要通貨の対ドルの変動を考慮した「通貨バスケットの変動に応じた調整」(以下では、「通貨バスケット調整」)も強調されるようになった。ここでは、定着しつつある「前日終値+通貨バスケット調整」方式を軸に、中間レートの決定要因を分析する。
1.「前日終値+通貨バスケット調整」方式とは
近年、中国人民銀行は、人民元の中間レート(基準値)の形成メカニズムの整備に取り組んできた。特に、2015年8月11日に、市場の実勢を反映させるために、中間レートを引き下げて人民元安を誘導すると同時に、それ以降、中間レートを決める際、市場の前日の終値を参考することを強調した。また、通貨バスケットを参考する度合いを強め、人民元の通貨バスケットに対する安定性を高めるために、2015年12月11日に、中国外貨取引センター(CFETS)は、一種の「通貨バスケットレート」として、人民元の13ヵ国・地域の通貨からなる通貨バスケットに対する価値を示す「CFETS人民元レート指数」を導入した。これに基づき、「前日終値+通貨バスケット調整」方式という中間レートの形成メカニズムが確立されつつある。その具体的内容について、中国人民銀行は、次のように説明している(「貨幣政策執行報告」2016年第1四半期、2016年5月6日)。
当局が毎朝発表する中間レートは、マーケットメイカー(銀行間の人民元レート値決め行として中国人民銀行および外貨取引センターに指定されている金融機関)によって提出される見積もりをベースに計算される。マーケットメイカーは中間レートを見積もる際に、「前日終値」と「通貨バスケット調整」を同時に考慮しなければならない。「前日終値」とは、前日16時30分に銀行間取引市場における人民元対ドルレートの終値であり、主に外為市場の需給状況を反映する数値である。「通貨バスケット調整」とは、バスケットを構成する通貨が変動する中で、人民元の対通貨バスケットの価値(例えば、CFETS人民元レート指数)を前日の水準に保つために必要となる人民元の対ドルレートの調整幅である。
毎日、銀行間取引市場が始まる前に、各マーケットメイカーが前日から当日にかけての通貨バスケットの変動に基づき、人民元の対通貨バスケットの安定を保つために必要となる人民元の対ドルレートの調整幅を計算し、それを前日の終値に上乗せ、当日の中間レートを見積もる。各マーケットメイカーは、CFETS人民元レート指数、国際決済銀行(BIS)の人民元実効為替レート、そして通貨単位としての国際通貨基金(IMF)のSDR(特別引出権)という三つの通貨バスケットを参照しながら、それぞれの判断を下したため、見積もりが異なる。中国外貨取引センターは、マーケットメイカーが送ってきた見積もりから、最高値と最低値を除いてから、その平均値を当日の中間レートとして、9時15分に発表する。
数字例に沿って説明すると、前日の人民元の対ドル中間レート基準値を6.5000元、前日の終値を6.4950元、当日の通貨バスケットレート(例えば、CFETS人民元レート指数)を前日の水準に維持するために人民元の対ドルレートを100ベーシスポイント(bp, 1bp=0.0001元)の切り上げが必要である場合、マーケットメイカーの中間レートの見積もりは6.4850元となり、前日の中間レートより150bp高くなる。そのうち、50bpは市場の需給の変化を、100bpは通貨バスケットの変動に応じた調整を反映する(図1)。このように、人民元の中間レートの変動は、通貨バスケットの変動と市場実勢を両方反映することができるという。
2.通貨バスケット方式とは
中間レートの重要な決定要因となった「通貨バスケット調整」のメカニズムは、「通貨バスケット制」(またはバスケットペッグ制)と類似している。「通貨バスケット」は、複数の通貨によって構成され、それに占める各構成通貨のウェイトが合わせて100%になるように予め決められている。その典型例として、中国当局が人民元の中間レートを決める際に参考しているCFETS人民元レート指数、BISの人民元の実効為替レート、そしてSDRが挙げられる(表1)。通貨バスケット制を採用する国では、当局は自国通貨の特定の通貨バスケットに対する価値(通貨バスケットレート)を一定の水準に維持するために、バスケットを構成する各通貨の対ドル変動率とウェイトに合わせて、自国通貨の対ドルレートを調整する(図2)。
CFETS人民元 レート指数 |
BIS人民元 実効為替レート |
SDR(注1) | 参考:CFETS 人民元レート指数の 修正版(注2) |
|
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ドル | 26.40 | 17.76 | 41.90 | 55.84 |
ユーロ | 21.39 | 18.67 | 37.40 | 12.83 |
日本円 | 14.68 | 14.13 | 9.40 | 8.81 |
英ポンド | 3.86 | 2.91 | 11.30 | 2.32 |
香港ドル | 6.55 | 0.81 | - | 3.93 |
豪ドル | 6.27 | 1.47 | - | 3.76 |
ニュージーランド・ドル | 0.65 | 0.21 | - | 0.39 |
シンガポール・ドル | 3.82 | 2.74 | - | 2.29 |
スイス・フラン | 1.51 | 1.37 | - | 0.91 |
カナダ・ドル | 2.53 | 2.12 | - | 1.52 |
マレーシア・リンギ | 4.67 | 2.15 | - | 2.80 |
ロシア・ルーブル | 4.36 | 1.76 | - | 2.62 |
タイ・バーツ | 3.33 | 2.15 | - | 2.00 |
韓国ウォン | - | 8.47 | - | - |
台湾ドル | - | 5.60 | - | - |
その他 | - | 17.68 | - | - |
計 | 100 | 100 | 100 | 100 |
(注1)中国の人民元は2016年10月にSDRの構成通貨に加わることになっているが、ここでの数字は前回(2010年)の調整を反映したウェイトを示している。 | ||||
(注2)当局によって実際参考されている通貨バスケットの構成は、CFETS人民元レート指数の修正版に近いと思われる。 | ||||
(出所)中国外貨取引センター(CFETS)、BIS、IMFより作成 |
例えば、人民元の対ドルレートを決める際に基準となる通貨バスケットに占めるユーロとドルのウェイトがそれぞれ30%と70%だとしよう。その場合、ユーロがドルに対して10%上昇する時に、人民元がドルに対して3%(10%×30%)上昇するように当局によって調整され、その結果、人民元はユーロに対して7%下落することになる。このように、ドルに対して、人民元が30%の割合でユーロと連動する。ドル・ペッグ制と比べて、対ドルが不安定になる(変わらずから3%上昇へ)が、対ユーロが安定化する(10%の下落から7%の下落へ)。逆に、ユーロがドルに対して10%下落する時に、人民元が3%対ドル下落するように当局によって調整され、その結果、人民元はユーロに対して7%上昇することになる(注1)。このように、ユーロの対ドルレートが変動しても、人民元の通貨バスケットに対する価値は変わらない(10%ユーロ高の時、-7%×30%+3%×70%=0、10%ユーロ安の時、7%×30%-3%×70%=0)(注2)。
3.「前日終値+通貨バスケット調整」方式の実態
「前日終値+通貨バスケット調整」方式の実態を解明するために、ここでは、人民元の切り下げが実施された2015年8月11日以降の期間を対象に、次の二つ仮説に基づいて、中間レートの決定要因を分析する。
(仮説一)「前日終値」方式:
当日の中間レート=前日の終値 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 式①
(仮説二)「前日終値+通貨バスケット調整」方式:
当日の中間レート=前日の終値+通貨バスケットの変動に応じた調整幅
⇒当日の中間レート-前日の終値=通貨バスケットの変動に応じた調整幅・・・・ 式②
式①と式②において、左側は実績値、右側は仮説に沿って算出される理論値(シミュレーションの結果)に当たる。両者の差(実績値の理論値からの乖離)は、それぞれの仮説により説明されない誤差となり、その絶対値が小さいほど、仮説の説明力が高いことになる(図3、図4)。
仮説二を検証するに当たり、当局が最も重視すると思われるCFETS人民元レート指数をベースに、前節で述べた当局の説明に従って、バスケットの変動に応じた調整幅の理論値を算出した(注3)。その際、構成通貨の対ドルレートとその前日比の変化(中国市場で取引終了後の海外市場での変化を含む)は、中国外貨取引センターが毎朝発表する人民元の対各通貨の中間レートに基づいて計算した(注4)。なお、前節の説明では、為替の変化を、「変化率」(%)で表したが、ここでは、当局の説明に合わせるために、「変化幅」(bp)に換算した。
分析の対象となる時期は、両仮説の誤差の変化から判断して、次の三つのサブ期間に分けることができる。
まず、2015年8月11日から2016年1月7日の第1期においては、「前日終値+通貨バスケット調整」方式よりも「前日終値」方式の方が誤差(絶対値)が小さく、説明力が高い。このことは、中間レートの決定に当たり、主に前日の終値が参考となり、通貨バスケットの変動があまり考慮されていないことを示している。
次に、2016年1月8日から2月15日までの第2期では、「前日終値」方式と「前日終値+通貨バスケット調整」方式のいずれも誤差(絶対値)が大きく、仮説としての説明力が低い。この期間において、人民元の中間レートは一貫して前日の終値より元高の方向で決められた(平均、265bpの元高)。これは、高まる人民元の切り下げ期待を抑えるために当局が採った緊急対応策であると見られる。
そして、2016年2月16日から2016年7月29日までの第3期では、第1期とは逆に、「前日終値」方式よりも「前日終値+通貨バスケット調整」方式の方が誤差(絶対値)が小さく、説明力が高い。このように、第3期において、「前日終値+通貨バスケット調整」方式は定着していると言える。しかし、誤差は完全になくなったわけではない。その上、図4から読み取れるように、「当日の中間レート-前日の終値」(実績値)は、「通貨バスケットの変動に応じた調整幅」(理論値)と強く相関しているが、前者は後者より小さいという傾向が見られる。実際、式②に沿って、「当日の中間レート-前日の終値」を被説明変数、「通貨バスケットの変動に応じた調整幅」を説明変数として回帰分析してみると、
「当日の中間レート-前日の終値」
=-6.01 + 0.60×「通貨バスケットの変動に応じた調整幅」
(-1.81) (35.62)
( )内はt値 =0.92
推計期間:2016年2月16日〜2016年7月29日
という結果が得られた。0.60という回帰係数が示しているように、「通貨バスケットの変動に応じた調整幅」(理論値)の1bpの上昇に対して、「当日の中間レート-前日の終値」(実績値)の上昇は0.6bpにとどまっている。この推計結果から推測すると、中間レートを決定する際に実際参考されていると思われる通貨バスケットにおいて、ドル以外の各通貨のウェイトは試算のベースとしているCFETS人民元レート指数に占める同ウェイトの6割程度しかなく、逆に、ドルのウェイトはCFETS人民元レート指数に占める同ウェイトよりはるかに高いことになる(仮説三)。
仮説三を検証するために、まず、各通貨のウェイトを、「ドル以外の通貨に関してはそれぞれCFETS人民元レート指数のウェイトの0.6倍にし、これによって減らされるウェイトをドルに上乗せる」という形で修正した。これによって得られたCFETS人民元レート指数の修正版における通貨構成は、修正前と比べて、ドル以外の通貨のウェイトが73.60%から44.16%に低下する一方で、ドルのウェイトが逆に26.40%から55.84%に上昇している(表1参照)。この修正版をベースに、「通貨バスケットの変動に応じた調整幅」(理論値)を新たに試算した。それによって得られた理論値と実績値(「当日の中間レート-前日の終値」)との間の誤差(絶対値)が、特に第3期において、他の二つの仮説より小さく、その分だけ仮説の説明力は高いと言える(図5)。
4.未完の為替改革
中国は2005年以降、人民元レートの柔軟化を目指す為替改革を進めてきたが、その歩調は極めて遅いと言わざるを得ない。2016年2月中旬以降、「前日終値+通貨バスケット調整」方式が実施されることで、人民元の中間レート、ひいては市場レートは、市場の需給と主要通貨間の為替レートの変動をある程度反映し、均衡レートからの乖離が抑えられるようになった。
しかし、それでも、何らかのショックにより人民元が強い上昇または下落の圧力に晒される場合、市場レートを中間レートの上下2%という制限幅に抑え込むために、当局による為替介入が必要である。それに伴って、外貨準備とともに貨幣供給も変動する(ドル買い・人民元売りの場合は貨幣供給量が拡大し、ドル売り・人民元買いの場合は貨幣供給量が減少する)ため、金融政策の独立性は依然として制約されている。
為替介入と貨幣供給の間のリンクを断ち切り、ひいては金融政策の独立性を高めるために、中国は、最終的には、当局が中間レートの発表を止め、原則として為替介入を行なわない「完全変動相場制」に移行しなければならない。人民元レートの柔軟性を高めた「前日終値+通貨バスケット調整」方式の実施は、それに向けた一歩であると言える。