一、はじめに:改革開放の新段階
近年、中国は目覚しい経済発展を遂げてきた。これは78年から始まった改革開放の成果であると考えられる。改革開放の開放の面に限って言えば、これまでは経済特区の設置や外資企業への優遇策など中国が一方的に開けるという政策を取ってきた。しかし、WTO加盟と近隣諸国とのFTA締結を通じて、今後は、中国語でいう「全球化」と「区域化」の新段階に入ると考えられる。「全球化」はすなわちグローバライゼーションを指し、「区域化」は地域化に当たるといえる。
改革と開放は、別々のものとしてとらえるより、その相乗効果を考慮する方が重要であろう。経済成長率に関して言えば、中国は1979年から2001年まで年平均9.3%、日本の高度成長期に匹敵する高成長率を実現した。また、改革の側面を端的に表しているのが計画経済から市場経済への移行である。改革が始まった当初80%であった工業生産に占める国有企業のシェアが、現在では実質上30%を割っている。
開放面では、世界貿易に占める中国のシェアは上昇を続け、1978年には32位であったが、2001年ではすでに世界第6位となった。輸出金額では80年の世界全体の0.9%から4.3%へ、輸入も1%から3.8%まで上昇した。また、貿易(輸出と輸入の合計))のGNP比から見ると、2002年の実績では50%前後に達し、日本の約3倍の比率を実現した。つまり、中国は既に非常に開放度の高い国になっていると考えた方がよい。また、直接投資の流入金額も大きく、79年から2002年まで累計4,462億ドルにも達した。90年代半ば頃には直接投資の流入が国の固定資本形成の20%ほどという高い割合を占めた。この数値は最近下がっているとはいえ、いまだ10%程度に達している。
二、WTO加盟の狙い
1)改革開放のロードマップとなるWTO議定書
では中国がWTOに加入することにはどのような意味があるのだろうか。中国はWTO加盟に15年間をかけて準備を行ってきた。WTO議定書には、透明性保持、法治行政の確保、市場原則の尊重、無差別原則の徹底など、中国が目指す市場経済の理念が反映されている。すなわち、議定書は中国がこれから目指す改革開放の新段階のロードマップに当たり、一つの新たなステップを踏んだことが認められるための証明として中国のWTO加盟を位置づけられる。
WTO加盟後はこのロードマップに沿って活動が進められることになる。そのうち具体的な一つは貿易権を段階的に自由化させることである。今まで、外資系企業と国有企業はほぼ自由に輸出入が行えたが、その他の民間企業に関しては制限されてきた。今後は3年間かけてこれが基本的に自由化される。
実際に、自由化は中国経済に影響を与えた。世界経済全体が低迷する中、昨年の中国からの輸出が20%も伸びた背景には、新たに輸出権を持つようになった民間企業の役割が大きい。今後、輸入割当制も2005年までに原則として撤廃され、投資関連の規制緩和も行われる。外資系企業に対して従来は現地調達比率や輸出義務、もしくは外貨バランスなどが求められていたが、今後は全部撤廃される。さらに中国は知的財産権についてもグローバルスタンダードに沿って強化し、基準認証制度も改善することを約束している。
関税に関しても1998年の平均17.5%から2010年には9.8%まで下げることになっている。ただし実際には中国が輸入する際にも委託加工という形で、税の免除を受けて部品や機械を輸入している部分が大きく、実際の関税率はもっと低いのが実態だと考えられる。また、貿易の自由化は財に限らず、サービスにも広がることになっている。アメリカ側の要求もあって流通、金融、電気通信、建設などの外資規制などの削減、撤廃が行われる。
一方で中国がWTOに入るための経過措置も講じられている。中国製品の輸入急増に対して経過的セーフガードは加盟後12年間続くことになっている。中国産の繊維、繊維製品の輸入に対しても2008年までの特別セーフガードが設定された。本来はWTOのルールからは外れるが、中国だけを対象とするアンチダンピングや相殺関税措置という特例措置も15年の間容認されることになった。いわば中国を対象にした特別ルールが残されていると考えてもよい。その一方でWTO一般理事会などが中国の義務履行状況を10年にわたって毎年審査するという措置も行われる。
2)対外開放の加速(国際化)
これらの厳しい条件を受けても中国がWTOに加盟したいという動機付けには、対外開放や国内改革の加速に、大きな役割を期待しているからではないかと考えられる。すなわち、国際化、市場化、法制化、この3点に貢献できると中国側では期待している。
まず、国際化に関していえば、従来、政策性の開放であったものから制度性の開放へと開放のあり方が国際化に即した形に変質することになると考えられる。政策性はいわゆる行政指導のようなものである。官庁ごとにケースバイケースで判断するため不透明であり、制度として非常に不安定でもあった。しかし今後は全て法律に沿った形で実施されることになる。また、地理的に見ると局地的開放、つまり最初は経済特区から始まった開放が、今後は全面開放の局面に突入する。中国では「特区不特」といわれるが、もはや経済特区は特別ではなく、従来経済特区に与えられていた優遇策は殆どの地域で受けられるようになった。また、国際化を産業別で見ると、今まで対外開放は製造業が中心だったものが、サービスも含めた形になっていることが当てはまる。
対外開放が経済発展に結びつくためには、安定した国際環境と通商環境を確保しなければならない。WTOの統計では、近年アンチダンピング発動の対象国として、中国は常に第一位にランクされている。95年から2002年の6月の統計では実際発動したケースは196件、全体の2割弱が中国を対象にした措置であった。また、アメリカでは中国に最恵国待遇を与えるために毎年更新手続きが必要になっていたことも通商環境を不安定にしていた。特に天安門事件以来、これは米中間に多くの摩擦を起こしていた。しかしWTO加盟によって、アメリカが自動的に中国に最恵国待遇を与えることを約束し、1999年にMFNの恒久化の意味を持つPNTR待遇を与えることがアメリカ国会で可決された。その他、WTO加盟によって一番大きい発展途上国として、自国の利益だけではなく広く発展途上国全体の利益を代表することをも目指している。
これまで中国企業の国際化といえば中国に進出する外国企業との合弁生産がもっぱらであったが、WTO加盟を経て中国企業はこれから対外直接投資をも視野に入れつつある。たとえば、家電メーカーのハイアールがアメリカで工場を建てた他にも、ハイアールと三洋の提携のような日中家電企業の提携もWTO加盟以降盛んになってきている。
3)国内の改革の加速(市場化、法制化)
改革の面で期待されることは、まず民営企業の発展である。貿易権が民間企業などにも同じ形で与えられるようになり、国有企業も決してそのまま安泰ではない。その動きが特に顕著になっているのが電信、航空、鉄道、銀行、保険などの分野である。また、外国の銀行が参入することで外国金融機関や外国企業が参入して競争が激しくなると考えられる。
さらに今後は政府の役割も変えなければならない。計画経済下では全て政府が意思決定を行ってきたが、今後は可能な限り市場に任せ、政府の目標は経済より社会目標のほうにシフトさせることになる。経済の分野では社会保障の提供や、公共財の提供に留まることになる。すなわち、認可を行う立場から公的サービスの提供やレフリーの役目を果たすことが政府の役割となってくる。
政府がレフリーとなるためにはできるだけ行政指導をやめて法律に任せることが重要になる。実際、WTO加盟を経て中国の法律は殆ど全部が作り直された。法律がなかったところは新たに制定し、既存の法規もWTOのルールと一致しないところは全面的に改められる予定である。専門家によると、すでに紙の上では日本に負けないくらい立派な法律の体系ができているとのことである。しかし司法面での経験がまだ浅いなど、今後は法律の実行がどう行われるかが問題になる。実際のところ、外国企業が多く投資している上海や北京などでの法律の実行は比較的うまく進んでいるものの、内陸部ではまだ法治とは言い切れない部分がたくさん残っている。たとえば、知的所有権の保護に関してもやはり沿海地域は相対的に厳格に運用されているが、西部に行くほど執行力が弱くなっているという評価がなされている。
三、WTO加盟に対する評価
1)堅調な貿易と直接投資
WTO加盟による中国の変化に関しては、最初短期的には大変なことになるのではないかと予想されていた。すなわち、中長期的には改革開放の成果が期待できるが、最初の2~3年間は輸入が増え、国有企業を中心に潰れる企業が増えて農業も衰退するのではないかという危惧がもたれていた。しかし、加盟後1年を過ぎた現在の時点では、「非常に良かった」という評価が中心である。
マクロ面においては、2002年の輸出も2割以上伸びており、世界経済の低迷の中で高い伸びを実現した。一方で懸念された輸入の急増はあまり発生していない。特に農業に関しては割当輸入量にも達していないとされている。これについては中国国内が豊作で農産品価格が実は下がっているためあまり輸入しなかったという説明もできる。また、貿易の黒字も3割ほど増えており、直接投資も増えている。昨年、中国は年間527億ドルのFDIを輸入したが、アメリカにおけるM&Aの活動が収まったということもあって、もはや中国は世界一の直接投資受入れ国になったと考えられている。このような経済状況を背景に2002年末の外貨準備は年間742億ドル増えて2864億ドルという高水準になった。経済成長も8%を達成した。
2)WTO加盟後1年間の変革
より具体的な経済活動のレベルにも、WTO加盟はいくつかの影響を与えている。
まず、法体系の改定と職能の明確化である。政府はWTOへの加盟の数年前から関係する法体系の改訂に着手し、年間の立法計画に沿って実施してきた。一方、国務院の65機関が職能の明確化に関して、4000件以上の見直し作業に着手した。
第2に、鉄鋼のセーフガードである。アメリカが鉄鋼に対してセーフガードを発動し、それに対して中国が早い段階でWTOの紛争解決を活用する形でWTOに訴えた。その後11月20日から、鉄鋼の輸入に対してセーフガードを発動した。セーフガードを発動する側からは常に自衛権の発動になるが、今回のケースはWTOのルールに則った最初ではないかと考えられる。
第3に、外資系の参入によって銀行間競争が激しくなってきた。これを象徴しているのは話題を呼んだエリクソン事件である。南京にあるエリクソンという外資系の携帯電話会社は従来中国の地元の国有銀行から融資を受けていた。エリクソンがWTO加盟後に外資系銀行の業務範囲が広がることをきっかけに、地元銀行からの融資をやめ、新たにシティバンクから融資を受けることになったのがこの事件である。
第4に、航空と通信をはじめ、銀行以外のサービス産業においても、再編が進んでいる。中国電信は本来全国をカバーする独占企業であるが、WTO加盟後、南北二つの会社に分割されることになった。これは独占をやめるという意味が含まれている。一方、民航は9社が3つの大きいグループに再編され、新会社の海外市場への上場が検討される。その他、サービス部門に関しては小売の外資系の進出が活発化している。北京では大型スーパーの23%がウォルマートやカルフールなど外資系企業が占めている。また、小売だけではなく、保険業や旅行会社に関しても外資の進出が目立っている。
第5に、自動車の再編も進んでいる。加盟前に行われた多くのシミュレーションなどの予想では、中国は労働集約型産業に比較優位がある一方で自動車など技術集約型産業には競争力をもたないため、関税の低下で輸入車があふれるのではないかと考えられていた。したがって、自動車産業は大変な事態を迎えるというのが一般に予想されていた。しかし、実際には輸入割当が残っていることを含めても、海外企業の直接投資が盛んになり、予想とは逆の展開を見せている。それに対応して中国国内の自動車企業の再編も行われ、天津汽車が第一汽車の傘下に入ることが既に決定している。このような展開を見せた理由として考えられることは、中国のマーケットの潜在力が大きいためで、現地生産によって対応すべきとも言われる。しかしながら25%の関税以外の非関税障壁が残っているのではないかと危惧される面もないわけではない。ちなみに最新の数字では、昨年の中国の自動車生産量は1年間で50%増加し、348万台に達している。今後も日本企業を中心に生産が立ち上がるため、この勢いは今後も続くものと見られる。
最後に、中国はコピー製品が多く、著作権などが尊重されていないという批判があったが、最近になって一部の改善が見られた。その一つの事例として、中国企業が輸出するDVDについては特許を持つ海外企業に対して1台4ドルの特許料を払うという約束をして決着した。
四、中国のFTA戦略
1)FTA戦略の狙い
WTO加盟を果たしたばかりの中国が、新しいFTA戦略を打ち出す背景には次の考慮があると考えられる。
まず、輸出市場を確保する必要がある。EUとNAFTAのように、欧米において地域主義が盛んになっており、中国がその蚊帳の外に置かれることを恐れている。特に、中国はこれまでアメリカへの依存度が高く、去年のアメリカ側の対中赤字は1000億ドルを超えている。アメリカ側から見ると、今は対日より対中赤字の方が大きくなっている。現在、中国は80年代の日本のように対米貿易不均衡が中国とアメリカの間で貿易摩擦の原因にならないか心配している。その対策として輸出市場の分散化が必要だが、近隣諸国の市場に対する期待が大きい。
また、WTOを中心とする多国間の貿易自由化交渉があまり進展していない。一時はAPECに期待する向きもあったが、現在その話は政策当局の中からも消えてしまいAPECによる貿易自由化に関してはあきらめてしまった感がある。貿易化自由化の成果を挙げるために、できるところから始めようとしているのが現在の中国の発想である。
さらに、中国にとって、97年のアジア通貨危機は近隣諸国の安定が自分の国益に繋がるという認識を強めた契機でもあった。かつて日本の財務省がAMFを提案したとき、中国は消極的だったと伝えられていた。しかし、その後、危機の拡大と進化を見て、中国も域内金融協力には熱心になり、FTAに関しても積極的な姿勢を見せるようになった。
2)中国・香港CEPA(Closer Economic Partnership Arrangement)
一方、具体的に中国中心のFTA関連の協議で先行しているのは中国と香港によるCEPAというCloser Economic partnership Arrangementで、2001年末に香港の提案によって協議が始まり、既に交渉段階に進んでいる。CEPAは実質的にはFTAであるものの、内容はFTAより少し広く、サービス貿易投資の簡素化も含まれている。
香港は中国の一部ではあるが、一国二制度の決まりの中で香港は別の関税区となっていること、そして香港が中国より先に単独でWTOに加盟していたことが、このような枠組みが必要となる理由である。ただ、このCEPAに関して言えば、本来香港は最初から輸入関税も殆どなく、調整が必要になるのは中国側である。にもかかわらず中国側が話を進める理由は返還以降の香港経済が芳しくないため、何らかの形で香港を支援しなければならないからである。CEPAの実効性はともかく、香港てこ入れのための一つのジェスチャー的な役割が期待されている。香港製品を免税で中国に輸入できるだけでなく、サービスの分野においても、香港だけが優先して参入できれば、ある程度先発性のメリットが享受できるのではないかと考えられている。中長期的には、香港だけではなく台湾も経済的に包含し、最終的には政治的にも台湾を取り込むという話を目指していると考えられる。
ちなみに、最近日本が台湾とFTAを組むという動きがある。しかし中国側はこれに賛成しないだろうと予想される。香港・中国の次に香港・中国・台湾ができた段階で日本と組むという話の方が順番としては正しいのではないのかというのが著者の見解である。
3)ASEAN・中国FTA
中国とASEANのFTA はFTA協議の中でももっとも話題の俎上にのぼっているものである。このFTAの特徴を整理すると、香港とのCEPAと同様に中国はかなりの譲歩を行い、自分がやや不利になっても一緒にやりたいというスタンスがはっきりしてくる。
実際、中国はASEAN側に対して3つの配慮を行っている。1つ目はASEANが強い農業分野において先に自由化して良いということを約束していることである。2つ目はASEAN10カ国のうちベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーといった発展段階の遅れた国に対して実際の自由貿易を実施する時期に関して5年間の猶予を与えたことである。タイなど発展の進んだ国に関しては2010年に完成することを目指しているが、遅れた国々については2015年の実施ということになる。
さらに一方でWTO未加盟のASEAN諸国であるベトナム、ラオス、カンボジア、ミャンマーに対して中国は一方的に最恵国待遇を与えることも約束している。中国の狙いはASEANにも存在する中国脅威論を払拭するためのジェスチャーを出すことにあると考えられている。政治を含めた信頼関係の構築が中国の狙いでもある。輸出の分散化という意味でも中国はASEANのマーケットも重要視している。
確かに、FTAの効果をマクロ的に捉えると、日本と中国は補完性が強いが、中国とASEANは産業構造が似ており、発展段階も近いので、競合関係で、FTAを組んでも貿易創出効果は大きくない。したがって経済以外にも政治的配慮があると考えられる。理由としては、中国はアメリカによる中国包囲網を一番恐れていることがある。その対応策として上海グループ・オブ・ファイブを作ってロシアを中心に旧ソ連の国々と仲良くしようという動きもあり、南の突破口としてASEANと良い関係を持つことがひとつの目的であると考えられる。
さらにASEANとのFTAが中国の西部大開発構想の一部であるという位置づけも考えられている。実際、国境貿易や投資も既に盛んになっており、メコン川の開発に関して中国は熱心に関与している。特に話題になっているのはエネルギーの問題であり、ミャンマーを通して中国がインド洋にアクセスする構想もある。すなわち、中近東の石油をミャンマー経由で雲南省から直接運ぼうという動きである。
中国のASEANとのFTA構想は、2000年11月のASEAN+3(日本、中国、韓国)による「東アジア自由貿易圏」の提案を伏線としている。ただし、その後アメリカの反対を受けて、日本と韓国はこの構想に対して態度が曖昧化しており、むしろ2国間FTAの締結を進めている。中国はASEANに対してFTAを提案することにより、東アジア自由貿易圏構想に日本と韓国を引き戻そうとすることを狙っている。実際、中国がASEANプラスチャイナを提案したことを受けて、日本も日本プラスASEANを提案し、その翌年の中国による日中韓FTAの提案に対しても日本側が前向きの姿勢を見せているなど、中国の思惑通りの展開になっている。
そもそも、中国とASEAN諸国だけでは、貿易・産業構造が互いに競合する関係にあるため、FTAの締結提携によるメリットは小さいと考えられる。これに、日本と韓国を加えると、地域内での補完性が高まり、FTAによる貿易・投資の拡大とその域内波及という効果を高めることができると予想される。したがって、実際に中国が狙っているのはASEANではなく、最終的にはASEANプラス3、もしくはASEANプラス3プラス香港・台湾、すなわちASEANプラス5になるのではないかと予想される。
五、結び:日中FTAの勧め
WTOとFTAは中国にとって改革開放を加速させるための手段である。今のところはそれなりの成果を上げており、中国側からも高く評価されている。逆に一部の中国の学者が論文で示唆するように、日本にも改革開放が必要なのではないかという見方もある。その場合、日本もWTOとFTAを梃子にして、経済活性化を図るのも一つのやり方ではないかと考えられる。しかし結果から判断すると、中国はWTOおよびFTAの活用に関して積極的であるのに対して、日本は積極的ではないという印象を禁じえない。政治的リーダーシップや政治的体制の相違もさることながら、中国は経済が順調に進んでおり、色々な産業調整がやりやすい一方で、日本は経済が停滞し、どうしても限られたパイの中の争いに終始している感がある。
おそらく、このように日本が弱気で中国は強気な態度を示している背景には農業の問題も大きいと思われる。中国の農業問題と日本の農業問題は国際競争力がないところは同じであるが、いくつかの点においては大きく異なる。まず、日本の農民は政治力が非常に強いという点がある。一方で中国の農民はほとんど発言力はなく、人民代表大会の選挙規則では、農村部の4人が都市部の1人にあたる票計算になる。その分中国はあまり農民の利益を気にせずに政策を進められるという面もある。日本では農業は縮小して自給率も下がっているが、中国は基本的に自給自足はほぼ100%近い数字で達成できている。むしろ日本は労働力がなくなる方向であるのに、中国はこれからも人余りが生じ、これをどう解決するのかが問題であった。しかし今の中国では開放政策が非常にうまくいってその結果として経済発展がどんどん進んでいる。最終的には工業化が進めば労働力の移動で解決できる、時間はかかるが方向性は見えてきたというところで、自信が出てきたのではないのかと思われる。
日本・シンガポール新時代経済連携協定や、日本・ASEAN、中国・ASEANなど、小さいFTAを積み上げて、いずれASEAN+3(日本、中国、韓国)自由貿易協定に収斂させるという暗黙の理解ができているようである。しかし、どういう国の組み合わせで、またどういう順序でこの目標に向けて進むべきかに関しては、試行錯誤の段階にとどまっており、説得力のある理論がまだ存在していない。
国際経済学の教科書に沿っていえば、FTAの経済効果としてプラスの「貿易創出効果」とマイナスの「貿易転換効果」が挙げられる。前者は域内の貿易障壁撤廃により域内貿易が拡大すること、後者は貿易障壁が域内においてのみ撤廃されることにより、生産性の高い域外からの輸入が域内からの輸入に代替されることを指す。競合関係にある国々よりも補完関係にある国々は、貿易創出効果が貿易転換効果を上回る可能性が高く、FTAを結ぶことによって得られる利益が大きいとされている。一般的に、発展段階が離れている国ほど補完関係が強く、逆に発展段階の近い国ほど競合関係が強いことを考えれば、アジア諸国の場合、日本とNIEs諸国・地域が中国との補完関係が強く、ASEAN諸国と中国の間では競合関係が強いことになる。中でも、日本と中国の間における補完関係は特に強く、FTAの締結による経済的メリットも最も大きいと見られる。
現状では、日本がシンガポールとの経済連携協定を先に調印できたように、経済効率の論理とは無関係に、できるだけ反対を避けるという政治の配慮が優先されている。ここでは二つのディレンマが生じてくる。まず、やり易い順で進めると、いずれやり難い分だけが残り、広域の貿易自由化につなげていくという構想が途中で挫折しかねない。一方、政治的にやり易い場合ほど経済的にメリットが少なく、逆に、経済的にメリットの大きい場合ほど、産業の調整とそれに伴う利益の衝突の規模が大きくなる。分業の利益という経済の観点からは、日中FTAが最も望ましいが、政治的には最も実行しにくい。なぜなら、農産品の問題を別にしても、繊維などの労働集約製品において日本の業界が反対し、逆に中国においては競争力を持たない技術集約産業が反対するからである。
こうした一部の国内産業の反対に加え、歴史認識の問題やそれに由来する両国の国民の相互不信も、日中FTAの妨げになっていることも事実であろう。しかし、ヨーロッパでは、20世紀前半に二度にわたって世界大戦を戦ったフランスとドイツが、まさに経済統合を通じて過去の歴史を乗り越えようとしている。こうした発想の転換と政治のリーダーシップが日中両国にも求められている。
日本と中国は二カ国で東アジアのGDPの8割を占める大国である。日中両国の間にFTAが先行して締結されれば、他のアジアの国々も乗り遅れまいと積極的に加わり、地域統合が一気に加速するだろう。
2003年3月17日掲載