ノンテクニカルサマリー

営利・非営利企業間賃金格差:介護産業の事例から‐教師付き学習を用いた労働者間異質性の探索‐

執筆者 殷 婷(研究員(特任))/川田 恵介(東京大学)
研究プロジェクト コロナ禍における日中少子高齢化問題に関する経済分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「コロナ禍における日中少子高齢化問題に関する経済分析」プロジェクト

本稿は介護労働者の賃金構造について、特に労働者を雇用している事業所の経営主体に着目した分析を行う。介護労働市場が持つ大きな特徴の一つは、さまざまな経営主体が参入している点である。特に介護サービス提供については、営利/非営利主体が共に重要な役割を果たしている。このような多様な経営主体の存在は、提供サービスの充実に繋がる可能性がある一方で、労働者の労働条件について格差をもたらす可能性がある。介護労働の社会的重要性は広く認識される一方で、介護労働者の労働条件改善が長年の課題であり、その実態把握は重要な研究課題である。

このような背景から、経営主体間での賃金格差について、いくつかの先行研究が存在する。またより広義に介護産業以外も含めた、政府部門 VS 民間部門、あるいは営利主体 VS 非営利主体の賃金格差は各国で研究されてきた。本稿では、これまでの研究では不十分にしか分析されてこなかった、賃金格差の“異質性”に焦点を当てる。

介護産業に限らず、賃金格差の構造は、労働者の属性によって大きく異なることが予想される。例えば就業経験年数が長く、需要の大きな資格を有する介護労働者については、労働市場における獲得競争が激しく、経営主体の影響はあまり受けない可能性がある。反対に労働市場における獲得競争が不十分な状況では、(需要)独占力の影響を受けやすく、事業主体の違いが賃金に大きな影響を与える可能性がある。市場での競争が激しくない場合、経営主体は労働者に限界収益を下回る賃金を押し付けることが可能となる。このような場合、利潤動機のみを追求する経営主体の場合は低賃金を押し付ける一方で、事業をめぐるステークホルダー(含む労働者)の幅広い便益を考慮する主体であれば、労働者の厚生を改善するために、高い賃金を支払う可能性がある。

本稿は近年急速に発展した機械学習を応用した格差の推定法を用いることで、年齢や性別、資格の有無、教育経験など豊富な情報を処理することを可能にした。具体的には、多数の背景情報から、賃金や事業所の経営主体を予測するモデルをデータ主導で推定することができる。このような推定方法は、伝統的な研究者が推定モデルを決め打ちする方法に比べて、データの持つ情報をより引き出せることが期待できる。

推定の結果、サンプル全体で評価した場合、営利企業と非営利企業の間で、平均賃金にほとんど差がなかった(平均的に9千円ほど営利企業の賃金が高い)。ただし労働者の属性に応じた分析を行うと、営利/非営利間で大きな賃金格差が存在する層の存在が明らかとなった。非営利事業主体の方が4万円近く平均賃金が高い労働者層もあれば、営利事業主体の方が3万5千円ほど高い層も存在しており、それぞれ全体の10%程度を占める。

以下の図は、具体的な労働者の属性について、営利/非営利のどちらが賃金が高い傾向にあるのかを示している。各点が0線の右側にあれば、非営利事業所において相対的に高い賃金を得やすい傾向があることを示している。95%信頼区間(“誤差の範囲”)は横棒で示している。同図から、資格の保有や(介護についての専門的な教育を含む)教育経験を非営利事業は積極的に評価しており、高い賃金を得やすい傾向を示している。反対に営利事業者は、資格を保有しておらず教育年数が短い、労働市場において不利な立場にあると考えられる、労働者に対して非営利事業所よりも高い賃金を支払う傾向がある。

労働日数や時間からは、より長時間就労している労働者について、非営利事業の方が相対的に高賃金を支払っていることを示している。反対に短時間就労者については、営利事業所の方が高賃金と言える。基礎的な属性については、相対的に若年労働者について、非営利企業の方が賃金が高い。性別については、多少の差は観察されるものの、明確なものではなかった。

同結果は、介護市場における非営利/営利事業所間での賃金格差は、複雑な構造を持っており、“平均的な格差”を推定するだけでは実態把握が困難であることを示す。非営利事業所は、労働市場において不利な立場にあることが予想される労働者に対して、営利事業所よりも高い賃金を支払う傾向にあり、介護労働市場内での格差縮小に貢献している可能性を占めてしている。対して営利事業所は、教育や資格を積極的に評価している。このため営利事業所よりも、介護労働者の長期的なキャリアや人的資本形成を促進している可能性がある。労働市場においても、事業主体がそれぞれ異なる役割を果たしている介護市場においては、画一的な見方に基づく政策決定の弊害は大きい。さらなる実態把握を不断に進めることが重要である。

非営利事業所で相対的に高賃金な労働者の特徴
非営利事業所で相対的に高賃金な労働者の特徴
注:横軸は 非営利事業所が相対的な高賃金な労働者の特徴と営利事業所が相対的な高賃金な労働者の特徴の平均差を示している。