執筆者 | 牧岡 亮(リサーチアソシエイト)/張 紅詠(上席研究員) |
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研究プロジェクト | グローバル・サプライチェーンの危機と課題に関する実証研究 |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「グローバル・サプライチェーンの危機と課題に関する実証研究」プロジェクト
近年の国際貿易の特徴の第一に、2010年代後半以降、貿易政策が経済安全保障の観点から重要になってきていることが挙げられる。例えば、2019年にトランプ前米大統領によって導入された中国のファーウェイへの輸出管理はその表れであろう。また特徴の第二に、一つの財の生産工程が複数の国に跨って配置される、グローバル・バリューチェーンの進展が挙げられる。例えば半導体産業はその影響を特に受けており、研究開発工程は欧米、生産工程はアジアといったように、その生産工程が複数の国に跨って配置されている。国家安全保障の観点から導入される貿易政策は、グローバル・バリューチェーンに特徴づけられる産業の貿易・生産にどのような影響を与えるか?
このような問題意識のもと、本稿では2019年7月に発表された日本の韓国に対する輸出管理の厳格化が、日本と韓国の半導体産業の輸出や輸入、国内生産にどのような影響を与えたのかについて分析した。同輸出管理の厳格化は、日本政府が韓国と信頼関係の下に輸出管理に取り組むことが困難になっているという理由により発表され、半導体生産に不可欠な三つの化学物質(フッ化ポリミイド、レジスト、フッ化水素)の韓国への輸出管理が見直された。これにより、それらの化学物質を日本から韓国へ輸出する輸出業者は、一定期間包括的に輸出許可を受けることができる包括許可申請ではなく、取引ごとに輸出審査・許可を受けなければならない個別許可申請をする必要があり、輸出の際の手続きが煩雑になる。本研究では、同輸出管理の厳格化が輸出や輸入、国内生産に与える影響を、差の差推定法と合成コントロール法を用いて分析した。差の差推定法とは、政策の処置(ここでは、輸出管理の厳格化)を受けた財・国の政策前後での輸出入の変化と、処置を受けていない財・国のそれを比較することで、政策の因果関係を求める計量経済学の手法である。また合成コントロール法は、輸出管理の影響を受けた財・国の輸出入が、仮に同管理の厳格化が起こらなかった場合にどのようになっていたかという反実仮想を、厳格化の影響を受けてない財・国の輸出入の合成として構築し、輸出管理厳格化の影響を明らかにする分析手法である。
分析の結果、以下の5つの結果が得られた。第一に、輸出管理の厳格化により、三つの対象化学物質のうちの一つであるフッ化水素の日本から韓国への輸出額が約90%減少した一方、他の二つの物質への影響は観察されなかった(図1:政策の輸出額に対する影響の推定値が約-2.11なので、それを%変化に直すと(exp(-2.11)-1)×100= -87.89%となる)。後者への影響が観察されなかった理由としては、①分析で用いた財カテゴリー(HSコード 370790とHSコード391190の財)の中の一部のみが個別輸出許可の対象になったため、影響を観察しづらいという分析上の理由と、②2019年12月の時点で、日韓特定企業の取引に限り、最長三年間の輸出許可が下りたため、負の影響が短期間に止まったという制度上の理由などが考えられる。第二に、同厳格化により日本のフッ化水素の米国等第三国への輸出が増加しており、日本の半導体関連製品の産業全体での生産の減少は観察されなかった。第三に、韓国の厳格化対象三品目の輸入は、日本からベルギー、米国、台湾などの経済圏に調達先を再配分している可能性があることがわかった。第四に、韓国は中国への半導体製造装置の輸出を増加させた。これは、半導体生産の中国工場への部分的な移転の可能性を示唆している。そして第五に、三つの対象化学物質を製造する韓国企業の国内生産量と、同物質を生産する日本企業の韓国現地法人の生産量は、輸出管理の厳格化以後大幅に増加した。
これらの結果は、半導体産業における中間財輸入調達先の変更、生産移転に対する輸出管理厳格化の潜在的な影響を示唆している。またより一般的に、グローバル・バリューチェーンが進展している現代世界経済において、企業は貿易政策に直面する際に中間財調達先の変更や海外現地法人の再編などを行うため、当該政策の意図しない影響がある可能性がある。国家安全保障などを理由として貿易政策を用いる際には、それらの影響も考慮に入れた上で政策決定する必要がある。