ノンテクニカルサマリー

同調性とイノベーション

執筆者 大久保 敏弘(ファカルティフェロー)/アレクサンダー=ワグナー(チューリッヒ大学)/山田 和郎(京都大学)
研究プロジェクト 日本経済の活性化と地方・都市の創生
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

特定研究(第六期:2024〜2028年度)
「日本経済の活性化と地方・都市の創生」プロジェクト

地域文化と企業のイノベーション ― 戦前教育と江戸期藩校教育の長期的影響 ―

1.研究の背景と目的

イノベーションは、日本経済の持続的成長および地域経済の活性化にとって重要な要素である。人口減少や産業構造の転換が進む中、企業の研究開発(R&D)活動をいかに促進するかは、地方創生政策においても中核的課題となっている。しかし、同一の制度環境や全国一律の政策枠組みの下にあっても、企業のイノベーション活動には顕著な地域差が存在する。本研究は、その差異の背景に、地域に長期的に蓄積された社会的規範や価値観が存在する可能性に着目する。特に、社会的規範への同調傾向(同調性)が企業の研究開発行動にどのような影響を及ぼしているかを企業特性を全てコントロールした上で実証的に検証する。本研究の特徴は、戦前の徴兵時の全国教育調査を用いて、戦前時点の地域的価値観を定量化している点にある。この調査には、国語・理科・算数などの学力試験に加え、当時の修身教育に基づく設問が含まれていた。

2.修身教育と教育勅語の制度的背景

修身は、明治期以降の学校教育において制度的に位置付けられた道徳教育科目である。その思想的基盤の一つとなったのが、1890年に発布された教育勅語である。教育勅語は、忠孝、礼節、協調、秩序、公共への奉仕といった徳目を示し、それらを国民道徳の基本と位置付けた。明治期以降、修身は初等・中等教育における必修科目として制度化され、教科書や学校儀礼を通じて、これらの徳目が体系的に教えられた。修身教育は単なる倫理一般ではなく、社会秩序や公共心、規律を重視する内容を含んでおり、当時の国家的教育体系の一部として位置付けられていた。

男子徴兵時の教育調査は、こうした修身教育を受けた内容として実施されたものである。規範的同調性の測定に用いた設問は、「どの行為が公徳に当たるか」を問う内容であり、公共空間における礼節や規律といった、修身教育において強調された徳目に対応している。したがって、本研究で用いる指標は、単なる道徳的知識の有無ではなく、制度的に教えられた社会規範をどの程度内面化しているか、あるいはそれに同調しているかを反映するものと解釈できる。さらに、本研究では国語や理科等の成績をコントロールすることにより、認知能力とは区別された非認知的態度としての同調性を抽出している。この点で、修身の設問は、地域における規範的態度の差異を測定する上で、制度的背景を伴った歴史資料として重要な意味を持つ。

3.主な分析結果

第一に、修身の設問への正答率が高い、すなわち規範的同調性が高い地域ほど、現代の企業の研究開発投資比率が有意に低いことが確認された。同調性が1標準偏差高い都道府県では、企業の平均R&D比率が約2~3%低いという結果が得られている。この効果は、個々の企業規模や収益性、産業固定効果、地域所得水準などをコントロールした上でも頑強である。特許出願数についても概ね同様の傾向が観察される。これは、修身教育に基づく規範的同調傾向が地域の文化に影響し、時を経て現代の企業のリスク許容行動や新規R&D投資の判断に影響している可能性を示唆している。

第二に、地域文化の持続性が確認された。戦前の修身の正答率は、2000年代の学校調査に基づく同調性指標・道徳指標とも強く相関しており、戦後の経済発展や人口移動を経ても、地域の価値観が持続していることが示唆される。

第三に、地域間の社会的規範への同調性の差は、江戸期の藩校教育内容の違いに遡ることが示された。儒教的倫理や古典教育を重視した藩ほど、戦前期の修身設問の正答率が高く、2000年代の学校調査に基づく同調性指標も高く、その影響が現在の企業の研究開発行動にまで及んでいる。これは、江戸期の教育内容が明治期以降の修身教育を通じて地域的価値観に接続し、それが世代を超えて持続している可能性を示すものである。

4.政策的含意

本研究の結果は、地域イノベーション政策や地方創生政策を検討する際に、制度的インセンティブのみならず、地域の歴史的・文化的背景を考慮する必要性を示唆している。研究開発支援策は重要であるが、その効果は地域の規範的傾向によって左右され得る。修身教育に象徴される規範的同調性が強い地域では、リスクを伴う投資行動が相対的に慎重に評価される可能性がある。その場合、挑戦を後押しする制度的環境の整備や、外部との接続性の強化が政策的に重要となる。同時に、本研究は教育政策の長期的意義を示唆している。江戸期の教育内容が明治期の修身教育を経て地域文化に影響し、その影響が数世紀を超えて経済行動に及んでいる可能性を踏まえると、現在の教育方針もまた、将来の地域経済の行動様式を形作る要素となり得る。

5.結論

本研究は、修身教育に基づく全国調査を活用することで、地域に根付いた規範的態度が現代の企業のイノベーション活動に持続的な影響を及ぼしていることを示した。さらに、その起源が江戸期の教育制度にまで遡る可能性を提示することで、文化、教育、企業行動、地域経済を結ぶ長期的視点を提供している。地域経済政策やイノベーション政策を検討する上で、歴史的・制度的背景を踏まえた分析の重要性を示す結果である。