中国経済新論:実事求是

自動車産業の中国シフトと空洞化問題

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

(『あらたにす』新聞案内人 2011年8月9日掲載)

日産自動車は、7月26日に発表した中国事業の中期経営計画で、2011-15年の5年間で総額500億人民元(約6,100億円)を投資し、2015年の現地での生産・販売台数の目標を2011年より約100万台多い230万台以上に引き上げる方針を示した(2011年7月27日日経、朝日、読売各紙の朝刊)。トヨタ自動車も中国に400億円を投資し、100万円以下の新興国向け戦略小型車を生産する予定である(2011年7月29日、日本経済新聞、9面)。成長の著しい中国市場の開拓に積極的に取り組むという自動車メーカーの姿勢は評価できる半面、日本の基幹産業である自動車まで生産拠点を中国に移してしまうことにより、産業の空洞化がさらに加速する恐れがある。産業の空洞化を避けながら、中国経済の活力を活かすことは、長期低迷に陥った日本経済にとって、再生に向けた重要な課題となる。

「良い直接投資」vs.「悪い直接投資」

近年、日本企業の対外直接投資の増大が国内産業の空洞化の原因とされ、中でも中国への投資が問題視されている。本来、市場経済がうまく機能していれば、企業の海外進出は資源の効率的配分を促進するはずである。それにもかかわらず、空洞化が起こるのであれば、その原因は日本国内における過剰な規制による高コスト構造に加え、貿易相手国における貿易障壁といった市場への介入に求めるべきである。

日本の対外直接投資は、生産コスト・輸出重視型と貿易障壁・摩擦回避型の二つに大別されるが、前者よりも後者のほうが産業空洞化につながりやすい。生産コスト・輸出重視型の直接投資は、海外で有利な生産要素を確保することで生産コストを削減し、輸出競争力を強化することを目的としている。例えば、多くの日系企業は、安い労働力を求めて中国に生産拠点を作り、主にその製品を現地で販売するよりも日本や第三国へ輸出している。このような投資は、資源配分の効率性の改善をもたらし、投資国と受入国の双方にとってまさにウィン・ウィン・ゲームである。

これに対して、貿易障壁・摩擦回避型の直接投資は、日本からの輸出が相手国の輸入制限によって妨げられるため、現地で生産せざるをえない状況で行われる。それによって形成される分業体制は、投資する側と受け入れる側の双方の比較優位に反しているため、資源配分が歪められる。生産コスト・輸出重視型の直接投資が資源の効率的配分を促す「良い直接投資」であるのに対し、貿易障壁・摩擦回避型の直接投資は効率低下、ひいては産業空洞化を招きかねない「悪い直接投資」に当たる。

「悪い直接投資」としての自動車メーカーの中国進出

日系自動車メーカーの対中進出は、貿易障壁・摩擦回避型の直接投資の典型例と言える。2010年の中国における自動車の生産台数と販売台数はいずれも1,800万台を超え、それぞれ日米の合計を上回っている。中国の自動車市場は、今後さらに拡大していくだろうが、それにアクセスするためには、現地生産を行うだけではなく、「日本で生産し、中国向けに輸出する」という選択肢もあるはずである。しかし、中国の自動車の関税率は、2001年のWTO加盟以降引き下げられたとは言え、依然として25%という高水準にある。高関税という壁を乗り越えるために、日本メーカーは日本で品質のいい車が安く作れるにもかかわらず、現地生産に踏み切らざるをえないのである。その結果、「日本で生産し、中国向けに輸出する」場合と比べ、自分の得意な分野における雇用が減り、国内産業が空洞化してしまうのである。

残念ながら、日本における空洞化を巡る議論では、このような観点が全く欠けている。すなわち、日本がもはや比較優位を持たない産業の古い工場を畳んで中国に持っていくと、従業員が解雇されるため、深刻な空洞化問題として騒がれる。これに対して、自動車などの日本がまだ比較優位を持っている分野の企業が中国での生産を拡大していくと、逆に市場開拓の努力として評価され、反対する声は皆無なのである。この直接投資の本質に対する誤った認識は、輸入制限などによる衰退産業の保護につながる一方、産業の高度化を遅らせているのである。

空洞化対策としての中国との自由貿易協定

日本は空洞化なき高度化を目指すべく、良い直接投資を促進する一方で、悪い直接投資を防がなければならない。そのためには、自由な貿易環境が是非とも必要である。日中両国の間にFTAができたら、関税に妨げられることなくお互いの優位性を活用する基盤が築かれることになる。日中FTAが実現し、日本で生産しても自由に中国向けに輸出できるようになれば、自動車をはじめとする日本の基幹産業はわざわざリスクを負って中国に進出する必要がなくなり、国内の付加価値の高い分野において、多くの雇用機会、しかも賃金の高い「グッド・ジョブ」が創出されることになる。これにより、産業の空洞化を免れることができるのである。

その上、①中国が米国に取って代わって日本の最大の貿易相手国となったこと②日中両国の貿易構造が日米両国のそれより補完的になっていること③中国の輸入関税が米国より高いゆえに引き下げの余地が大きいこと――を反映して、日本にとって、中国とFTAを組んだ方が、米国と組むよりも、貿易創出効果、ひいてはGDPの押し上げ効果は大きいという試算がある(「今こそ開国①『貿易立国』が復興けん引」、日本経済新聞、2011年7月28日、5面)。このように、日本にとって、日中FTAは空洞化対策を超えて、有効な成長戦略でもある。

2011年8月10日掲載

関連記事

2011年8月10日掲載