中国経済新論:世界の中の中国

WTO加盟は中国経済に何をもたらすのか

茅于軾
天則経済研究所理事長

1929年南京に生まれる。祖父茅以昇、父茅以新は中国で最も有名な橋梁と鉄道の専門家である。1950年上海交通大学機械学科卒業後、機関車の運転手、 技術員、エンジニアなど経験を重ね、1955年助理研究員として北京鉄道研究所に赴任。その後、文化大革命に巻き込まれ、工場での労働を強いられたが、ミ クロ経済学を独学で学び、1979年『最適配分の理論』を発表。1985年より、中国社会科学院アメリカ研究所に赴任。翌年、客員フェローとしてハーバー ド大学を訪れる。1990年よりオーストラリアのQueensland大学経済学部に客員教授として迎えられ、ミクロ経済学を教える。1993年、社会科 学院を退職後、ほかの四人の経済学者とともに、民間経済研究機関である北京天則経済研究所を設立させ、今は研究所の理事長を務めている。制度経済学の視点 から、従来の公有制経済と訣別し、市場経済体制への移行を主張する。また、中国における市場経済の展開に伴った道徳の低下現象に特に注目し、『中国人の道 徳前景』(1997年)を出版、市場経済における道徳の再構築を主張してきた。なお、温厚な人柄が評判で、中国経済学界の魯迅とさえ言われている。現在、 七十歳を超えても、絶えず新しい文章を発表するなど、その健在ぶりには注目すべきものがある。

2001年12月11日に中国は正式にWTOへの加盟を果たした。15年間の交渉はようやく実ったが、われわれの前に広げられたのは、不確実性のあふれる光景である。この先には、一体どのような機会、あるいは落とし穴が、われわれを待ち構えているのだろうか。

私は世界貿易機構の原則は「公平な競争」と「選択の自由」、この二つにほかならないと思う。この二つはまさしく中国経済にとって、最も必要なものである。20年間の改革を経て、わが国における公平と自由のいずれもが大きな進展を見せた。政府の特権が徐々に減少し、民衆の自由は増える一方であるが、政府の自発的な改革を促すような外部要因が形成されていなかったため、政府の改革テンポは比較的遅かった。しかし、WTO加盟後は、加盟国に課された義務の実行など、中国政府にとって、新たな制約条件が加えられることになる。これを覚悟しながら、あえてWTO加盟を果たそうとする姿勢から、中国政府の改革に対する強い決意が窺われる。WTO加盟後、中国政府の改革は一層加速していくものと予想され、WTO加盟を経て中国改革は新たな段階に入ったといっても過言ではないだろう。

WTO加盟は決して外国人が中国の改革への参加を要請したものではない。それより、外国人はむしろ儲けることを目的にし、競争に参加しにくるのである。みなが最も心配しているのは、競争にあたって、弱者達が不利な立場と敗北を強いられるのではないかということである。しかし、外国人は、資本、人材、技術、管理などの方面において、優位性を持っているが、弱点も持っている。彼達の人件費が非常に高く、われわれほど国内の市場環境に馴染まない点である。従って、競争の結果は、必ずわれわれが負けるものではなく、むしろ勝敗五分五分であろう。また、われわれが、競争に対する準備ができるかどうかも、競争の結果に大きな影響を与える。

一部の国有独占的企業は、これから開放される市場環境において、大きな困難に直面することは間違いないであろう。所有権があいまいで、監督体制も不完全であるこれらの企業には、もはや活力がない。これらの企業は、これまでその独占的地位を政府に守られ、膨大な資金投入を受けることによって、ようやく生き残ることができた。しかし、WTO加盟によって、こういった企業は致命的な打撃を受け退場の運命にさらされるだろう。こうした企業の大半は、国民経済にとって依然必要であるが、経営があまりにも非効率的であるため、その運命は、倒産まで行かなくても、再編しなければならない。このプロセスにおいて、大量の人員削減は避けられない。新しい雇用機会を作り出すことは、政府にとって最も切実な任務となるだろう。その解決策は民間経済を発展させることにある。民間経済は、これまで大量の雇用人口を吸収できた唯一の方法であった。国有企業にレイオフされた人員だけではなく、都市部に流れ込む農業人口に雇用機会を作り出すのは、民間経済にほかならない。

同時に、自然資源などの不利な条件によって形成された比較劣位も、国際競争に参入して行く中で顕在化し、そして経済構造の転換をもたらすことになる。たとえば、従来食糧を生産していた農民達は、食糧の生産を削減し、養殖、食品加工のような比較優位を持つ産業に転換を図らなければならない。本来、価格調整が弾力的に行われ、そして、政府が労働者の転職を促進するような便益と必要な資金を供給するならば、このような生産の転換は決して難しくない。しかし問題は、政府はなかなか比較劣位を認めようとせず、一貫して保護政策を維持し、結局構造転換に困難をもたらすことである。過去数年間、政府は食糧の購入価格を上げた結果、食糧の生産過剰をもたらした。そのため、政府は大量の補助金を支払い、食糧の輸出を支援してきたが、これはかえってWTO加盟後の生産調整を困難にしてしまった。このように、問題は保護を必要としないのではなく、どのように保護するのか、という点にある。もしこれまでの輸出への補助金を農村人口の転職に活かすことができれば、状況は大きく異なるだろう。WTO加盟は、われわれに価格の変化への対応、そして市場の変動に応じて速やかに調整することなどを要請した。われわれは、この流れに逆行してはいけない。同時に、保護の意義を新たに理解する必要がある。それは、決して斜陽産業を保護するのではなく、むしろ損失を受けた産業を環境の変化に対応できるように誘導するのが本筋である。

WTO加盟はわれわれにかつてないほどの機会を与えてくれた。最近の10年間、中国の電気製品と日用雑貨の輸出は、大きく発展した。このような情勢は、WTO加盟の実現によって、さらに加速していくものと考えられる。中国が、世界での日用雑貨の一大産地となることは、より多くの雇用機会をもたらすことにつながる。これからの10年間、およそ一億以上の農業人口は、都市部に流入すると見込まれる。彼等のこれからの就職先は、サービス業界を除けば、主に電気製品と日用雑貨を含む加工業である。農業人口の都市部への流入は、中国の工業化にとって、避けて通れない道であり、一人当りGDPを上昇させる道でもある。WTO加盟後、外国の企業が、中国人からもっと儲けるためには、その前提条件として、中国人が高収入と高い購買力を得ることが必要である。農業人口の都市部への流入は、まさしく全体の購買力を上昇させる最も現実的な方法なのである。農業人口の都市部への大量流入がなければ、中国人全体の収入がこれ以上上昇することは難しく、外国企業が中国で儲けようとする目的も達成できないだろう。従って、WTO加盟は一つのプラス・サム・ゲームである。

雇用問題、農業人口の都市部への流入問題、所得向上といった問題を解決できるかどうかは、結局、民営企業が発展できるかどうかにかかっている。中国の民間経済は、従来厳しく制限されていた。最近政府にようやく許可されるようになったが、いまだに充分活躍できるような場が与えられていない。民営企業の企業家達は、言葉で表せないほどの困難を乗り越え、紆余曲折の道のりをたどりながら、中国の国民経済における最も活力のある勢力へと成長した。しかし、現在、中国の民間経済はいまだに成長の軌道にのったとは言いがたい。

中国には、十分豊富な貯蓄資金もあれば、大量の生産力と大きな市場も持っており、民間経済を発展させるあらゆる条件が揃っている。問題は、企業家達の組織力の発揮と投資環境の改善である。WTO加盟の実現後、中国経済の見通しは、民間経済の発展状況にかかっている。現在、中国における外国企業は中国国民と平等の待遇を受けている。こうした新しい環境の中、競争に関するルールを習得し、新たに競争に参入した者との挑戦に挑むために、中国の民営企業にも優先的に公平な待遇を与えるべきである。その中で、最も重要なのは、政府は厳格に所有権を保護し、公正に法律を実施しながら、自ら法律を守る手本を示すことである。特に、政府は民間経済に奉仕する観念を新たに樹立し、人々を管理し、指導する特殊な組織ではなく、納税者に雇われた公共事務の管理者にならなければならない。当然、この転換のプロセスは、中国何千年の伝統観念に対する大きな転換にかかわっているだけに、長い日々を要するものと考えられる。しかし、WTO加盟が中国経済を新たな発展段階に導き、さらにそれを起爆剤として、中国における更なる社会変化をもたらすことは、間違いないだろう。

2002年2月4日掲載

2002年2月4日掲載