2月中下旬にわたる主席交渉官レベル、引き続いて閣僚レベルでのマラソン交渉にも関わらず、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉妥結のメドは立たなかった。メインプレーヤーの米国では貿易促進権限(TPA)法の立法も難航するところ、今秋の中間選挙も控えており、TPP交渉全体の減速が懸念される。我が国では、日米の農産物重要5品目自由化と自動車関税撤廃の攻防が注目されているが、この市場アクセスと並び、知的財産権、そして国有企業(state-owned enterprises ― SOE)を中心とした競争政策が最も合意困難な分野として報道されている。特にSOEの問題は、社会主義国のベトナムや、国家資本主義的な経済体制を取るマレーシアにとっては、経済体制のあり方に根本から変革を迫られる問題になりかねないことから、譲歩は容易ではない。
筆者は目下RIETIにおいて、このSOEを国際経済法が扱うべき新たな規制対象と捉え、現行ルールの実効性や新たなルールのあり方について研究プロジェクトを主宰している。先日のTPPシンガポール会合を契機に、この問題の背景と当該プロジェクトの問題意識について広く読者諸賢と共有したい。
なぜSOEが問題か
では、こうした国々以外の市場経済諸国にとってはSOEの何が問題なのだろうか。この問題については、既に多くの論考で議論されているが、ひと言で言えば、国の豊富な資金を背景とした補助金・低利融資、規制上の優遇、または国が所有する(=短期的に株主のチェックを受けない)ことによる緩やかなコーポレートガバナンスを背景として、経済合理性のない企業行動(ex. 低廉な販売、過剰な設備投資)や反競争的行動を行うことで、公正な国際競争秩序が阻害されることである。
まず貿易についていえば、最近の米国の相殺関税調査・発動案件、そしてWTO提訴の相当部分が中国のSOEに関する案件である。これらは、鉱物資源、鉄鋼、紙、集積回路、省エネ技術など、資源、素材からハイテク産業まで広い範囲の産業について、また問題の措置も、政府の補助金はもとより、輸出制限、ローカルコンテンツ要求など、幅広い政府のSOE支援策やSOEの反競争的行動が問題となっている(川島 [2012])。
また、投資行動では、経済産業省 [2013] も豊富な具体例を挙げるとおり、第三国での鉱物資源の権益や試掘権の確保に競争力を発揮している。たとえば、中国の対アフリカ資源投資は株主利益以上のものも求めて政治リスクの高い国へ積極果敢に行っており、その理由は母国のエネルギー確保、中国製品の新たな市場アクセス確保、欧米覇権への対抗といった要因に求められる(JETRO [2009])。特に中国国家外国為替管理局、テマセク(星)、アブダビ投資庁(UAE)など、有限天然資源の売上益や外貨準備を原資とした巨大な政府系投資ファンド(sovereign wealth fund ― SWF) による投資は、特に資源やインフラの分野において、その政治的・戦略的意図に対してホスト国の警戒感が強い。
SOEのこうした不合理な企業行動を可能ならしめ、市場支配力、競争力を維持できる源泉は、以下のように類型化される(Capobianco & Christiansen [2011])。
1) 補助金の交付
2) 政府および政府系金融による有利な融資・信用保証
3) 規制上の特別待遇(ex. 情報開示義務や独禁法の適用除外)
4) 独占および既存企業の優位性担保
5) 株式の安定的な政府保有("captive equity")
6) 倒産からの免除と情報アクセスの優位
市場主義先進諸国の民間企業は、モノ・サービスの貿易や投資活動のあらゆる局面で、これらのアドバンテージを持ったSOEと伍していかなくてはならない。このためOECDは、SOEについて民間企業との間に競争条件の平等("level playing field")を確保すべきであると提言している(OECD [2005])。この競争条件の平等とは、後に触れるオーストラリアが採用する競争中立性(competitive neutrality)の考え方と同義であり、すなわち単に公有であるという理由だけで民間企業に対し競争優位を享受すべきでないとされる(Capobianco & Christiansen [2011])。
現行規律のカバレッジと限界
こうしたSOEとの競争条件の平等確保について、現行の国際経済法規制は以下のように対応できる。
モノの貿易:最も実効的な規律は、WTO補助金・相殺措置(SCM)協定であろう。WTO上級委員会は、米国・有鉛炭素鋼相殺関税事件(2000)、米国・EC産品相殺関税事件(2002)において、BS(英)に代表されるかつての欧州の国営鉄鋼メーカーについて、民営化後もSOE時代に交付された補助金を相殺する可能性を他の加盟国に認めている。また、エアバスも歴史的には一部SOEだが、EC・大型民間航空機事件(2011)では、1969年以来累次の大型航空機開発・生産支援策はその競争への影響に鑑みて協定違反とする判断を上級委員会が示した。更に、カナダ・オンタリオ州再生エネルギー事件(2013)では、パネル・上級委員会はGATT3条4項によりSOEの購買行動の内外差別を規制した。その他にもGATT17条(国家貿易企業)、2014年4月6日に改定新協定が発効する政府調達協定もSOEの差別的な購入・販売活動を一定程度規制するツールになりうる。
サービス貿易:他方、時価総額ランキングである英Financial Times 500(2013年版)を見ると、中国工商銀行(11位)ほか計4行、中国移動通信(14位)が上位50位にランクインするようになり、サービス分野でのSOEのプレゼンスも無視できない。この場合、WTOサービス協定(GATS)においては、中国・電子的支払いサービス(銀聯カード)事件(2012)のように、内国民待遇(=内外無差別)や市場アクセスの保証によりSOEの競争優位を封じることができるが、分野ごとの個別約束がある場合に限られる。サービス補助金についてはルール策定が実質的に停止しているドーハラウンドに委ねられており、現行協定に実体的規律はない。なお、政府調達協定も約束の範囲次第では、SOEに無差別なサービスの調達・購入を義務づけることができる。
対外直接投資:実効的な紛争解決手続で担保されたWTO協定の援用は、モノ・サービスの貿易を阻害しないかぎり不可能となる。海外投資・企業活動については、投資先と自国の間の国際投資協定(IIA)に依存する。条約によっては補助金を適用除外としている場合があるが(ex. 2012年米国モデルBIT14条5項(b))、ホスト国の差別的・反競争的なSOE優遇策については、たとえば内国民待遇、公正衡平待遇に抵触する可能性がある。加えて、ホスト国でSOEによる競争制限的行為によって投資財産に損害を受けた投資家は、投資家対国家仲裁(ISDS)によりホスト国の協定違反としてこれを訴えることができる。Maffezini事件ICSID仲裁管轄権裁定(2000)では、慣習国際法上の国家責任法に基づいて国の権限委譲を受けたSOEの行為がホスト国に帰責されており、同様の判断は他のISDSや国際裁判手続において積み重ねられてきた(中谷 [2013])。また、2012年米国モデルBIT2条では、国の権限を委譲されたSOE自体にこれらの原則の適用があることが明記された。
対内直接投資:逆に、ホスト国として外国のSOE、SWFの戦略的投資行動や反競争的な企業活動に対する場合、OECD資本移動自由化コードに適合した範囲で、国内の安保や公益を理由にした対内投資の審査・差止制度を援用することが実効的である。日本の外為法26条・27条、米国のエクソン・フロリオ条項はその代表例である。最近の例でも、SOEによる投資ではないが、日本では2008年に英TCIのJパワー買収に中止命令が下され、2012年には中国系Rall Corporationによる米オレゴン州の風力発電施設買収が大統領命令によって阻止されている。BITでも投資受入の自由化約束がなければこのような審査に基本的に制約はなく、約束している場合でも、殆どのIIAには安全保障・公序例外規定が備わっている。他方、国際的にはSWFの投資行動にはIMFによるサンチャゴ原則やOECDによるSWF・受入国宣言があるが、ソフトローの域を出ない点で実効性に乏しい。IIAについては、「投資家」の定義の解釈により、SOEにISDSにおける当事者適格を否認する、すなわち、IIAを通じてはホスト国の規制権限を制約できないとする議論がある。
競争法の国際的執行:2011年以来の露・ガスプロムに対する欧州委員会によるEU競争法違反に関する調査は、独占禁止法によるSOEの行動規制について新たな可能性を開いた。欧州委員会は、チェコなど中東欧におけるガス価格の維持や市場分割を問題にしている。欧州委員会は和解のオプションも用意しつつも、近く違反認定の調査結果が予想されていたが、ウクライナ問題で決定の延期が見込まれる(注1)。SOE母国内の反競争的な行動については、競争法の適用は当該母国政府の意思によるしかない。しかしそのような行動が外国市場の競争環境に悪影響を与える場合、当該外国自身の競争法の適用によってこれを是正する可能性をこのガスプロム問題は提起している。
実効的なSOE規律を求めて ―TPPの挑戦―
以上のように、SOE規制は現状ではさまざまな国際・国内の貿易・投資・競争規律のパッチワークに過ぎず、SOEの特性を勘案した固有の規律や統一的な規制原理が確立されているわけではない。たとえば規律の前提としてのSOEの事業内容や財務会計など企業情報の透明性の確保は、現行国際経済法ではその射程外となる。また、SOE母国にとっても第三国となる市場に直接投資で進出した自国企業が当該SOEと競合する場合(たとえば我が国の民間企業が中国のSOEとASEAN諸国市場で競合)、投資や第三国における操業それ自体への補助金を捕捉することも難しい。更に、SOEの競争力の源泉や反競争的行為の理由が有力政治家との属人的関係に起因するような事態であれば、もはや捕捉は限りなく困難になる。こうした点で、新しいSOE規制が必要であることには疑いない。米国のSOE規制の試みはTPPに留まらす、米・EU間の環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)、WTOの複数国間サービス貿易協定(TISA)の交渉においても、同様の問題を提起している。その見据える先には中国があることは言うまでもない。TPPは、特に市場経済の先進国間だけではなく、社会主義のベトナム、国家資本主義の色彩が濃いシンガポール、マレーシアを取り込んだ協定であることから、ある程度包括的なSOE規制のテストケースとして注目される。
TPP交渉はその高い秘密性から交渉の現状は明らかになっていないが、豪州は2013年5月のリマ会合で、各国が自国内で内部監査的に競争中立性を審査する方式を提案したと報じられている(注2)。豪州では、財務省、財政・規制緩和省が中心となってSOE向けガイドラインを公表し、事業活動においてSOEの不当な競争優位を排除する制度が確立している。その範囲は補助金だけでなく規制、税制、債務などあらゆる優遇策に及ぶ(注3)。更に、連邦の独立組織である競争中立性苦情処理室が民間企業から競争上の苦情を受け付け、独自に審査の上で時に政府に政策変更の勧告を行う(注4)。同様の競争中立性確保のスキームは各州にも設けられ、地方の公有企業にも規律が及ぶ(注5)。豪州の提案は、いわばこうした自国制度のTPP交渉当事国への「輸出」と言える。
これに対して米国は2011年10月のリマ会合で提案を行った(注6)。この基礎とされるのが、同年2月のサービス産業連合および米国商工会議所の提言(注7)だが、政府に事実上支配される企業まで含めた広い規律対象、市場アクセスの無効化・侵害となるSOE優遇の除去、SOEへの資金的支援の禁止、外国産品・投資に対するSOEと同等の待遇の供与などを提起している。また、紛争解決手続による実施も求めており、非常にハイレベルの提案である。更に米国は後日民間部門の損害によって資金的貢献の停止および返還の要否を判断するベンチマークを提案している(注8)。
豪州型の競争中立性の内部監査的手法による確保は、基本的な市場経済思想の浸透・信奉と、行き過ぎた民業圧迫に対する国を挙げた問題意識が基礎となっている。また、独禁法類似の法制度は実施のための行政上のノウハウも必要になる。その意味において、ベトナムやマレーシアに直ちに同様の制度を導入するのは困難であろう。昨年7月のコタ・キナバル会合では、米豪の国家企業規律提案を比較した統合草案(consolidated text)が提出されたが、オーストラリア案には米国の反対も強く、結局オーストラリアは実質的に提案を放棄した模様である(注9)。
基本的な規制手法に加えて、規制の範囲についても歩み寄りが見られる。先月のシンガポール閣僚会合では、もっぱら国内で供給活動を行うサービス産業については適用除外とすることで合意したと報じられており、金融、電気通信、教育等が該当する。この結果、我が国の懸案であった日本郵政も対象外となる可能性があり、またマレーシアの担当閣僚もこの結果を評価している(注10)。
他方で、草案が公表されていない以上、規律手法の詳細には疑問が残る。米国提案も補助金や融資であれば現行SCM協定と類似の規律を導入することになるが、より広い規制上の優遇を含めた場合、たとえばこれをどのようにコスト格差に置き換えてSOEの経済的なアドバンテージに換算できるのか、具体的な制度設計が求められる。この点については、たとえば米星FTA12.3条2項は特にシンガポール側に片務的にSOEについて詳しく規定しているが、商業的考慮による購入・販売活動の保証、競争阻害行為の禁止、政府によるSOEの意思決定への介入の禁止などを一般的に規定するにとどまる。より最近の韓国やコロンビアとのFTAでは、SOEによる協定整合的な企業行動の確保、相手国投資によって設立された企業に対するSOEの取引の無差別などをより簡単に規定しているに過ぎない。TPPの規定はこれらを超えてより踏み込んだものを想定していると考えられる。
また、SOEの定義も当事国の合意が難しい問題である。「国有」とは文字通り100%の所有なのか、議決権50%超で国の支配があればいいのか、あるいは我が国商法上の少数株主権(たとえば役員解任の訴えの提起は議決権の3%で可能)が保証されるレベルの資本参加でいいのか、一様ではない。たとえば米星FTA12.8条では、議決権の過半数所有を前提としながら、政府保有が50%未満でも20%以上なら「実効的な影響力(effective influence)」があるものとする推定が働くと規定される。また、この所有は国が直接でなくとも、国有の持ち株会社や他のSOEを通じて間接的に所有する議決権も合算される複雑なものである(注11)。参加国が多い場合、国ごとに会社法制が異なるところ、この点をいかに定義するかも実効的なSOE行動規定の要点となろう。
更に、オーストラリアの例を見ても分かるとおり、特に連邦制を取る国々は州レベルの公有企業についても規律の対象となりうる。この点については、ハフィントン・ポストおよびウィキリークスに掲載された昨年11月のソルトレーク会合の交渉ポジションに関する文書(注12)によれば、各国のスタンスは二分している。
一方、たとえば電力・水道等独占が効率性を生むネットワーク産業、スピルオーバーが見込まれるが巨額投資やリスクにより民間投資が期待できない分野(ex. ハイテク、航空機)に見られるように、SOEの積極的な役割についても十分に勘案されなくてはならない(Chang [2007]、Kowalski et al. [2013])。特に途上国では、雇用創出、貯蓄動員、集中排除など、様々な経済的・社会的理由から、経済開発においてSOEが果たす役割の重要性が古くから指摘されている(Gillis [1980])。更に言えば、米国にさえファニー・メイやUSPSのようにSOEは存在し、リーマンショック後はGMを一時的に国有化することで救済し、SOE制度を不況対策の政策手段として活用している。規制の網を広範なSOEに掛ける米星FTAにおいても、国家による独占権の付与やSOEの設立の権利を明確に認める。また、中国の状況を見ても、SOEが全て非効率にして競争制限的な市場をもたらすわけではなく、民間企業が多く参入している分野もあり、特にフォーチューン500にランクインするSOEは日本の同業企業とパフォーマンスは遜色ないレベルにあるとされる(注13)。よって、米国産業界が主張するように一方的なSOE性悪説に立った規律強化ではなく、その社会経済的機能を踏まえつつ、SOEの有する競争阻害性の本質を十分に捉えた規律を模索する必要があろう。このような多角的な視点からあるべきSOEの行動規範を考究することが、国際経済法学の使命である。