青木昌彦先生追悼コラム

青木先生の思い出

元橋 一之
ファカルティフェロー

青木先生の突然の訃報に驚いております。私は、たまたま、昨年9月から半年間、先生がシニアフェローをされているスタンフォード大学アジア太平洋研究センターに滞在する機会をえて、先生とお昼をご一緒させていただいたり、同センターのランチセミナーで議論させていただきました。その際は、元気でいらっしゃったのに。最近の先生の関心事項は、中国の近世の歴史で、スタンフォードのセミナーでは、清朝から中華民国への移行プロセスで経済制度や社会システムの戦略的補完性に問題があり、工業化がうまくいかなかったことを経済理論モデルで解き明かした論文について話をされていました。日本の江戸から明治時代へのトランジションがうまくいったのとは対照的で、この時期に両国の工業化レベルの差が大きく開いた、という話は大変興味深いものでした。ちょうど、私も日本の産業競争力のあり方をやや長期的なパースペクティブで解き起こすという研究に取り組んでおり、日本の工業経済化が進んだ明治時代の経済社会構造について、新しい視点を与えていただいたことに一種の興奮を覚えたものでした。また、自分の研究成果を楽しそうに語られる先生の姿はいつもながら非常に魅力的でした。一方で、私がスタンフォードで取り組んでいた研究テーマの1つ、日本企業がシリコンバレーのイノベーションを取り込むためにCVC(Corporate Venture Capital)をどう使うか、についてセミナーで話をしたときには、鋭いコメントに私も一瞬たじろぐこともありました。先生の頭の中にはシリコンバレーのイノベーションエコシステムに関するモデルがあって、そこから得られる洞察は、実証研究を行う上で貴重な示唆を与えるものでした。

私が先生と最初にお会いしたのは、2000年ごろ先生が当時の通産研で講演をされたときでした。当時、私は通産省の行政官でしたが、日本の産業競争力を考えるうえで、日本的な雇用慣行とか経済システムの理解は不可欠と思い、先生の著作物を読み漁っておりました。いろいろと質問をしていると、一度ゆっくりと話をしないか、ということになり、先生は、私に分厚い論文集を渡され、これを読みなさいといわれました。後にMIT出版から出された"Toward Comparative Institutional Analysis"の草稿でした。先生はRIETI所長として東京に来られる前にスタンフォードから何度か通産研にこられていたと思うのですが、その際に本の内容について教えていただいたり、時には「ここは少しモデルの解釈として違うのではないか」とか、今から考えると失礼なことを申し上げたりしたものでした。具体的なやりとりの内容についてはあまり記憶にないのですが、どのようなコメントに対しても、真剣に答えていただいたことはよく覚えています。そのような縁もあって、RIETIが立ち上がるときには、計量データ室というのを作るので、そこの室長として来ないかという話を頂きました。ただし、当時、私は通産省から一橋大学に出向するという話が動いていたので、お断りしたのですが、非常勤でもいいということだったので、兼任で、RIETIの初代の計量データ室長をやらしていただくこととなりました。それから一橋大への出向中、2年くらいと思いますが、調査統計部の方にこの仕事を引き継ぐまで、RIETIでは、データベースや計量分析基盤の整備の仕事をさせていただきました。当時、青木先生は私の上司にあたる存在でしたが、非常に自由にいろいろなことをやらせていただきました。RIETIにはそれ以来、ファカルティフェローとしてずっとお世話になっておりますが、私が携わってきた研究プロジェクトの背景には、青木先生の理論がずっと根底に流れていたといっても過言ではありません。

私はこれまでイノベーションに関する研究に取り組んできていますが、1995年~98年までOECDに出向していたときに携わったプロジェクトに関係するナショナルイノベーションシステムというコンセプトをずっと引きずっています。企業や大学、国研など国全体のイノベーションシステムは、欧米や日本など国によって異なり、他国の政策を参考にする際にはその制度的な違いを勘案しないといけないという考え方です。この違いの背景について、青木先生が進められてきた比較制度分析が使えないかと考えたわけです。現在、RIETIでは日本型オープンイノベーションに関する実証研究というテーマに取り組んでいますが、こちらも日本の経済システム(たとえば長期雇用関係)にあった実行性の高いオープンイノベーションをどのように起こすかという問題意識に基づくものです。スタンフォードにおけるCVCの研究も、日本とシリコンバレーではイノベーションシステムが異なるが、逆に違うシステムに相互補完性がないか、その結節点としてCVCを再定義したいという問題意識に基づくもので、やはり理論的バックグラウンドとしては比較制度分析のアプローチが有効と考えています。私は実証研究が専門なので、自分で理論モデルを作ることはないですが、既存の理論モデルを、実証研究のデータや計量モデルの参考にさせていただくことはよくあります。その意味で、青木先生の存在は、非常に大きなものであったといえます。でも、このように過去形でしか先生の存在を語れないというのは大変残念です。日本として新しい時代のイノベーションシステムをどのように作っていたらいいのか、その結果として産業競争力を維持し、長期的な経済成長を実現するためにはどのような政策が必要なのか? 正直言って、自分としてもまだ明確な答えが出ていない状況です。まだまだ、先生とは、自分なりの仮説をぶつけて、議論をしたかった。ただ、先生の業績はまだ生きています。これからもお世話になることは間違いありません。このように先生との思い出を振り返ると感謝の気持ちで一杯です。これまでどうもありがとうございました。

2015年7月23日掲載

2015年7月23日掲載

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