ノンテクニカルサマリー

スタートアップ促進が基盤技術に与える影響:SBIRとレーザーダイオード研究開発の日米分析

執筆者 清水 洋(早稲田大学)/和久津 尚彦(名古屋市立大学)
研究プロジェクト イノベーション、知識創造とマクロ経済
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

イノベーションプログラム(第五期:2020〜2023年度)
「イノベーション、知識創造とマクロ経済」プロジェクト

スタートアップを促進する制度整備は、イノベーションにどのような影響を与えるのだろうか。社会的に見れば、スタートアップは新規性の高いビジネス機会を開拓する機能を担っている。特に、既存企業での知識を基に、既存企業がターゲットとすることがないビジネス機会を追求するエンプロイー・スタートアップ(従業員による起業)はイノベーションの重要な源泉と考えられている(Klepper 2001, Agarwal et al. 2004)。

しかしながら、スタートアップの促進が技術変化にどのように影響するのかはよく分かっていない。新規性の高い技術が生み出されると一般的には想定されている一方で、既存の技術開発に対する影響も考慮する必要がある。

そこで、本論文では、スタートアップを促進する制度整備が、その後の技術開発のパターンにどのような影響を与えるのかを考察している。より具体的には、アメリカで1982年に制度化されたSmall Business Innovation Research(SBIR)が既存技術の技術的軌跡に与えた影響を、日米のレーザーダイオードの技術開発を差分の差分法(DID:Differences-in-Differences Design)により実証的に検証した。

SBIRは連邦政府による研究開発助成であり、その影響はSBIRの助成を受けた人だけに留まらない。SBIRは研究開発型のスタートアップを起業する障壁を下げるため、アメリカで研究開発に携わる人(これから携わる予定の人も含む)のインセンティブを変える。そのため、SBIRの影響を調べるためには、第1にそのような制度変化があった国や地域と、なかったところを比較する必要がある。さらに、それらの国や地域では、スタートアップを促進する制度が導入される前には、同じような研究開発の水準である必要がある。これらの条件がそろっており、なおかつ研究開発の成果が特許により特定しやすいレーザーダイオードを本論文では分析している。

本論文では、特に基盤的な研究開発の程度に分析の焦点を当て、発明者レベルと組織レベルで分析している。基盤的な研究開発を特定するためには国際特許分類(IPC:International Patent Classification)のH01S5を用い、H01S5が第1分類として付与されている特許を基盤的な研究開発の成果として分析した。データはアメリカの研究開発については米国特許商標庁(USPTO)の特許を、日本のものについては日本の特許庁(JPO)の特許を用いている。頑健性の確認のために、米国特許商標庁の特許だけを用いた分析も行っている。1982年に制度化されたSBIRが、研究開発費を助成し始めるのは1983年である。そこでSBIRが本格的に始まった1984年を基本的な介入の時期と考え分析をしつつ、介入時期を1982年あるいは1983年とした分析も頑健性の確認のために行っている。

本論文が注目するのは、SBIRが提供した機会が基盤的な研究開発にどのような影響を与えたかである。本論文では、非線形のDIDモデルに対して開発されたDIS(Difference-in-Semielasticities)推定量を用いて、SBIRの効果を分析した。DIS推定量は、アメリカにおける研究開発に従事する個人、あるいは組織が取得した基盤的な研究開発の成果の特許の数が、日本におけるそれに対してSBIRによって100×DISパーセントポイント変化すると解釈することができる。次の表は、推定結果の一部を抜粋し、そのDISの係数を載せたものである。

[ 図を拡大 ]
表

この推計結果では、DISは全て統計的に有意であり、負の値となっている。この結果は、SBIRによるスタートアップの促進は基礎的な研究開発を減らしていることを示している。その程度は、発明者レベルでは33.2から38.3パーセントポイント、組織レベルでは20.2から39.1パーセントポイントの減少であった。これは、その発明者の能力やこの領域での研究開発の経験、所属組織が大学であるかどうか、あるいは新規参入企業であるかどうかなどをコントロールした上でのものである。他のモデルでも推計結果は一貫したものであった。

本論文の結果を先行研究と照らし合わせて考えると、基盤的な研究開発からの乖離は、米国の発明者たちが、新興企業が開拓しようとした市場の他の分野に研究開発の重点を移した一つの兆候である。新規参入企業であるかどうかをコントロールしたとしても、SBIRが基盤的な研究開発に負の影響を与えているということは、SBIRの影響はスタートアップや新規に参入する研究者だけでなく、既存企業の研究者へも及んでいることが伺える。

SBIRは、そもそも研究開発の成果の事業化を促進することが目的である。実際に、サブマーケットにイノベーションは見られるようになっている(Shimizu 2019)。しかしながら、SBIRにより、研究開発型のスタートアップが促進される一方で、基盤的な研究開発が少なくなるとすれば、それだけに頼るイノベーション政策は中長期的な成長を犠牲にした短期的なイノベーションの成果を生むことになる可能性がある。

参考文献
  • Agarwal R, Echambadi R, Franco AM, Sarkar M (2004) Knowledge Transfer through Inheritance: Spin-Out Generation, Development, and Survival. Academy of Management Journal 47(4):501-522.
  • Klepper S (2001) Employee Startups in High-Tech Industries. Industrial and Corporate Change 10(3):639-674.
  • Shimizu H (2019) General Purpose Technology, Spin-Out, and Innovation: Technological Development of Laser Diodes in the United States and Japan (Springer, Singapore).