ノンテクニカルサマリー

資本収益率に異質性がある重複世代モデルにおける政府債務の最適規模

執筆者 平口 良司(明治大学)
研究プロジェクト 経済主体の異質性と日本経済の持続可能性
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業フロンティアプログラム(第五期:2020〜2023年度)
「経済主体の異質性と日本経済の持続可能性」プロジェクト

日本やアメリカをはじめとする諸先進国では政府債務が近年増大傾向にある。その一因として、2008年のリーマンショックによる不景気から脱するため、各国政府が財政出動を行ったことが挙げられる。政府債務の維持について考える際は、政府債務と名目GDPの比率である債務GDP比に着目することが多い。債務GDP比が際限なく増加し続ける場合、いずれ税収を用いて国債の利払い費や償還費をカバーすることができなくなり、債務不履行の可能性が高まる。日本ではこの債務GDP比が他国に例を見ないペースで上昇を続けており、現在は200%を超えている。日本の政府債務の維持可能性に疑問の声を上げている投資家や経済学者は少なくない。

この債務GDP比が発散しない条件としてよく知られているのが、金利rが名目経済成長率gを下回る(r<g)といういわゆるドーマー条件である。基礎的財政収支をゼロと仮定すると、債務GDP比の分子である債務は毎年金利に等しい割合だけ増加し続ける。その一方、分母である名目GDPの増加率は定義上経済成長率に等しい。つまり金利と成長率の差(r-g)が負である限り債務GDP比は発散せず値が安定することになる。

下の図は、日米における金利(10年物国債の利回り)と名目経済成長率の差(r-g)の過去25年間に及ぶ推移を示したものである。日米ともに、ここ10年はr-gの値が低下し、マイナスをとる状況が続いていること、つまりドーマー条件(r<g)が成立しつつあることがわかる。このような中、たとえ債務残高が増加していたとしても、追加的な国債発行を今行うことに問題はないとする主張が、著名なマクロ経済学者であるMIT名誉教授のブランシャール氏などから聞かれるようになった。国債により発生する経済的コストとして、貯蓄の多くが財政赤字のファイナンスにあてられ、そのせいで民間投資が抑制されてしまうというクラウディングアウトがあげられるが、ブランシャール氏は、r<gの状況においてこのコストは低いと述べている。

確かに、金利が成長率を下回る状況において国債を発行すると、経済理論上社会厚生(≒消費量)はかえって改善される。それは、金利が、資本など実物資産が生産を増やす限界的効果を示しているからである。しかしこの理論はいわゆる経済主体(消費者)の均一性を前提としており、人々の間に様々な差がある場合においては明らかではない。本論文では、経済主体の異質性を考慮した経済動学モデルを構築し、政府債務の最適規模について分析した。ここでは具体的に、人々が保有する資産からの収益についてリスクがあり、結果として資産から得る収益率に個人差が発生する状況を想定した。このモデルにおいて国債は安全資産としての機能を持つ。資産からの収益に不確実性がない場合、金利(r)は成長率(g)と等しくなるように国債発行の規模を決めることが社会厚生上最適であることが知られている。しかし資産収益率にリスクがあり、結果として人々が資産から得る収益に差がでる経済においては、国債金利が成長率を下回るような状況、つまり(r<g)が成立している状況が望ましくなることが分かった。その一つの理由として、資産からの収益率にリスクがある場合、人々は安全資産である国債を過剰に持ってしまうため、リスクがない場合の最適値である成長率よりも金利を下げ、国債保有の魅力を下げて実物資産への投資を促すことが社会的にみて望ましいからである。

日本や外国を問わず、政府債務に関してはその「持続性」について議論されることが多く、その規模の「最適性」について考えられることは少ない。ここでの「最適な国債規模」とは、債務不履行を起こさない最大限度の国債額ということではなく、国内総生産を最大にするような国債規模と考えることができる。(より厳密には社会厚生という、生産というより消費に近い量を最大にする国債規模ということである。)そして、持続性だけでなく、その最適性という議論についても金利と成長率の差がかかわってくるのである。金利が成長率を下回っているから債務は問題ないとする主張は、国債の持続性のみに偏った議論であり、やや問題があるといえる。日本はここ20年、諸外国に比べ資本蓄積の度合いが弱かったことがよく知られている。その一因として、不景気などを背景に、企業がリスクのある設備投資に対し及び腰であったことが考えられる。安全資産である国債が増えれば、国債を保有しリスクを回避しようとする動機も強まるであろう。日本の資本蓄積の低迷に多額の国債の存在がかかわっている可能性は高いといえる。今後は、政府債務の維持という観点を超えて、社会厚生の最大化の面からも最適政府債務の規模を考察する必要があり、単に金利と成長率の大小を比較するだけでは十分でないと筆者は考える。

図表
図表:長期金利と名目経済成長率の差の推移
出典:内閣府「令和4年度 年次経済財政報告 長期経済統計」及び「セントルイス連邦銀行FREDデータベース」より著者作成
注:データは5年の移動平均値である。長期金利として10年物国債の利回りを用いた。