健全なサイバー・エコシステムの創出

矢野 誠
所長,CRO

今年度は、4年間にわたる経済産業研究所(RIETI)の第四期中期計画の最終年度である。この中期計画は、世界に先駆けた「AIに関する社会科学研究拠点」の構築を念頭に、第四次産業革命やAI(人工知能)といった新しい産業技術と社会の関係を解明することを大きな目標としている。また、経済産業省では、AI、IoT(インターネット・オブ・シングズ)、ビッグデータ解析など、新しい情報技術を社会に取り込むプロセスを第4次産業革命と呼び、経済社会の発展をけん引しようとしている。

昨年度、「ブロックチェーン技術の将来性に関する研究会」を立ち上げたのは、こうした潮流のさらに先を読むためである。日々刻々と進化するブロックチェーン技術の最先端で開発と商業化に従事する技術者やビジネスマンに加え、この分野に造詣の深い法律家、行政官の参加をもとめ、今後、どのような形でブロックチェーン技術が産業化されるのか、それを支えるにはどのような社会制度が必要かといった問題を考えてきた。筆者らが、研究会の成果をまとめて上梓したのが『ネクスト・ブロックチェーン 次世代産業創生のエコシステム』(日本経済新聞出版社)である。本コラムシリーズでは、同書籍で展開しているアイデアについて簡潔に紹介する。

また関連のイベントとして、RIETI主催のブロックチェーンシンポジウムが10月7日(月)に開催される。シンポジウムには、書籍の共著者であるクリス・ダイ氏、イーサリアムのERC-20トークン標準のコードを開発したFabian Vogelsteller氏、Taraxa.ioの創設者であるSteven Pu氏ほかが登壇するので、この機会に是非ご来場ください。

新しい資源:データ

ブロックチェーンという言葉から仮想通貨を思い浮かべる人も多いだろう。しかし現在、ブロックチェーン技術の有用性はますます高まっており、新たな技術も生み出され、その応用の範囲も金融分野以外にも広がろうとしている。ブロックチェーンには、AI、IoT、ビッグデータといった情報技術とわれわれの生活の間をつなぐ役割が期待されている。多くの可能性があり期待が高まるブロックチェーン技術だが、ブロックチェーンを技術革新に結びつけるためには何が必要なのだろうか。それを探るためには、情報産業全体を新しい視点から見る必要がある。

今、起きつつある技術革新は、第一次産業革命から始まる技術革新の中でも、特別なものである。まったく新しい資源であるデータに立脚するものであるからだ。データは、一昔前までの経済では、まったくと言っていいほど産業的価値を見出されていなかったが、インターネットの発達によって、突如、大きな経済的価値があることを見出されたのである。過去にも、石炭や石油のように技術革新を通じて、価値を持つようになったモノの例はある。

しかし、データが石炭や石油と異なっているのは、石炭が薪や炭と、石油が石炭と代替したように、過去のそれらは既存のモノにとって替わったのに対し、既存の資源と代替するものではない、まったく新しい資源であることだ。このため、データに基礎を置く技術革新に大きな期待がかかるのも当然である。

サイバー・エコシステム

また同時にまったく新しい資源を取り込み技術革新を推進するには、新しい経済・社会システムを模索する必要もある。最近、米国のコンピュータ・サイエンティストやエンジニアの世界では、情報技術とそれを支える社会制度の全体像を「エコシステム(生態系)」という言葉で表現することが多くなっている。生物学の用語であるエコシステムとは、多様な生物がそれぞれ自らの活動を営みながら、調和のとれた自然環境全体のことを指す。川があって、森があって、日の光が降り注ぐ中で、その環境に適した生物が生まれ、育ち、次の世代へと引き継がれていく。

こうしたエコシステムがICTの発展には必要であるというのが、多くの識者の見方である。インターネットという豊かなサイバースペースがあり、その中で、さまざまな技術者が自らのプログラムを書き、新しいソフトウェアを開発する。それを利用する人がいて、もっと有用なソフトウェアが選ばれていく。そのプロセスを評価して、出資する人がいて、より高度な通信システムやコンピュータがコンピュータ・エンジニアによって開発される。さらに、新しい時代のプログラムやソフトウェア開発に向け資金が流れ、次代の技術が生まれる。つまり、技術と人と社会の全体が調和のとれた“サイバー・エコシステム”がなくては、ICTの発展は望めないのである。

このようなサイバー・エコシステムを構築するには、さまざまな専門分野にまたがる人々の協力が不可欠である。技術者はもちろん、新たなビジネスを興し、運営する起業家やビジネスマン、貨幣やファイナンスを理解する専門家の参画も不可欠だろう。さらに、もっと大切なのは、技術やビジネスが生み出すサービスの利用者である。こうした人々が独自に活動するなかで、有機的に結びつき、情報を共有し合い、それぞれの自由な判断と意思決定にもとで、情報通信インフラに関わり、生産活動にいそしみ、市場を形成して生産物を交換する。このシステムを支える市場インフラを構築するには、市場の動きや法律を理解し、ビジネスに関わるルールをデザインし運用する、経済や法律、政策の専門家も必要となる。豊かで調和のとれた、つまり健全なサイバー・エコシステムの中ではじめて、高質な市場がはぐくまれるのである。

健全なサイバー・エコシステムとブロックチェーン

しかし、技術革新が進めば、自然と健全なサイバー・エコシステムが実現するというのは誤りである。第一次産業革命以来、産業化は特定の産業や企業に資源の集中をもたらした。大規模な技術進歩は市場の質を低下させ、その質が一定の水準に落ちると、社会構造に変化をもたらし、さまざまな社会問題を引き起こす。今回の情報技術の革新についても資源の集中が起きている。GAFA(Google、Amazon、Facebook、Apple)と呼ばれる企業群に、大量のデータが蓄積され、これらの企業への資源の集中は生産性の向上に多大な貢献をした一方、ケンブリッジ・アナリティカ社のデータ不正使用(注1)といった問題も引き起こした。

大企業への資源の集中をなくし健全なサイバー・エコシステムを構築するには、データ(資源)が社会全体で共有され、流通し、利用されることが重要である。そのためには、データの所有権をデータを生み出している個人に戻す必要がある。ブロックチェ-ンは、データの所有権を多数の人たちの自由意志に基づいて記録していく。データの所有権が定まれば、そのデータを売買することができ、あらゆる目的で利用ができる。ここで初めて、データ本来が持つ価値を実現することができ、さらに健全なサイバー・エコシステムが創出されるはずである。

健全なサイバー・エコシステムを支える社会制度の構築

健全なサイバー・エコシステムを支えるには、法と経済学的視点から、データの所有に関する社会制度の整備を考える必要がある。ブロックチェーン技術は一片ごとにデータの所有者を指定でき、データの発信者に所有権を割り当て検索することができる。確かに、この技術を利用すれば、デジタル・データの所有権を生産者個人に帰属させることができるのだ。逆に、巨大な情報企業がブロックチェーン技術を利用すれば、大量のデータを安価に囲いこむことも可能である。そういう状況を避け、健全なサイバー・エコシステムを構築するには、誰がデータを所有すればよいのだろうか。

個人情報保護法などによってデータの所有権を生産者個人に帰属させようという機運は盛り上がりつつある。しかし、個人情報保護とデータの産業利用とでは親和性は低い。個別主体に関するデータの解析では、デジタル・データはほとんど産業的価値を持たないからである。できるだけ多くの人のデータを集積し、それを統計的分析に利用してこそ、デジタル・データは価値を持つ。そうしたデジタル・データは匿名化処理も可能である。適切な匿名化が施されれば、個人情報は十分に守られる。そうだとしても、データの所有権が侵害される懸念が払しょくされるわけではない。データの生産者に所有権を帰属させるには、個人情報保護法とは異なる制度が必要になる。

ブロックチェーン技術は急速に進歩しつつある。しかし、技術だけで、データの所有権の問題を解決することは難しい。技術を生かし、産業として発展させる。そのために、必要なサイバー・エコシステムのデザインには、法と経済にまたがるさまざまな論点や争点を解決していかなくてはならない。それを法と経済学的視点から分析し、総合的な制度設計を行うことが望まれる。

脚注
  1. ^ 政治コンサルティング会社ケンブリッジ・アナリティカは2016年の米大統領選とブレグジット(英国の欧州連合離脱)をめぐる英国民投票の結果に影響を与えるため、数千万人分のフェイスブック利用者の個人データを使用したと告発されている。
参考文献
  • 矢野誠、クリス・ダイ、増田健一、岸本吉生『ネクスト・ブロックチェーン 次世代産業創生のエコシステム』日本経済新聞出版社、2019年

2019年9月5日掲載

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