中国経済新論:中国の経済改革

「中所得の罠」の兆候を見せる中国
― 問われる社会の安定性 ―

関志雄
経済産業研究所 コンサルティングフェロー
野村資本市場研究所 シニアフェロー

多くの国々は、発展の初期段階において、一時的に高成長を遂げるが、所得が中レベルになると、貧富格差の拡大や、腐敗の多発など、急速な発展に伴う歪みが顕在化し、経済成長も停滞するという形で「中所得の罠」に陥ってしまう。中国は、30年余りの高成長を経て2011年の一人当たりGDPが5,432ドルに達しており、まさに「中所得の罠」に陥るか、それとも一気に先進国に追いつくかという岐路に立っている。

「中所得の罠」とは

「中所得の罠」は、世界銀行が2007年に発表した「東アジアのルネッサンス」という報告書において提示した概念である。ある国が1人当たり所得が世界の中レベルに達した後、発展戦略及び発展パターンの転換を順調に実現できなかったために、新たな成長の原動力(特に内在的な原動力)不足を招き、経済が長期にわたって低迷することを指す。「中所得の罠」に陥った国々に共通した特徴として、余剰労働力の減少、産業高度化の停滞、貧富格差の拡大といった、それまで蓄積された成長制約要因が一気に顕在化することが挙げられる。

まず、低所得国は、労働力を生産性の低い農業から生産性の高い製造業に移すことを通じて、労働集約型製品の輸出を伸ばすだけでなく、国全体の生産性を向上させることもできるが、中所得国になると、農村地域の余剰労働力が急速に減少する。特に発展の過程における完全雇用の達成を意味するルイス転換点を過ぎると、労働力の供給が成長の制約となり、また、賃金上昇によって労働集約型輸出製品の国際競争力も低下してしまう。その時、自国のイノベーション能力の向上を通じて生産性を高めることができなければ、経済成長は停滞してしまうのである。

また、「中所得の罠」は、工業化の過程において、技術面における外国への依存から自立へ転換する関門としてとらえることができる。このような観点から、政策研究大学院大学の大野健一教授は、各国の工業化の過程を次の四つの段階に分けて分析している(図)。それによると、国民の所得がまだ低い第一段階では、外資が導入され始め、低廉な労働力が活かされる形で、組み立て・加工工業が形成される。現在のベトナムはこの段階にある。第二段階になると、国民の所得が中レベルに達し、組み立てや加工に必要な部品などの裾野産業が外資主導で形成されるようになる。現在のタイやマレーシアはこの段階にある。所得水準が中~高レベルに達する第三段階になると、自国企業が外資から技術や経営ノウハウを習得し,自らが部品や高品質製品を生産できるようになる。韓国や台湾がこの段階に位置していると思われる。最後に、高所得に当たる第四段階になると、自国企業が革新的な技術を用いて新しい製品を開発できるようになる。これに該当するのは日本や米国などの技術先進国である。第一段階から第二段階に進むのは比較的簡単だが、第二段階と第三段階の間には、「中所得の罠」が待ち構えているという。

図 キャッチアップ過程で現れる「中所得の罠」
図 キャッチアップ過程で現れる「中所得の罠」
(出所)大野健一「ベトナムの裾野産業」(ベトナム裾野産業育成アクションプラン会議資料)、2008年9月
http://www.grips.ac.jp/vietnam/KOarchives/doc/JS03_monozukuri.pdf

さらに、貧富の格差が大きく、社会の流動性が低いことは、まさに中南米諸国をはじめ、「中所得の罠」に陥っている国々に共通する現象である。所得格差の拡大を抑えることや、社会階層間の移動性を高めることは、工業化と経済社会の順調な発展を維持するために不可欠である。公平な所得分配は各利益集団の経済政策における意見の一致とバランスを保つために有利である。所得分配格差の拡大よりも恐ろしいのは、社会階層が固定化することである。各階層間の移動が容易であれば、経済社会の活力を維持することも可能であるが、さもなければ、社会が不安定となり、経済発展も停滞、後退する恐れがある。

中南米諸国は「中所得の罠」に陥った国の典型例である。これらの国々は1960年代から70年代の間、低所得国から中所得国に進んだが、その後長期停滞が続いている。1960年時点で101もあった中所得国・地域のうち、2008年までの間に高所得国に発展したのは、赤道ギニア、ギリシア、香港、台湾、アイルランド、イスラエル、日本、モーリシャス、ポルトガル、プエルトリコ、シンガポール、韓国、スペインという13カ国・地域のみである(China 2030-Building a Modern, Harmonious, and Creative High-Income Society, The World Bank and Development Research Center of the State Council, the People's Republic of China, 2012)。

先進国の経験が示しているように、「中所得の罠」を乗り越える過程において、政府の果たすべき役割は大きい。まず、政府は利益集団に左右されず、短期利益に惑わされず、長期目標に向けて、臨機応変に発展戦略を調整する。また、市場原理と資源配置の役割を重要視して、制度改革の推進、市場拡大や技術イノベーションへの環境づくりに尽力する。さらに、経済と社会の調和の取れた発展を目指し、社会セーフティネットの構築を通じて、階層間の対立を回避し、社会の安定と発展を持続させる。「中所得の罠」を乗り越え、先進国の仲間入りを果たした国々において、ほとんど例外なく、民主と法治がしっかり確立されていることは、決して偶然ではない。

人民日報で展開された「中所得の罠」への警戒論

中国が「中所得の罠」に陥る可能性について、国内外において活発な議論が交わされている。その中で、中国共産党の機関紙である『人民日報』が、「経済リスク」と「社会リスク」を検討した上で、次のように展開した警戒論は注目されている(壟雯、杜海涛、崔鵬「我々は『中所得の罠』を乗り越えられるか」、『人民日報』、2011年7月25日付)。

それによると、まず、従来の成長エンジンが機能しなくなった結果、経済高度成長が続かなくなり、経済成長の停滞が起きるという「経済リスク」はすでに顕在化している。

経済成長は「諸刃の剣」である。改革開放以来、中国は積極的に国際分業に参加するようになった。豊富な労働力に低賃金、安いエネルギーコストなどの優位性を活かし、外資誘致に力を注いだ結果、労働集約型産業が大いに発展し、低所得国から中所得国へと進んだ。しかし、中所得国になってから、経済発展に必要な土地、資源、エネルギー、労働力などの生産要素のコストの急上昇と限界生産性の低下によって、優位性が失われつつある。このことは、従来の発展パターンが続けられなくなっていることを意味する。さらなる飛躍を目指して、中国は、次のような成長への制約を打破しなければならない。

まず、中国の製造業は規模こそ大きくなってきたが、強いとは言い難い。コア競争力を持っておらず、加工や組立てといったグローバル産業チェーンのローエンドに集中している。中国企業は、いくら工場が大きくても、研究開発、技術、特許、規準の確立、ブランド、マーケティング、サービスなどといった高付加価値の部分を外資に握られたままである。独自のイノベーション能力が低く、コアとなる技術はやはり海外に頼らざるをえないゆえに、低利潤に甘んじるしかない。2011年のフォーチュン・グローバル500社のうち、61社の中国(香港を含む)企業がランクインしているが、製造業の割合は非常に低い()。

また、労働コストが上昇しており、人口ボーナス(経済成長に有利な人口要因)も徐々に失われつつある。近年、「出稼ぎ労働者(農民工)の不足」という現象が沿海地域から次第に中西部へと拡がっている。働き盛りの出稼ぎ労働者の割合が明らかに減少しており、労働市場におけるこのような変化は、「ルイス転換点の到来」を示唆している。

さらに、経済発展は大型インフラ投資に頼りすぎて、環境負荷も増えている。ここ30年の高成長は、エネルギーの浪費、環境の悪化などの問題を引き起こした。中国のエネルギー原単位(1単位のGDPを生産するために必要となるエネルギーの量)はアメリカの3倍、日本の5倍となっている。

最後に、需要構造が歪んでおり、特に個人消費は長期にわたって低迷している。先進国の場合、中所得層が主導する「消費型社会」であるのに対して、中国の場合、国民所得の大部分が政府と企業に属しており、その主導の下で、より多くの資金が投資に回されている。このような歪められた所得分配構造は、個人消費を抑えている。2001年から2010年までの対GDPで見た中国の投資率は36.5%から48.6%に増えたのに対し、消費率は61.4%から47.4%に減少している。特に、個人消費の対GDP比は45.3%から33.8%までに下がっており、先進国の70%どころか、BRICsのブラジルとインドよりも低い。その一方で、中国は輸出への依存度が高いため、海外からの影響を受けやすい。特に、リーマン・ショック以降、先進国は相次ぎ産業戦略の調整を行い、ハイテク製品の輸出を奨励し、また、ベトナム、バングラデシュなど発展途上国も中国よりも安価な資源と労働力を利用して、欧米市場へ労動集約型製品の輸出に力を入れているため、中国は国際市場において先進国と発展途上国の二重の圧力に挟まれている。

経済リスクに加え、社会リスクも顕在化している。雇用、住宅、社会保障などの問題を解決できず、「中所得の罠」に陥り、なかなか抜け出せない国がたくさん存在している。中国においても、多くの国民は次の理由から「国が強くなっても国民が豊かになっていない」、「幸福感が薄いと感じる」という不満を抱えている。

まず、所得分配が歪められており、貧富格差が拡大している。中国のジニ係数は0.4の警戒線を超えてしまい、0.5に近づいている。お金は益々高所得層に集中し、中低所得層には流れていない。投資の対象は相変わらず人ではなく、モノであり、国民生活の向上のための支出は限られている。社会の上層を占める政府幹部や富裕層が大衆に憎まれるという現象が起きており、また、大規模なデモやスト、暴動などが急速に増えている。

また、都市と農村との格差が拡大している一方で、都市問題も深刻化している。大都市はりっぱな外観ができても、不動産の高騰、就職難、医療費と教育費の高騰、老後の不安、生活環境の悪化、食品安全などの問題が山積している。政府の歳出に占める社会保障と社会福祉の割合は、ヨーロッパが約50%、アメリカが約30%に上るのに対して、中国は15%にとどまっている。農村地域の社会保障は未だに未整備のままである。「2010年第6次全国人口センサス」によると、中国の都市人口は全人口の49.6%に達している。しかし、多くの出稼ぎ労働者は、まだ移住先の戸籍を取得できておらず、本当の意味での都市住民にはなっていない。このように、都市部では、都市戸籍の住民と農村戸籍の出稼ぎ労働者といった二重構造が形成されている。

さらに、社会階層の固定化が進み、低所得者にとって上への移動は不可能に近い。中国社会科学院の研究報告によると、中国では中流階層は人口の23%にとどまっており、先進国平均の70%より遥かに低い。住民は、地元、よそ者、体制内、体制外、戸籍、出身といったさまざまなレッテルが貼られて、下流、中流、上流への階層分化が進んでいる。近年の就職難から、人々は「知識こそ運命を変える」という従来の考え方に疑問を持つようになった。学費が高く、卒業しても就職できないことなどを理由に、一部の学生は大学受験を放棄している。また、名門大学に進学する農村出身の学生の割合が年々低下している。教育を受ける機会の不平等は社会全体の不平等を増幅させており、長期的には経済成長の停滞を引き起こしかねないという。

このような認識を踏まえて、社会構造と国民生活の改善を急ぎ、「国が強いだけでなく、国民も豊かである」ことを実現させなければ、中国は「中所得の罠」に陥る可能性が高く、近代化への残り半分の道が依然として険しいものであると『人民日報』は結論付けている。(『人民日報』の警戒論とは反対に、国務院発展研究センターは楽観論を展開している。BOX参照。)

「中所得の罠」の兆候を示す反日デモの暴徒化

実際、2012年9月中旬に中国各地で起こった反日デモが一部の都市において暴動に発展してしまったことは、中国は、すでに「中所得の罠」に陥っている兆候と言えないだろうか。

今回の事件に関して、中国社会政治学の第一人者である、中国社会科学院農村発展センター研究員・于建嶸教授は、次のように総括している。
①民衆は社会に対し強い不満を持っており、愛国主義の名を借りたデモという形でその鬱憤を晴らそうとしている。
②(市民団体などによって)組織されていないデモは、暴徒化しやすい。
③政府はこのような社会混乱を招いた原因を突き止め、関係者の責任を追及しなければならない。
④主要メディアは中国的特色のある国粋主義に潜む弊害を検討しなければならない。

庶民の不満を和らげ、社会の安定を維持するために、公平と公正の制度的保障となる民主化と法治の確立を中心に、政治改革を進めていかなければならない。

これまで「政治面の権威主義+経済面の市場経済」に特徴付けられる「中国モデル」は、「中国の奇跡」とも言うべき30年余りにわたる高成長をもたらしてきた。しかし、その限界が露呈された今、政治改革なしには、奇跡は続かないだろう。

BOX:「中所得の罠」に対する楽観論

政府系のシンクタンクである国務院発展研究センターの中所得の罠問題研究グループ(主査:劉世錦)は、中国が「中所得の罠」に陥る可能性が小さいと見ている。その根拠として、中国が持つ次の六つの強みを挙げている(国務院発展研究センター中所得の罠問題研究グループ 侯永志、張軍拡「中所得段階を乗り越えるための有利な条件と今後の発展で直面する問題」、2011年、国務院発展研究センターウェブサイト)

まず、中国の国内市場は巨大であるだけでなく、高い潜在性を持っている。中国の人口は高所得国の合計よりも多く、アメリカの4.3倍、EUの4.1倍である。しかし、国民一人当たりの所得はまだ中レベルにとどまっている。中国社会は都市と農村という二重構造からなっており、都市人口がいまだ総人口の約半分にとどまっており、農業社会から工業社会への道のりはまだ長い。これらの現状から、国民一人当たりの所得が上昇し、消費も伸びる余地があると考えられる上、工業化、都市化が急速に発展しており、投資がさらに拡大すると見込まれる。

第二に、中国は後発優位性を持っており、また高い模倣能力と学習能力を備えている。中国と先進国との間には技術格差が依然として存在しており、一部の分野においてかなりの遅れをとっている。それゆえに、中国は、先進国の生産技術や管理経験の導入、学習を通じて、先進国よりもかなり短時間で工業化を実現することが可能である。それに当たり、以下の点において、他の発展途上国と比べて有利な立場にある。まず、中国は教育重視の伝統があり、義務教育の普及率が高く、高等教育の発展も加速している。また、国民の平均就学年数と成人の識字率は、インドなどの他の発展途上国を大幅に上回っている。さらに、技術研究開発体制は、発展途上国の中では類を見ないほど整備されている。最後に、産業の集積が進んでいるために、科学技術の研究成果が商品化や生産などに応用されやすい環境が整っている。

第三に、中国は、積極的に国際市場の開拓や、国際分業を通じて、各生産要素の効率的な配置に注力してきており、その際、次のような経済・貿易大国としての優位性を持っている。まず、海外需要が萎縮した場合、国内の巨大な潜在市場を活かして需要を創出できるだけでなく、リストラされた労働者を再雇用することができる。また、産業体制が整っているため、海外要因によってサプライチェーンに障害をきたす場合、国内の代替品に切り替えることができる。さらに、経済の規模が大きいゆえに、通商ルール策定などの国際交渉において、有利な立場にある。

第四に、中国の国民は倹約家で勤勉である。伝統的に倹約が美徳とされ、国民の貯蓄率が高く、国内の豊富な貯蓄は工業化のための資金を提供している。2007年の中国の貯蓄総額はGDPの55%に当たり、世界平均より32%ポイントも高い。また、安価で勤勉な労働力の存在は、中国製品の国際競争力の源泉になっている。

第五に、中国は、研究開発に力を入れており、能力も高まっている。中国は、「科学技術と教育による立国」と「人材強国戦略」を実施しており、研究開発のために投入する資源は、他の途上国だけでなく、多くの先進国をも上回っている。

第六に、中国は、国情に即した体制の運営効率が高い。30年以上の改革を通じて、中国的特色のある市場経済体制と社会・政治体制を確立した。これらの制度は、大多数の発展途上国と比べ、優位性を持っている。まず、ミクロ経済面では、資源の配分において、市場メカニズムに加え、政府による計画や政策指導も、重要な役割を果たしている。また、マクロ経済面では、財政政策と金融政策とともに、政府の行政的手段も、経済の安定的発展に大きく寄与している。さらに、行政体制においては、中国政府は高い資源動員力を有している。これは平時において、重要な科学技術プロジェクトの実施に役立ち、危機の発生時には、国を挙げて困難を克服し、難関を乗り越えるのに役立つ。最後に、中国が構築した社会と政治制度は、国情に見合っており、社会の安定を維持する機能をきちんと果たしているという。

2012年10月1日掲載

脚注
  • ^ 2012年のフォーチュン・グローバル500社にランクインした中国(香港を含む)企業は73社に増えたが、製造業の割合が非常に低い点については変わっていない。
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2012年10月1日掲載