| 執筆者 | Akshar SAXENA(シンガポール南洋理工大学)/殷 婷(研究員(特任))/Mingxuan FAN(シンガポール国立大学)/Wenjie WANG(シンガポール南洋理工大学) |
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| 研究プロジェクト | コロナ禍における日中少子高齢化問題に関する経済分析 |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
人的資本プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「コロナ禍における日中少子高齢化問題に関する経済分析」プロジェクト
心臓病や脳卒中といった心血管疾患(CVD)は世界の主要な死因であるが、既存研究の多くは個人単位での健康ショックへの反応に焦点を当てており、家族という単位での動態に関する理解は十分ではない。家族は健康に関する意思決定の基本的な単位であり、1人の家族の発症が他の家族のリスク認識、予防行動、医療利用に影響を及ぼす可能性がある。
本研究では、日本のJMDCレセプトデータベース(※)を用いて、家族内での心血管疾患診断のスピルオーバー効果(波及効果)を検証する。
(※)JMDC Claims Databaseは2005年より複数の健康保険組合より寄せられたレセプト(入院、外来、調剤)および健診データを蓄積している疫学レセプトデータベースである。今回使用したサンプルはJMDCレセプトデータベース(対象期間2005~2023年)より抽出した、家族のうち1人が対象期間中にCVDを発症した被保険者家族(被雇用者+その扶養家族。CVD発症者含む)計5.6百万人のデータセット
具体的には、以下の3つの主要な研究課題に答える。
- 家族の1人がCVDを発症した場合、他の家族のCVD診断確率は上昇するか?
- この健康ショックは予防行動、特に健康診断受診を促すか?
- 家族の影響による受診は、その後のCVD発症リスクを低減するか?
これらの問いに対する答えは、医療費予測、予防プログラム設計、保険制度設計に直接的な示唆を与える。
主な結果としては、
1. 家族内における顕著なCVDスピルオーバーが存在している。すなわち、家族内ではCVD診断が時間的に集中して発生する傾向が顕著に見られた。
図1によると、CVD発症者発生(インデックスケース)後の家族のCVD診断のうち、22%がインデックスケース後1年以内に起きており、短期的スピルオーバーが大きいことが示される。家族関係別に見ると、配偶者で最も即時的な反応があり、同年が25%、翌年が23%の割合となっている。親子間でも強い世代間効果が確認され、CVDを発症した親のうち、14%が子どもの発症と同年、23%が翌年に診断されている。一方、子どもや兄弟姉妹では診断発生まで平均36~41か月で、配偶者・親(平均29~30か月)よりも長くなっている。
これらの時期的パターンは、世代ごとのリスク構造、同居状況、健康情報の伝達感度など複数の要因によって形成されることを示唆している。また、女性の発症を契機とした場合、家族内の他メンバーの診断タイミングが早まる傾向が見られ、健康情報の伝播における性別特有のダイナミクスが示唆される。
2. 家族をきっかけに健康診断を受ける人が増える。全体として、被雇用者以外の家族の中では健康診断を受ける割合はまだ限られているが、健康診断未受診者家族のうち、28%の人がCVD発症者が出た後に健康診断を受けている。この反応の強さは発症者との家族関係によって大きく異なっており、子どもの反応はほとんど見られない一方で、配偶者と親では非常に高い反応が見られ、それまで健康診断を受診していなかった配偶者と親のうちそれぞれ 67% 及び 78% が、家族の心血管疾患(CVD)診断後に健康診断を受けている。こうした「家族の病気をきっかけにした健康診断」は、明確な予防効果をもたらしている。
図2に示すように、インデックスケース発生後に健康診断を受けた家族では、2年以内のCVD発症割合が13ポイント低い。特に重要なのは「健康診断のタイミング」であり、家族のCVD発症前に健康診断を受けていた人よりも、家族の発症をきっかけに健康診断を受けた人の方が、早期のCVD発症を抑制するという点でより大きな予防効果を示した。このことは、健康上のショック(家族の発病)が、行動変化を引き起こす強力なきっかけとなることを示しており、予防医療政策の効果的な活用につながる可能性を示している。
本研究の結果は、医療政策や医療実務のさまざまな分野において重要な示唆を与えている。まず、医療費の予測において家族内スピルオーバー効果を考慮しない場合、急性疾患の発症後に生じるシステム全体の医療支出を過小評価してしまうおそれがある。次に、予防政策の観点からは、個人単位ではなく家族単位での予防や健診を推進する「家族中心型プログラム」の導入が有効である。これは、家族内の自然な情報伝達経路を活用できるため、費用対効果の高い施策につながる可能性が高い。さらに、保険制度の設計においても、家族内での健康リスクの集積を考慮することで、より精緻な保険料設定やリスク評価が可能となる。また、行動経済学の観点からは、健康ショックを「行動的ナッジ(行動を促すきっかけ)」として活用し、発症直後にリマインダーを送付したり、家族同時健診への補助を行ったり、複数の家族メンバーを巻き込んだケア連携を促進することで、予防効果を最大化できることが示唆される。