青木昌彦先生追悼コラム
青木昌彦先生の思い出
小林 慶一郎
ファカルティフェロー
突然の訃報に接し、まだ考えをまとめることができません。まだまだお元気だと思っていましたし、これからもお会いする機会はあるものだと思っていましたが、半年ほど前に日本経済新聞社主催の立食パーティで短い立ち話をしたのが最後になってしまいました。かえすがえす悔やまれることの1つとして、そのさらに数カ月前、青木先生を囲む懇親会があり、私もお誘いいただいていたにもかかわらず、うっかりスケジュールを失念してしまって無断欠席するという大失態を演じていたのでした。今年または来年の懇親会で、そのときの失礼をお詫びし、また、青木先生の最近のご研究についてもじっくりお話を伺えるものだとばかり思い込んでいました。それももう叶わぬこととなってしまいました。
私は、青木先生が通商産業研究所長をされていた2000年ごろに通商産業省の職員として初めてお目にかかりました。2001年4月の経済産業研究所の創設時に私が研究員となって、それ以来、所長の青木先生には日々大変お世話になりました。私は、同年3月に通産省同期の加藤創太君と共著『日本経済の罠』(日本経済新聞社)を出版したばかりで、経済産業研究所では、この本で書いたアイデアを発展させて、マクロ経済学に大きなインパクトのある研究をしたいと意気込んでいました。一言でいえば、マクロ経済における様々な病理現象を「不良債権」を巡る金融面の問題として統一的に捉える、という構想を考えていました。
私は、アイデアが少し進むと、折に触れて青木先生にお時間をいただいて、議論し、コメントをいただくようなことをしていました。いまから思うと、研究所立ち上げの大変お忙しい時期に、無理にお時間をとっていただいたことも多々あったわけです。大変に失礼な振る舞いであったと反省しきりですが、先生は常に冷静に、あの特徴的な少年のような好奇心全開の眼をして議論につきあってくださり、研究への取り組みを励ましてくださいました。
書籍の方は、幸運にも賞をいただき、世間で注目も集め、ある程度は当時の日本の経済政策の方向づけにも貢献することができたのではないかと思いますが、RIETIでの研究は所期の構想どおりとは行きませんでした。青木先生も、私の構想に必ずしも心から納得されるということはなく、いつも最後は「さらに頑張って」と仰るのが常でした。この15年間、私は相も変わらず同じ研究プロジェクトを追い続けており、いつかしっかりした成果を挙げて、青木先生に「これは本当にいいね」と言っていただきたいと思ってきましたが、それももう叶わぬこととなってしまいました。本当に自分の力不足が悔やまれます。これからは、青木先生の墓前にご報告できる成果を挙げられるよう、一層精進してまいります。どうぞ安らかにお眠りください。
2015年7月22日掲載
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