中国経済新論:実事求是

空洞化を乗り越えるための方策

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

(『あらたにす』新聞案内人 2012年1月6日掲載)

「雁行的経済発展」による示唆

日本では、近年、中国を始めとするアジア諸国の追い上げを背景に、対外直接投資が急増しており、「産業の空洞化」が懸念されている。高い法人税率や労働コスト、厳しい温暖化ガスの削減目標、自由貿易協定の遅れ、超円高、震災後の電力不足といった国内企業が抱える「六重苦」もこの流れに拍車にかけている《「空洞化と日本経済① 『六重苦』、国内の設備投資に逆風」(ゼミナール)、日本経済新聞、2011年12月19日付》。日本は経済の活力を取り戻すべく、産業の空洞化なき高度化を目指さなければならないが、その際、戦後にアジア地域との共存共栄をもたらした「雁行的経済発展」の経験が一つの参考になる。

雁行的経済発展は関係国における新産業の育成と衰退産業の海外移転の同時進行に特徴づけられる。この過程において、各国は自らの発展段階に応じ、それぞれ比較優位のある製品を輸出しながら、産業の高度化を目指す。追い上げる国も、追い上げられる国も、積極的に産業構造調整を進めていくことが、アジア地域全体のダイナミックな発展の原動力となっている。日本がアジアにおける雁行のリーダーとしての地位を維持するためには、次の対策が求められる。

旧産業の保護よりも新産業の育成

まず、「旧産業の保護」よりも「新産業の育成」に力を入れなければならなない。その対象を製造業に限定せず、雇用創出力の大きいサービス部門にも注目すべきである。経済のサービス化・脱工業化は経済の先進国化に伴う現象であり、空洞化と区別しなければならない。日本は、従来の製造業という枠にとらわれず、経済の情報化、ソフト化、ネットワーク化の流れに沿って、新しい産業分野の開拓を目指すべきである。他の先進国と比べて、日本のサービス産業の生産性は依然として低く、規制緩和の進展次第では大いに伸びる可能性がある。新しい産業を育てる環境整備として、新規参入や競争を阻害するような規制を早急に撤廃すると同時に、労働をはじめとする生産要素を輸入制限や補助金などにより衰退産業に固定させるのでなく、新しい産業へ円滑に向かわせるような政策が求められる。

しかし、「旧産業の保護よりも新産業の育成」という方針が総論として支持されても、いざ各論になると、政策の実施によって損を被る人々に反対されるため、それを徹底させることは極めて困難である。実際、1990年以降バブルが崩壊してから巨額の財政資金が景気対策に使われてきたが、その大半は新しい産業の育成よりも、農業や建設業などの衰退産業を守るために費やされている。また、「コンクリートから人へ」という理念を掲げて誕生した民主党政権でさえ、最近、衆院選政権公約(マニフェスト)を撤回して八ッ場ダムの建設継続を決めたように、現状を変えていくことは困難である。総論賛成・各論反対の壁を乗り越えるためには、政治の強いリーダーシップだけでなく、改革によって損を被る人々への補償策を用意することも求められる。

対外直接投資よりも対内直接投資の促進

また、空洞化なき高度化を実現するために、日本は、海外からの直接投資を積極的に受け入れるべきである。外資企業の参入により、技術と経営資源の移転のみならず、雇用の創出と競争の促進も期待できる。実際、ルノーの傘下に入った日産がカルロス・ゴーン社長のもとで見事に復活したことに象徴されるように、外資の導入を機に企業が活力を取り戻した例がすでにある。

これまで対日投資は欧米企業を中心に行われてきた。近年になって、中国企業の実力の向上に加え、中国政府による政策面からの支援もあり、中国企業の対外直接投資が急増しており、中でも、製造業やサービス業におけるM&A(合併・買収)を中心に、対日投資も目立つようになった。中国企業にとって、対日投資は、技術やブランドなどを獲得するための有効な手段であり、日本企業にとっても、資金面の支援に加え、急成長する中国市場への足がかりを得られるというメリットが大きい。

しかし、現段階では、日本の直接投資受入額は、世界的に見て極めて低い。国連貿易開発会議(UNCTAD)によると、2010年現在、直接投資受入額(ストック・ベース)は、中国がGDPの9.9%、対外直接投資の約倍に当たる5,788億ドル、米国がGDPの23.5%、対外直接投資の約7割に当たる3兆4,514億ドルに達しているのに対して、日本の場合GDPの3.9%、対外直接投資の約4分の1に当たる2,149億ドルにとどまっている。人件費や税金をはじめとするビジネスコストが高いことや、現在の法制度ではM&Aが困難であることなどは外資企業による対日投資の妨げとなっており、その改善が望まれる。

現地生産よりも日本からの輸出による市場アクセス

さらに、日本企業が国内で生産しながら、輸出を通じて海外市場にアクセスできるように、政府は、自由貿易協定(FTA)などを推進することを通じて、自由貿易の環境を整えなければならない。中でも、成長の目覚ましい中国とのFTAの締結が急務となる。

日本企業にとって、中国は単なる生産基地だけでなく、米国に匹敵する最終製品の市場として浮上している。本来であれば、中国市場にアクセスするために、必ずしも中国での現地生産にこだわる必要はない。なぜならば、中国は賃金水準が日本よりはるかに低いからといって、すべてのものが日本より安く生産できるわけではなく、特にハイテク産業に関しては、日本で生産し、中国に輸出しても十分競争力を持っているはずだからである。しかし、実際には、一部の分野において、日本で生産したほうがコストが安いにもかかわらず、貿易障壁が存在するゆえに、企業は「日本で生産し、中国向けに輸出する」ことから「中国での現地生産、現地販売」に切り替えざるを得ない。中国の輸入関税が25%と高く設定されている自動車は、その典型例である。このように、貿易障壁の存在は、日本の産業の空洞化を招く原因の一つにもなっている。

対中輸出が現地生産によって代替されないために、日本は中国とFTAを締結することを通じて、貿易の妨げとなる関税などの障壁を除去しなければならない。日中FTAができれば、日本で生産しても、自由に中国向けに輸出できるようになり、日本の基幹産業はわざわざリスクを負って中国に進出する必要がなくなる。これにより、多くの付加価値の高い雇用が国内で創出されることになる。このように、日本にとって、中国とのFTAは空洞化対策を超えて、有効な成長戦略にもなる。むろん、FTAの対象国を中国に限定せず、他のアジアの国々や米国にも広げることになれば、国際分業から得られる利益がさらに大きくなるだろう。

2012年1月10日掲載

関連記事

2012年1月10日掲載