青木昌彦先生追悼コラム

青木昌彦先生がお亡くなりになって思うこと

山口 一男 客員研究員

青木先生から、夏に経済産業研究所(RIETI)に来ないか、と誘われたのは先生がRIETI所長になられて間もなくのことである。その時は、下の子(息子)がまだ高校生で、車社会の米国では、夏の課外活動の参加に親が送り迎えをしなければならないこともあり日本に行けないが、息子が大学に進学する2002年からなら、ということで口約束した。RIETIでする研究内容は筆者の研究領域を先生がご存知であったせいもあり、自由に選んで良いという寛大なものであった。筆者と先生の親交がいつから始まったか定かではないが、筆者がUCLAにいた1980年代からである。筆者は社会学者なのだが、たまたま高校同期の友人に石川経夫、岩井克人、奥野正寛の3経済学者がおり、青木先生は奥野・岩井両氏とは特に親しく、彼らを「奥野君」「岩井君」を呼び親しむ彼らの先生でもあっため、彼らの友人と知って筆者とも自然に「青木先生」「山口君」と呼び合う疑似師弟関係のようになった。1990年代には筆者が先生をシカゴ大学にお招きして、ゲリー・ベッカーと筆者の恩師でもあるジェームス・コールマンを中心に始めた「合理的選択理論」グループのセミナーと、東アジア研究グループのセミナーで、ご研究をご報告していただいたこともあった。

筆者が毎夏RIETIに来るようになったのは2003年からのことである。2002年には息子は大学に進学したのだが、筆者はその年グッゲンハイム財団のフェローシップをもらい、オランダのユトレヒト大学に客員教授で行ったからである。翌2003年にRIETIに来た時、筆者は青木先生に少子化問題をやりたいといい、それを先生は快く受け入れてくださった。そのことは、今では何の不思議もないように思えるかもしれないが。当時はまだ女性の活躍推進はもとより、ワークライフバランスも、少子化問題すらも経済産業省の主要政策課題でも、RIETIの主要研究領域にもなっていなかった。少子高齢化問題が、RIETIで重要な経済産業政策問題と位置づけられたのは次の吉富所長になってからのことである。

だが筆者が夏RIETIに来るようになって1年後の2004年に青木先生はRIETI所長の職を突然辞することになった。筆者が驚いたのは、ファカルティフェローの中でその時自主的にRIETIを去ることを決めた人が少なからずいたことである。「去就を共にする」という日本文化を再認識したのはその時である。筆者は青木先生に「私はまだRIETIで研究したいことが沢山あるので、やめるつもりはありません」と言いに行ったのだが、先生は「そんなことは勿論君の自由だよ」と答えられ、筆者がRIETIに来て以来2人で食事をしていなかったからという理由で、青木先生がひいきにしておられる天ぷら屋さんで夕食を共にすることになった。その時、RIETIのことから、日米の大学の違い、共有の研究関心領域の話題など、「四方山」に話し合ったことが今懐かしく思い出される。その後も、先生が主催するバーチャルな学際的研究対話の場であるVCASIに筆者も引き入れてくださり、交流を続けていただいた。RIETIでの筆者の研究は吉富所長・及川理事長以降のRIETI幹部の方々に強くサポートを受けたことに多くを負うが、きっかけを作ってくださったのは青木先生であり、そのことはいくら感謝してもしきれるものではない。

青木先生のご研究はシカゴ大学での授業にも使わせていただいている。筆者がシカゴ大学で教える『日本社会論』と『合理的選択理論』の中で先生のご研究を紹介するようになったのは1990年代になってからのことである。前者のコースについて、それまでに米国で最も読まれていた日本社会に関する本は中根千枝氏の『縦社会の人間関係』の英訳であるJapanese Societyという本であった。彼女は日本を理解するには日本独自の尺度が必要であるという主張の下に、日本社会を西洋的概念でなく日本固有の概念で説明しようとした。しかしこのことは意図せず日本の特異性を過度に強調することになり、西洋からみた日本を異質で遠い存在、理解のし難い不可思議な存在にしてしまっていた。筆者はそのような比較社会論の方法論には納得せず、一国の制度や文化を超える分析パラダイムの下で、日本を見る見方と並列しようと試みた。後者のアプローチは経済学者に多いが、それでも制度・文化について日本と欧米には顕著な違いもあり、日本を超える普遍主義的パラダイムでは、なかなか説明が難しい面があった。そんな時青木先生の比較制度論のアプローチはとても魅力的であった。青木先生が1980年代後半のご本・論文で特徴づけた日本企業の特性は、禅問答のような表現になるが、「特殊でないが・特殊である」ものであった。つまり日本企業の特性である、終身雇用や、メインバンクシステムや、下請け業者との長期的関係などの相互補完性や、先生がJ-モードと呼んだ日本企業内の「水平的調整」や「企業内情報共有」をその発展過程について説明する道具は、ゲーム理論という日本特殊では全くない、いわば普遍的分析手法であった。その一方、その理論から導かれたJ-モード企業の特性などは欧米では見られないものである点で日本は特殊だったのである。ゲーム理論の素養を持たない学生に青木理論は理解の難しい面もあるが、それでも制度が生まれる過程での「戦略的補完性」という考えなどは日本を知らなくても日本社会を論理的に理解するうえで大変役立つものであった。

青木先生はゲーム理論的方法をさらに発展させてコーポレート・ガバナンスの理念型を導いたり、個人の利益の追求が社会的にも最適な結果となるための条件として、分配の公平性についての価値観の共有の必要性などを強調されたりしておられたことは、先生のご研究に関心を持たれるかたには周知のことであろう。後者については、現実問題としてたとえば正規・非正規間の賃金格差にせよ、社会保障の負担と分配の世代間格差にせよ、あるべき公平な分配について国民共有の価値観が現在あるとは言い難い。青木理論からは、この共有の公平基準の欠如は各人の自由な選択に任せる市場主義的政策でこれらの問題に対し社会的に望ましい結果が得られる可能性が少ないことが示唆される。実際結果として、最大多数の最大幸福というよりは多数派のグループ(前述の例では、それぞれ正規雇用者や高齢世代)の利益を強く反映する結果が生じているように思える。まず国民に広く共有可能な公平な分配のあり方とは何かを見極め、それを政府も国民も実際に共有する必要があると、青木理論は示唆するのであろう。しかし青木先生が投げかけたこの学問上の問と答えは、残念ながら理想の条件が満たされない具体的な現実の問題には未だ回答を用意していない。先生に影響を受けた者が、その状況の改善について何らかの解を見出す努力をすることが、先生の学問的思想を生かし続けるとともに、わが国の市民社会の今後を良くすることに結びつくであろうと筆者は信じる。

2015年7月22日掲載

2015年7月22日掲載