第30回──RIETI政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-」直前企画

WTO紛争解決手続きの課題と展望:多角的貿易体制を維持するために先進国がなすべきこと

川瀬 剛志
ファカルティフェロー

自由貿易協定(FTA)/経済連携協定(EPA)などによる地域経済統合が進んでいる反面、WTO新ラウンドの進捗状況は思わしくありません。RIETI政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-」では、地域主義との関係、WTO機構の強化、通商政策決定の国内プロセス、グローバルガバナンスのそれぞれの観点から、WTOが抱える基本的課題を検討します。本コーナーでは、シンポジウム開催直前企画として、シンポジウムの論点や見どころ等についてシリーズで紹介していきます。第2回目は川瀬剛志ファカルティフェローにWTO紛争解決手続きの課題と展望についてお話を伺いました。

RIETI編集部:
多角的貿易ルールの整備およびその運用という観点から、WTO体制の現状をどのように認識していらっしゃいますか。

川瀬:
ルールの運用という点については、紛争解決了解(DSU)の下、紛争解決手続きの司法化・自動化が図られ、提訴から司法判断、勧告履行までの一連の手続きが、いずれかの当事国の一方的な裁量によって滞ることなく、中立性・公平性の保たれたかたちで進められる仕組みが出来上がりました。旧GATT時代に比べて手続きの司法化・自動化が飛躍的に進展し、WTO発足当初の期待以上に効果的・効率的に運用されてきた現行の紛争解決手続きは、極めて高く評価されている国際レジームということができます。

ただ、およそ条約というものは完璧にできあがっているものはなく、条文の解釈や中身について常に不備や争いがあります。WTOのルールも例外ではなく、実施してみると意味が分かりにくかったり、起草当初には想定されていなかった事態が起こってきます。現行のルールでうまく対応できない場合、加盟国が迅速に協議し、ルールを修正していくということが必要になりますが、この意思決定については、今のWTOは十分に機能していません。

RIETI編集部:
ルールづくりが遅々として進まないのはなぜでしょうか。

川瀬:
一言でいえば、コンセンサス(全会一致)方式による意思決定が迅速かつ機動的な合意形成を妨げているということです。しかも、WTOになって以来、コンセンサスが非常にとりにくくなっています。

まず、加盟国が飛躍的に伸びて、今日現在で148カ国となっています。さらに、加盟国が非常に多様化しています。WTOの前身であるGATTは、第二次世界大戦に勝った西側諸国中心に23カ国が加盟国となって発足しましたが、WTOの加盟国には、発展途上国やその中でも特に経済発展の遅れている後発発展途上国(LLDC)、中国のように社会主義を維持している国、旧東欧諸国のように社会主義経済から資本主義経済へ移行しつつある国々も含まれています。その中で、共通の利害を見出すのが難しくなってきています。

また、1999年のシアトル会議以降、WTO初期の時代あるいはGATT時代に比べて意思決定が良くも悪くも民主化・透明化されたということがあります。何を決めるにしても全員が一堂に会して喧喧諤諤やらなければならないということが常態化し、実質的な議論がしづらくなっています。かつては、いわゆる四極(日米欧加)に代表される少数有力国と発展途上国の中でも地域やグループを代表する一部の国々が中心になって意思決定を行ってきましたが、1999年のシアトル以降、こうしたいわゆる「グリーンルーム」と呼ばれるやり方の非民主性・不透明性が批判され、少数有力国と利益代表を中心に意思決定を行うことが難しくなっています。その結果、民主的で透明性が高くなったものの、他方で、意思決定の非効率化がもたらされています。

他方、司法の方を見てみると、GATTの時代に比べて、紛争解決手続がはるかに自動化されました。かつては紛争解決のためのパネルを立ち上げるにしても、パネルを立ち上げた後でどのような法的問題を審議するか(付託事項)を決定するにしても、両当事国のコンセンサスが必要で、片方が拒否すればそれで終わりだったのが、今では、ネガティブコンセンサス方式が採用され、全会一致で否決されない限り手続きが進められるという仕組みになっています。その結果、二国間で片付かない案件について法的判断が下され、敗訴した側は履行が迫られ、履行されない場合、勝訴した側は対抗措置がとれるということが迅速に行われるようになりました。そしてそこに、遅々として進まない立法(ルールづくり)と迅速化された司法のアンバランスが生じています。

RIETI編集部:
立法と司法のアンバランスによってどのような問題が生じているのでしょうか。

川瀬:
立法が機能しない結果、司法判断によって現実への対応を迫られるという事態が起き、紛争解決における非常に重い政治的責任を司法に負わせるという状況になっています。たとえば貿易と環境、文化、人権といった、きわめて政治的に微妙な他領域に関わる案件についてはパネル・上級委員会が判断を迫られるということがあります。また、米国のエビ禁輸問題(ウミガメ回避装置を使用せずに捕獲されたエビの輸入を禁止した米国をマレーシア、インド、パキスタン、タイの4カ国が提訴)では、環境保護団体が米国のウミガメ保護政策を擁護するアミカスブリーフをパネルに提出しましたが、このように紛争当事国以外の第三者によって意見書が提出された場合、その取扱いをどうするかについても、司法が判断を迫られました。

本来、立法的に解決されるべき微妙な政治問題を含む案件に対して、政治部門・意思決定部門が機能しないという現実がある一方、紛争解決手続が自動化され、パネル・上級委員会は判断を回避することが許されないというもうひとつの現実があり、何らかの判断を下さなければならないという問題があります。さらに、アミカスブリーフの問題に代表されるように、現行協定において明らかに想定されていない事態が出てきたとき、協定改正に委ねることができないために、パネル・上級委員会が判断せざるを得ないという問題があります。その結果、パネル・上級委員会による法創造(judicial lawmaking)が行われているとの強い批判が一部の加盟国、特に米国や途上国より出されています。

RIETI編集部:
パネル・上級委員会による司法判断が下されても必ずしも履行されない、履行されても遅きに失するという問題も指摘されています。これについてはどのようにお考えでしょうか。

川瀬:
不履行問題の理由はいくつかありますが、やはり、司法判断とその司法判断のもとになっている協定に対する規範的な意識が非常に重要だと思います。たとえば、ECは、発ガン性を理由に導入したホルモン牛肉禁輸措置について米国・カナダから提訴され、衛生植物検疫措置の適用に関する協定(SPS協定)に違反するとの判定が下されましたが、そもそも、たとえば消費者の不安を考慮に入れるなど、「科学的証拠だけがすべてではない」と考えているECにとってみれば、パネル・上級委員会のルール解釈以前の問題として、SPS協定そのものに対する不信感があります。もうひとつ代表的な不履行案件に米国が40億ドルの制裁措置を受けることになった外国販売会社(FSC)税制事件がありますが、これについても、直接税中心の米国としては、自国製品を輸出する際、間接税の割戻しは許されるのに直接税の割戻しは違反行為とする現行協定が、間接税中心のヨーロッパに有利にできているという思いがあります。このように協定そのものに対する不信感や不公平感は、当然、履行のあり方に影響しています。

パネル・上級委員会の判断・法解釈がおかしいということで履行されないケースもあります。たとえば、米国のバード修正法(外国企業から徴収した反ダンピングか税収入を被害業者へ分配することを義務付けた法律)がWTO協定違反とされましたが、米国は、明確にこれを禁じる規定がないのにも関わらず、パネル・上級委員会がGATT第6条の文言を拡大解釈することで違反判定を下したと考え、不満を持っています。仮にその行為がだめというのなら、そういうルールをつくるべきであって、ルールがないのにパネル・上級委員会の解釈で黒判定とされるのは納得がいかないというわけです。

「履行」の意味の曖昧さの問題もあります。パネル・上級委員会の報告書には、ある行為が「違反」であり、「よって、この問題の措置をWTO協定に適合するように是正すべく勧告するよう紛争解決期間(DSB)に要請する」ということしか書かれていません。是正するために具体的に何をやるかについては、パネル・上級委員会は一応「示唆(suggest)」する権限を持っていますが、被申立国の主権への配慮もあってほとんど使われていません。その結果、具体的に何をすれば協定との整合性を確保できるのかがきわめて曖昧です。たとえば先ほどのバード修正法がそうですが、米国は「バード修正法の改正で対処する」と主張し、訴えた側である日本やECは「法律そのものを廃止すべき」として、履行のあり方についても意見の対立が生じました。また、ホルモン牛肉の事件でも、危険評価をやり直して履行されたとするECと、あくまで輸入規制の撤廃こそが履行とする米国・カナダに対立があり、問題の解決を阻んでいます。

以上をまとめると、不履行問題を考える場合、「履行」が何かについて一般に考えられているほど明確ではないという問題があります。更に、法解釈について納得がいかない場合、または法解釈以前の問題として協定そのものに不満がある場合、パネル・上級委員会の勧告の不履行が起こり得るということがいえます。

RIETI編集部:
不履行や履行遅滞が相次ぐと、WTOで勝訴しても実質的な被害は防げないという問題も指摘されていますが、これについてはどうお考えですか。

川瀬:
狭義の執行力、つまり、判決をどれくらい強制的に履行させることができるかという問題になると思いますが、WTOの場合、対抗措置と履行までの時間的枠組みがいずれも完全ではないということがいえます。

まず、時間的枠組みの問題については、現状、DSB勧告が出てすぐに是正しなければならないのは禁止補助金関連だけで、その他の措置については最長15カ月の履行期間が設けられます。履行の有無に争いがある場合は、さらにそこから再度パネルが立ち上げられ、年単位の時間が費やされてようやく制裁措置がとれるということになっています。つまり、対抗措置をとれるまでの時間があまりにも長すぎるという問題があります。

次に対抗措置そのものの問題ですが、今のしくみがどうなっているかというと、まず15カ月の履行期間があって、それでもなお協定違反の措置が残っているとされた場合、そのことによって、将来、どれだけ貿易が制限されるかを計算し、それと同等のリバランス措置をとれるということに過ぎず、これまでの被害を過去に遡及して賠償させることは想定されていません。その結果、ヒットアンドラン(違反行為のやり得)という状況が生じています。たとえば反ダンピング税の場合、パネルによっては過去に徴収したものも含めて還付するよう勧告することもありますが、きわめて稀です。仮に反ダンピング税が過去に遡って還付されたところで、そもそも申立国にとって問題なのは、反ダンピング税が課せられることによって輸出機会が奪われたことによる遺失利益なのに、これについては回収する手立てがありません。つまり、リバランス措置の規定があっても、そのことが違反行為の抑止力にはなり得ていないということです。

RIETI編集部:
ルールづくりが進まないまま司法判断が先行し、その一方で司法判断が下されても必ずしも履行が担保されないという状況の下、敗訴した側には「国家の規制主権侵害」という不満がつのり、勝訴した側には「何のためにWTOはあるのか」という疑問が生まれ、WTO体制の存在意義が両側から問われています。その中で、今後、多角的貿易体制を維持していくとすれば、どこに活路を見出していくべきでしょうか。

川瀬:
やり方はいくつかあると思います。ひとつは制裁をきつくするということが考えられます。ただ、これについてはアカデミックな関心は高いものの交渉担当者の間での評価は得られないのが現状です。もうひとつは、パネル・上級委員会の規範的な機能を改善していくということが考えられますが、これについても、米国とECの間に大きな乖離があります。米国は、パネル・上級委員会の手続きが司法化・自動化されすぎているので、GATTの時代に戻して、報告書の内容を当事国や加盟国がある程度コントロールできるようにしようということを提案しています。逆にECは、現在はアドホックに設置されるパネルを常設化して、一定数のパネリストに数多くのケースをこなすことで経験を積ませ、法解釈・適用の精度を高めようと提案しています。

それではどこから手をつければいいかというと、なかなか難しい問題ですが、まずは不履行の意味を先進国がよく考えるべきです。今のところ不履行をおこしているのはほとんどが四極だけであり、途上国はきちんとWTO勧告を履行しています。最近、四極という枠組みのプレゼンスが随分と小さくなっていますが、貿易量で世界をリードする国々が勧告を履行せず、率先してWTO体制をおとしめるような行為をすることによって、WTOの信頼性・正当性にどのようなインパクトを与えているのか、きちんと考えてみるべきです。

日本は、リンゴ火傷病検疫の案件で「不履行フレンズ」の仲間入りをしてしまいましたが、それまでは敗訴案件が少ないこともあり、いい成績を維持してきました。SPS協定が決して完璧とは思いませんし、リンゴ農家のご懸念もあるでしょうが、法として定められているものを無視して問題解決を行うのは、誤りです。あくまでSPS協定の改正を訴えるべきであり、ここへきて汚点を残すべきではないと思います。現状、立法機能がうまく動いていないのは事実ですから、せめて現時点でうまく機能している司法システムを維持していくという姿勢を示すことが重要です。新しいルールづくりが進まない状況であればこそ、今あるルールの適用をきちんとして、たとえ交渉が進まなくてもWTOの存在意義があるということを示さなければなりません。

取材・文/RIETIウェブ編集部 名島光子 2005年7月8日

2005年7月8日掲載