ノンテクニカルサマリー

英国のEU離脱(ブレグジット)が日本の多国籍企業に与える影響

執筆者 HUANG Hanwei(City University of Hong Kong)/千賀 達朗(研究員(特任))/Catherine THOMAS(London School of Economics and Political Science)/張 紅詠(上席研究員)
研究プロジェクト グローバル・サプライチェーンの危機と課題に関する実証研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「グローバル・サプライチェーンの危機と課題に関する実証研究」プロジェクト

2016年6月に英国は国民投票で英国のEU離脱(ブレグジット)を選択した。2020年1月にEU離脱協定が署名され、2月1日から英国はEUの加盟国ではなくなった。さらに、2021年1月にEU-UK通商協力協定が(TCA)発効した。日本にとって英国は重要な対外直接投資(FDI)の受入国である。2015年末、英国が日本対EU FDIストックの31%、対外FDIストック全体の7%を占めており(参考:財務省・日本銀行)、日本企業英国現地法人の従業者数は約16万人(英国以外のEUでは約34万人)を超えている(出典:経済産業省「海外事業活動基本調査」)。ブレグジットが英国や欧州に進出している日本企業へ与える影響が懸念されている。

本稿では、日本の多国籍企業のミクロデータ(出典:経済産業省「海外事業活動基本調査」「海外現地法人四半期調査」の調査票情報)を使用して、ブレグジットがグローバルな生産ネットワークとサプライチェーンに与える影響を分析する。具体的には、差の差(DID)推定を行い、ブレグジットの前(2010~2015年)とブレグジットの後(2016~2019年)において、英国における現地法人とEU諸国における現地法人のパフォーマンス・企業行動を比較する。

図1は売上高、投資および雇用に関して英国現地法人が欧州全体の現地法人に占める割合を示したものである。まず、2016年第3四半期ブレグジット以降、英国現地法人の総売上(a)および現地向け売上高(b)のシェアは大きく低下した。一方、日本向けの輸出(c)および第三国向けの輸出(d)のシェアはブレグジット前からすでに徐々に低下してきたことが判明した。次に、設備投資(e)に関しては変動が非常に大きかったが、ブレグジット前に英国のシェアが比較的に高いように見える。さらに、従業者数(f)に関しては英国のシェアがブレグジット以降大きく低下したことが分かる。これらの結果は、ブレグジット以降英国が生産拠点として欧州におけるプレゼンスが低下したことを示している。

図1.英国が欧州の生産拠点としてのプレゼンス
図1.英国が欧州の生産拠点としてのプレゼンス
注:分析対象は海外製造現地法人である。論文のFigure 4参照。

図2はブレグジット前後の英国現地法人の販売調達パターンの変化を示したものである。(a)はブレグジット前、(b)はブレグジット後、▲は英国現地法人(産業レベルで集計)、〇は英国以外EU現地法人(産業レベルで集計)を示す。横軸は現地調達比率(現地調達額/仕入高)、縦軸は現地販売比率(現地販売額/売上高)である。現地調達比率が低いと、垂直的FDI(注1)の色合いは強い。これとは対照的に、現地での高い販売比率の場合、水平的FDI(注2)の色合いが強い。さらに、現地販売比率と現地調達比率がともに0から1の間の中間的な値を取る場合、ネットワークFDI(注3)として分類される(Baldwin and Okubo, 2014)。ブレグジット前、英国もEUもネットワークFDIが多かったが、ブレグジット後、英国現地法人の現地販売比率が高まり、より水平的FDIへとシフトしていることが明らかになった。

図2.英国現地法人の販売調達パターン
図2.英国現地法人の販売調達パターン
注:分析対象は海外製造現地法人である。論文のFigure 5参照。

差の差(DID)推定の結果は下記の通りである。
(1)ブレグジットによって、英国現地法人の売上高が約11%大幅に減少した。売上高の内訳を見ると、英国での現地販売、欧州市場向けの輸出、および日本向けの輸出がいずれも大きく減少した。
(2)ブレグジットが英国現地法人の調達に与える負の影響はさらに大きく(約14%)、特に現地調達と欧州市場からの輸入において顕著だった。
(3)英国現地法人はブレグジット後に、設備投資、雇用および日本側派遣者数を減らした。同時に、現地法人の生産性と利益率が低下し、英国から撤退する確率が統計的に有意に高くなった。
(4)ブレグジットの負の影響は、製造業よりも非製造業で大きく、サービスの貿易コストがはるかに高いことを示唆している。
これらの結果は、制度の変化による貿易コスト(およびその不確実性)の大幅な増大が、グローバルな生産ネットワークとサプライチェーンを再編させる可能性があることを示唆している。

本稿では、年次データの分析は2019 年度まで(四半期データの分析は2020年第3四半期まで)、2016年ブレグジット前後の影響のみを分析したものであり、当然2020年1月に英国が正式にEUを離脱した影響、2021年1月に発効したEU-UK TCAの影響については分析できなかった。従って、本稿の分析結果は、貿易政策・貿易コストおよび政治体制の実際の変化ではなく、ブレグジットを巡る不確実性ショックの影響を反映している可能性がある。

脚注
  1. ^ 垂直的なFDIは、生産段階を分割し国際間で分業することで、生産費用の格差をうまく利用して生産コストを抑制する目的がある(いわゆる、「生産効率の追求」)。
  2. ^ 水平的なFDIは、企業が多国籍化して複数の国で生産・販売し、貿易コストや輸送費を節約することを目的とする(いわゆる、「販売市場の追求」)。
  3. ^ ネットワークFDIは、垂直的か水平的かの2つのFDIだけではとらえ切れない、現地調達比率と現地販売比率がともに中間的な水準にあるFDIのことである。これは国際的なサプライチェーンの一部と見ることができる。
参照文献
  • Baldwin, R. and T. Okubo (2014) “Networked FDI: Sales and Sourcing Patterns of Japanese Foreign Affiliates,” The World Economy, 37(8): 1027-1196.