中国経済新論:実事求是

中国のインフレの行方

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

(『あらたにす』新聞案内人 2011年7月14日掲載)

中国でインフレが加速している。6月には前年比6.4%と、2008年6月以来の高水準に達しており、4%以下という政府が掲げる2011年の年間目標の達成は難しくなっている。インフレの動向は、今後の金融政策のスタンス、ひいては景気の行方を左右するだけに、大きく注目されている。

今回のインフレの上昇は、景気過熱という循環要因に加え、労働力が過剰から不足に転じたという構造要因をも反映している。

好況と食料価格の上昇

中国経済は減速しているが、過熱の解消にはまだ至っていない。2008年9月のリーマンショックを受けて、中国経済は輸出が大幅に落ち込み、景気後退を余儀なくされたが、4兆人民元に上る内需拡大策や、大幅な金利と預金準備率の引き下げをはじめとする拡張的財政・金融政策が実施されたことを受けて、急回復した。それを背景に、インフレ率も2009年7月のマイナス1.8%を底に上昇傾向に転じた。実質GDP成長率は2010年第1四半期に11.9%に達した後、緩やかに低下しているが、2011年第2四半期には9.5%と、依然として高水準にある。一般的にインフレ率は、景気の遅行指標で、成長率が減速しはじめてからも、しばらくは上昇し続けるという傾向が見られ、中国も例外ではない。

もっとも、今回のインフレの上昇は、主に食料価格の上昇(6月には前年比14.4%)によるものである。一般的に食料価格は、天候や海外市場の動向などに大きく左右され、国内の景気動向とほとんど関係がないとされているが、このような認識は必ずしも正しくない。中国の場合、国が大きいが故に、干ばつや水害など自然災害が起きても、影響を受けるのは一部の地域だけで、中国全体の生産高が大きく減少することは少ない。その上、中国の食料の自給率は極めて高い水準にあるため、食料価格は海外の市況の影響をそれほど受けていない。むしろ、景気がよくなると、賃金上昇が加速するため、食料への需要が増える一方、より多くの農民が都市部に出稼ぎに行き、その分だけ農業生産に従事する労働力、引いては食料の供給が減ってしまい、食料価格が上昇するのである。実際、2007年から2008年年初にかけての前回のインフレも、今回と同様に、好景気を背景とする食料価格の上昇によるものである。

労働力は過剰から不足へ

労働市場の変化もインフレに拍車をかけている。中国では、1980年に導入された一人っ子政策の影響で、少子化が進み、ここに来て生産年齢人口の伸びが鈍化してきている。その上、多くの農民が都市部に出稼ぎに行ってしまったことで、農村部における過剰労働力が解消されつつあり、労働力は急速に過剰から不足に変わってきている。その結果、潜在成長率が従来の10%程度から9%程度まで低下していると見られ、実際の成長率がそれを上回り続ける中で、賃金、ひいては物価の上昇が加速しているのである。

インフレを抑えるべく、通貨当局は金融引き締め政策を行ってきた。一年物の貸出金利は、2010年10月以来、5回にわたって計1.25%、預金準備率も2010年1月以来12回にわたって計6%引き上げられている。これを受けて、政策の「中間目標」となるマネーサプライ(M2)の伸び(前年比)は、2009年11月のピーク時の29.7%から、2011年6月には15.9%に鈍化してきている。

その上、当局はインフレ対策の一環として、人民元の切り上げを容認するようになった。2005年7月にドルペッグ(ドル連動制)から「管理変動制」に移行して以来、2008年9月のリーマンショック前後から2010年6月までの約2年間を除いて、人民元はドルに対して上昇基調にある。インフレが高い国の通貨は下落するという経済学の常識に反し、この時期、中国ではインフレ率が高くなると人民元の対ドル上昇のペースも加速するという強い傾向が見られる。このことは、人民元レートが市場の需給により決定されているのではなく、当局によってコントロールされていることを示している。

もっとも、中国における金融政策の有効性を疑問視する声もある。確かに、資本移動が完全に自由であり、為替レートが固定されている場合、引き締め政策の実施に伴う金利の上昇が、海外からホットマネーの流入を招くため、当局の本来の意図に反して、流動性は逆に増えてしまう恐れがある。これに対し、中国は資本移動への規制を残しながら、為替レートの柔軟性を高めることで、マネーサプライを抑えることに成功したのである。

「景気過熱」から「スタグフレーション」へ

金融引き締め政策が功を奏する形でマネーサプライの伸びがすでに鈍化しており、成長率もいっそう低下すると見込まれることから、インフレはやがてピークアウトすると予想されるが、しばらく比較的高水準で推移するだろう。景気循環に沿って言えば、中国経済は、「高成長・高インフレ」という「過熱期」から「低成長・高インフレ」という「スタグフレーション期」にさしかかっている。インフレが沈静化することは、金融政策が引き締めから緩和に転換する前提条件となるが、その時期は来年に持ち越されるだろう。

(注)食料の中でも、特に豚肉の価格の上昇率は6月に前年比57.1%と目立っており、インフレ率を1.4%押し上げている。中国では、「豚肉が高騰すると農家が子豚の飼育頭数を増やし、それが一斉に市場に出ると価格が暴落し、これを受けて農家が子豚の飼育頭数を減らすと、豚肉が再び暴騰する」という「ピッグサイクル」がほぼ3年ごとに繰り返されている。現在の豚肉価格はちょうどこのサイクルのピークに当たると見られる。

2011年7月19日掲載

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