中国経済新論:実事求是

インフレと「元高」の同時進行
― 好対照となる人民元の対内価値の低下と対外価値の上昇 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー

実質為替レートの上昇を反映

中国では、インフレと人民元の対ドルレートの上昇が同時に進行しており、人民元の対内価値の低下と対外価値の上昇は好対照となっている(図1)。このことは、購買力平価が成立せず、人民元の実質為替レートが上昇していることを意味する。

図1 インフレと「元高」の同時進行
図1 インフレと「元高」の同時進行
(出所)Wind資詢より作成

購買力平価説によると、海外と比べてインフレの高い国では、通貨が弱くなり、通貨の対内価値の低下は、為替レートの下落を通じて、その対外価値の低下をもたらす。海外物価が所与とすれば、国内物価の上昇分(自国通貨の対内価値の低下分)だけ、為替レート(ひいては自国通貨の対外価値)が減価し、逆に、国内物価の低下分(自国通貨の対内価値の上昇分)だけ、為替レート(ひいては自国通貨の対外価値)が上昇する。このように、購買力平価が成立する世界では、通貨の対内価値と対外価値が常に同じ方向で、しかも比例して動くことになる。その結果、実質為替レート(同じ通貨単位で計った国内物価の海外物価に対する比率、言い換えれば、国内製品の海外製品に対する相対価格)は一定の水準に保たれるのである()。

これに対して、現在、中国で見られるインフレと「元高」の同時進行は、購買力平価が成立せず、人民元の実質為替レートが上昇していることを示している(BOX1)。インフレは中国製品の価格の上昇を意味し、その一方で、「元高」は人民元で見た外国製品の価格の低下を意味する(BOX2)。これを反映して、中国製品の外国製品に対する相対価格、すなわち、人民元の実質為替レートが上昇するのである。

実質為替レートが上昇する要因

人民元の実質為替レートの上昇は、中国製品の国際競争力の向上と経済発展における「完全雇用」の達成を反映したものであると考えられる。

まず、世界市場における需給関係の変化を反映して、中国の輸出価格が輸入(相手国の輸出)価格に対して上昇(交易条件が改善)することである。これまで、中国製品は「安かろう、悪かろう」のレッテルが貼られることに象徴されるように国際競争力が弱く、輸出拡大は、為替の切り下げによる価格低下に頼らざるを得なかった。そのため、交易条件とともに、人民元レートも低下の一途を辿ってきた。しかし、最近になって中国製品の国際競争力が高まるにつれて、人民元が上昇圧力に晒されるようになり、また実際上昇するようになったのである。

その上、購買力平価の前提である一物一価は、製品など貿易財で成立しても、サービスなど非貿易財に関しては、成立するとは限らない。特に、高成長の国では、非貿易財の価格が貿易財に対して上昇する傾向が見られる。この現象は1960年代にB.バラッサとP.A.サミュエルソンという二人の経済学者によって理論的に解明された。彼らによると、生産性上昇が高い貿易財部門(製造業)では、賃金が生産性に比例して上昇するが、労働力の移動により産業間の賃金は平準化される傾向があるため、生産性の上昇が低い非貿易財産業(サービス業)においても、賃金はほぼ同じ率で上昇する。貿易財部門において生産性の上昇に見合った賃金上昇は価格の上昇につながらないが、非貿易部門では、生産性の上昇を上回る賃金上昇は、価格の上昇をもたらす。その結果、非貿易財の貿易財に対する相対価格が上昇する。(外貨建で見た)貿易財価格が所与であると考えれば、この相対価格の変動は、固定レートの場合、非貿易財(サービス)の価格、ひいては全体の物価水準(貿易財と非貿易財の加重平均)の上昇をもたらし、国内物価の安定を目指す変動レートの場合、為替レートの上昇をもたらす。いずれの場合においても、実質為替レートが上昇する(図2)。

図2 バラッサ=サミュエルソン効果とは
図2 バラッサ=サミュエルソン効果とは

これまでの中国では、大量な余剰労働力が存在するため生産性の上昇はあまり賃金上昇には反映されなかったため、この「バラッサ=サミュエルソン効果」は観測されなかったが、ここに来て好景気や農村部から都市部への大規模の労働力移動を背景に労働力が過剰から不足に向かう中で、ようやく顕著になってきた。

人民元の実質為替レートの上昇は、このようなファンダメンタルズの変化による均衡レートの上昇に加え、当局の介入によって抑えられていた為替レートの均衡レートへの調整をも反映している(図3)。割安となった現在の為替レートの下では、中国は大幅な対外収支黒字を計上しているが、インフレと「元高」(人民元の対内価値の低下と対外価値の上昇)の同時進行は、実質為替レートの上昇を通じて、対外不均衡の是正に寄与するだろう。

図3 人民元の実質為替レートの決定メカニズム
a)生産性の上昇などファンダメンタルズの改善

図3 人民元の実質為替レートの決定メカニズム a)生産性の上昇などファンダメンタルズの改善
b)均衡レートへの調整
図3 人民元の実質為替レートの決定メカニズム b)均衡レートへの調整
(出所)筆者作成

BOX1 人民元の内外価値の乖離の前提となる実質為替レートの変化

実質為替レートは同じ通貨単位で計った国内物価の海外物価に対する比率に当たる。国内製品と海外製品が同質なものでなければ、その相対価格である実質為替レートが需給関係の変化を反映して変動する。
国内物価(国内製品の価格、自国通貨建て)をp、(名目)為替レートをe(ただし、外貨/自国通貨による表示、数字が大きいほど、自国通貨高を示す)、海外物価(海外製品の価格、外貨建て)をp*とすれば、実質為替レート(t)は

によって表すことができる。この式が示しているように、実質為替レートは国内物価と(名目)為替レートの上昇によって上昇し、海外物価の上昇によって低下する。貿易財と非貿易財の区別がなく、国内と海外がそれぞれひとつの財の生産に特化する場合、国内物価は輸出価格に当たり、海外物価は輸入価格に当たるため、実質為替レートは輸出の輸入に対する相対価格、すなわち交易条件と同義となる。このように、名目為替レートは通貨間の交換比率であるのに対して、実質為替レートは製品間の交換比率である。

国内物価(通貨の対内価値)と海外物価(通貨の対外価値)との関係は次のように、実質為替レートの動きに大きく左右される(図)。

図 国内物価・海外物価・実質為替レートの関係
図 国内物価・海外物価・実質為替レートの関係
(出所)筆者作成
  1. 実質為替レートが一定である(すなわち購買力平価が成立する)場合、国内物価と海外物価は常に比例して動く。Aから出発して、Bのように「人民元の対内価値と対外価値が共に上昇」か、Cのように「人民元の対内価値と対外価値が共に低下」という変動のパターンしかない。
  2. 実質為替レートが上昇する場合、Aから出発してDとFはそれぞれ「人民元の対内価値と対外価値が共に上昇」、「人民元の対内価値と対外価値が共に低下」するケースに当たるが、Eは現在見られる「人民元の対内価値の低下と対外価値の上昇」のケースに当たる。このように、実質為替レートの上昇は、人民元の対内価値の低下と対外価値の上昇の必要条件ではあるが、十分条件ではない。
  3. 実質為替レートが低下する場合、Aから出発してGとIはそれぞれ「人民元の対内価値と対外価値が共に上昇」、「人民元の対内価値と対外価値が共に低下」するケースに当たるが、Hは「人民元の対内価値の上昇と対外価値の低下」のケースに当たる。「人民元の対内価値の低下と対外価値の上昇」の同時進行はあり得ない。

BOX2 人民元の対外価値を左右する対ドルレート以外の要因

人民元の対外価値は、対ドルレートだけではなく、米国以外の貿易相手国の通貨と、海外物価の動向にも依存する(図)。中国が管理変動制に移行した2005年7月以降、人民元はドルと円に対してほぼ同率で上昇しているが、対ユーロレートは下落している。これを反映して、中国の主要な貿易相手国のウェイトを反映した人民元の(名目)実効為替レートは、対ドルほど上っていない。その一方で、海外物価の上昇も、人民元の対外価値を押し下げている。特に、石油をはじめ、中国が輸入に頼らなければならない多くの資源の価格は上昇しており、「元高」による人民元の対外価値の上昇の一部を相殺している。これらを合わせて考えると、人民元の対外価値の上昇は、対ドルの切り上げより小幅にとどまっていることが分かる。ただし、中国のインフレ率が海外のインフレ率より高いことを反映して、人民元の実質実効為替レートは、名目実効為替レートより上昇幅が大きくなっている(BIS統計による)。

図 主要通貨に対する人民元レートの推移
a)対主要通貨

図 主要通貨に対する人民元レートの推移 a)対主要通貨
(注)人民元の石油に対する購買力。人民元に換算した石油価格の逆数によって計られる。
b)人民元の実効為替レート
図 主要通貨に対する人民元レートの推移 b)人民元の実効為替レート
(出所)BIS、中国国家外国為替管理局、Bloombergデータより作成

2008年2月27日掲載

脚注
  • ^ 中国と外国(米国)は同質の自動車を生産するとしよう。購買力平価が成立する世界では、(人民元換算でみてもドル換算で見ても)自動車の価格は両国において同じでなければならない。たとえば、自動車の価格は、中国では10万元、米国では1万ドルだとすれば、両国における価格が一致するように、元ドルレートは1元=0.1ドルで均衡する。その結果、元の実質為替レート(中国の自動車の米国の自動車に対する相対価格)は(10万元×0.1ドル/元)/1万ドル=1となる。貨幣の増発などから、中国でインフレが起こり、自動車価格が20万元になれば、為替レートが1元=0.05ドルと元安となる。逆に、中国でデフレが起こり、自動車価格が5万元になれば、為替レートが1元=0.2ドルと元高になる。いずれの場合においても、元の実質為替レートは1のままと、価格の変動が起こる前と変わらない。
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2008年2月27日掲載