「新しい資本主義」:実現への道

矢野 誠
理事長

岸田文雄総理が提唱される「新しい資本主義」では、成長と分配の好循環が提唱され、適切な分配が成長の原動力となるという見方が打ち出されている。このような見方は、貧富の差が拡大し、地政学的リスクが増大する中で、今後、重要性が増すだろう。

では、どのようにしたら、「新しい資本主義」を実現できるのだろうか。以下では、それを経済学的に検討しよう。

市場の質と公正な競争

「新しい資本主義」を実現する唯一の方法は市場の質を高めることにある。市場は上手に利用すれば、社会のすみずみまで大きな利益をもたらす。

そのためには市場競争を単なる競い合いにとどめてはならない。どんな競争にもルールがある。相撲には相撲のルー ルあり、それが守られるからこそ、スポーツとして楽しめる。そうしたルールが守られるのが公正(fairness)であり、公正(fair)な市場活動に担われて市場の質は高まる。

古来、いくつかの基本的ルールによって市場は支えられてきた。競争という視点では、無差別性原則とも呼ぶべきルールが特に大切である。どの売り手もどの買い手とも取引でき、どの買い手もどの売り手とも取引できる。そういう機会が保証されなくてはならない。無差別性原則は、過去にも、さまざまな形で採用されてきた。市場参加者に自らの領地での自由な往還を保証した織田信長の楽市楽座は馴染み深い。

無差別性原則は売り手と買い手の双方で守られなくてはならない。取引の片側に立つものだけが競争状態におかれては、一方的に不利な取引の条件を押し付けられる。産業革命時代の労働者搾取も、そういう現象かもしれない。

成長と分配は切り離せない。市場では、交換を通じて、財・サービスがより有効に利用できる主体の手に移転する。それによって、莫大な交換の利益が生み出されることは、市場経済の発展の歴史をみれば明らかだろう。しかし、誰もが納得する形で利益が分配されず、力の強いものに搾取されては、技術開発の誘因も生まれず、次の成長にはつながらない。

無差別性原則は市場への自由参入を保証するためにも大切なルールである。誰もが自由に参加できる市場があって、工夫や熱意、想像力や創造力が生かされ、技術開発が起きる。それによってけん引されたのがIT革命である。

イノベーションを生む産業政策

とは言っても、個々の経済主体の意欲だけでは、実現できないタイプの技術開発もある。その場合、初期投資の段階で、技術開発に向けた政府補助が必要になる。

その古典的例が先進技術へのキャッチアップである。20世紀中庸にはキャッチアップに関する経済政策理論が確立し、先端技術の学習期間における政府支援の意義が明らかにされた。わが国の高度成長はその理論に裏打ちされている。

未知の基礎技術の開発に莫大な固定費がかかる場合も、私企業では初期投資を回収できず、政府補助が必要となる。それを精緻な理論的枠組みで示したのは根岸隆氏(日本学士院/東京大学名誉教授)で、今の産業政策理論に先鞭をつけた。その意味で、わが国の経済学の役割は世界に誇ることができる。

図:市場の質=双方向型パイプの質

たとえ、基礎技術が開発できても、商業ベースに乗る応用技術が開発できなくては、発展・成長に寄与しない。そのためにも、高質な市場が不可欠である。

市場は、財を生産者から消費者に流し、消費者のニーズを情報に変換し生産者に流す双方向的なパイプである。このパイプの太さや機能が市場の質である。質の高い双方向的パイプができて、初めて、時代のニーズをつかんだ応用技術が開発できる。

第二次世界大戦後に米国で着手された宇宙開発やインターネットが良い例である。こうした基本技術が商業ベースに乗るのかと危惧された時代もあった。しかし、21世紀に入って、まずインターネットの商業的な価値が確立し、2021年はバージン・アトランティックやアマゾンの力で商業的な宇宙開発もその緒についた。宇宙ビジネスの成功は、レーガン・サッチャー改革以来の市場制度の改革を契機に、高質な市場が形成できたおかげである。

この間、欧米では、新しい産業政策に向けたさまざまな手法が開発されてきた。現代社会が求めるグリーン・イノベーションの実現には、30年後、50年後にどのような世界が生まれ、どんなニーズがあるかを見通す先見力が不可欠である。

地政学的なリスクの高まりとともに世界的に市場の質が低下しつつある現在、「新しい資本主義」を模索する意義は大きい。

2022年2月22日掲載

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