執筆者 | 黒田 祥子(ファカルティフェロー)/大西 宏一郎(早稲田大学) |
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研究プロジェクト | 多様な働き方と健康・生産性に関する研究 |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
人的資本プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「多様な働き方と健康・生産性に関する研究」プロジェクト
ギグワークは、2010年代以降、多くの国で急速に普及してきた。対して、日本では他国に比べてギグワークの認知や普及は相対的に遅かったが、副業や兼業という概念の普及と相俟って、コロナ禍において新しい働き方の一つとして認識されるようになってきた。しかし、スポット(単発)で仕事を請け負うこの新しい働き方の動向を既存の公式統計で捉えることは難しく、実態把握は今後の課題となっている。
そこで本稿は、日本のギグワーカーの実態を明らかにすることを目的として、日本のメガバンク一行から提供を受け秘匿化された銀行口座情報を用いて、2016年から2021年にかけての日本のギグ市場の動向を分析した。具体的に本稿では、ギグワーカーとして働く人を、主要プラットフォーム(ネット上で仕事の発注と請負の取引を提供する場)サービス会社からの入金記録を元に特定化し、ギグワーカーの属性やギグワークを開始したきっかけ、ギグ市場に参入後の就労確率などの実態把握を行った。
図1は、2016年1月から2021年8月の期間に、一カ月の間に主要プラットフォームサービス会社から1度でも入金があった口座を抽出し、当該銀行の個人普通口座に占める割合の推移を示したものである。図ではギグワークを2つに大別しており、フードデリバリー系(図中の太線:food delivery gig)は飲食店から飲食を配達するギグワーク、ノンデリバリー系(図中の実線:nondelivery gig)はそれ以外のギグワークを示している。図をみると、コロナ以前はノンデリバリー系のギグワーカーのほうが相対的に多かったものの、2020年4月の第1回緊急事態宣言後にはフードデリバリー系のギグワーカー急増し、その後も増加を続けたことがみてとれる。コロナ禍の急増傾向はノンデリバリー系のギグワーカーには顕著には観察されず、日本におけるコロナ禍のギグ市場拡大は主にフードデリバリー系ギグワークによるものだったと考えることができる。
そこで、さらに本稿ではフードデリバリー系のギグワーカーに焦点を充てた分析を行った。フードデリバリー系のギグワークに従事している口座所有者は、ギグワークをこの期間一度も行わなかった口座所有者と比べて、以下のような特徴があることがわかった。まず、フードデリバリー系ギグワーカーは20歳台が過半を占め相対的に年齢が若い人が多く、男性が約85%、本業を有している割合(当該銀行に給与振込がある口座)は3割程度であった。また流動性(「総預り資産末残」-「貯蓄性生命保険末残」-「無担保カードローン末残」)が低い人が多く、流動性が10万円未満の人は全体の7割弱を占めていた。ただし、コロナ禍前後(コロナ前:2018年1月-2019年12月、コロナ後:2020年4月-2021年8月)で比較すると、この特徴は変化していることもわかった。具体的には、コロナ前に比べてコロナ後には女性や中高年層、相対的に流動性に余裕がある層の参入が増えていた。一方で、本業からの給与振込がある口座の割合に変化はなかった。
本稿ではさらに、フードデリバリー系のギグワークに就くきっかけとして流動性の変化に注目した分析を行った。その結果を示したのが、図2である。図2の横軸は「0」がギグワークを開始した月、「-4, -3, -2, -1」はそれぞれ4、3、2、1カ月前を、「1,2」はギグワーク開始後1、2カ月後を示している。縦軸はギグ開始1か月前を0とした場合の、前後の月の流動性の差をプロットしている(なお、この図は個人間の口座残高の水準の違いを調整しているため、ギグ開始月に口座残高が0円を下回ったことを示したものではなく、あくまでもギグ開始1か月前の口座残高との相対的な差であることに留意されたい)。
図中の青線は、流動性(liquidity)の推移を示したものであり、赤線はギグワークからの収入を差し引いた後の流動性(liquidity minus gross gig income)を示している。青線に注目すると、ギグワークを開始する4か月前から徐々に流動性が低下しており、ギグワーク開始4か月前から前月までの4か月間で流動性が5万円超ほど低下していることがみてとれる。さらに、ギグ開始月以降の青線の動きをみると、さらに流動性が低下を続けていたことがわかる。なお、ギグ開始月以降の青線と赤線の差はギグワークからの収入であり、ギグワークを行うことでギグ開始直前月の水準まで流動性が回復していることがみてとれる。これらの観察からはギグワークは、流動性が急減した労働者にとって、それを補填する機能を担っていたと解釈できる。さらに、本稿の分析からは、コロナ前に比べて、コロナ後にギグワークの参入した人はギグ開始前の流動性の低下度合いが緩やかであるとの特徴があることもわかった。これは、コロナ後には流動性がコロナ以前に比べて大きく低下していなくても、ギグ市場に参入する人が増えたことを示している。
さらに本稿の分析からは、流動性の低下に伴いギグワークを開始したとしても、その後のギグワークの継続確率は高くなく、参入してから半年後には約半数は就労していないことも分かった。これらの結果は、ギグ市場が一時的な流動性低下を補填する市場として機能していることを示唆している。
近年、最低賃金の適用をはじめ、ギグワーカーの雇用保護をめぐり多くの国で議論が高まっている。不況時にギグ市場に参入する人が増えるという本稿で得られた知見は、労働供給の増加を通じてギグワーカーの賃金に一層の下方圧力がかかる可能性を示唆するものとも解釈できる。しかし、最低賃金の導入は需要の減退を通じてギグワーカーが働く機会を奪い、市場が担っている一時的な所得補填機能をなくすことにもつながりかねない。ギグ市場の法制度の在り方を検討するためには、労働供給・需要の双方からの知見を蓄積していく必要がある。