ノンテクニカルサマリー

中国の産業補助金と上場企業のイノベーション活動―ミクロデータ分析―

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「グローバル・サプライチェーンの危機と課題に関する実証研究」プロジェクト

問題意識

近年中国における産業補助金が急増している。製造業に対する補助金額は2007年の145億元(約2,240億円)未満から2019年の1,600億元(約2兆5,000億円)まで急増し、平均成長率は24%もあった。特に、2018〜19年米中貿易摩擦の影響もあり、補助金の規模がさらに拡大している。さらに、2015年まで製造業と非製造業の差は小さいが、「中国製造2025」が実施された2015年以降、製造業と非製造業の差が急速に拡大している。

産業補助金の急拡大によって公正な競争環境が損なわれるという懸念も高まっている。中国政府による補助金を巡っては、先進国を中心とした複数の国から様々な指摘がなされている。WTO(世界貿易機関)では、補助金とその他の支援が不透明であり、市場を歪曲させ、過剰生産能力問題の原因となっているとも指摘されている。しかし、中国政府(中央と地方の両方)は、補助金や税制優遇などのインセンティブを積極的に提供することを通じて企業のイノベーション能力の向上と技術・品質のアップグレードを目指していることも事実である。

中国政府の産業補助金に対する批判が多いが、補助金の効果を評価するミクロ計量実証分析は非常に少ない。本研究は、中国製造業上場企業を対象とする約25万件の補助金に関する詳細なデータを用いて産業補助金に関する観察事実を提供し、補助金と中国企業のイノベーション活動(R&D投資、特許出願など)との関係を定量的に分析するものである。

データ

補助金は産業政策の手段として非常に重要であるが、実際中国政府が企業に対してどのぐらい補助金を支給しているのか?その実態を把握するのはそう簡単ではない。マクロレベルでみると、政府の財政支出のうち補助金に関する統計データの公表は不十分であり、以上の問いには答えられない。そこで、本研究は中国における産業補助金を分析するにあたって、WIND中国上場企業データベースの中の補助金データベースを利用した。ここでの補助金は上場企業の年次報告書に記載されている政府補助金のことである。データ期間は2007〜19年、補助金の件数はのべ約36万件、うち、製造業は約25万件にも上る。各企業が毎年中央政府・地方政府から受け取る様々な補助金については、各補助金プロジェクトの金額、名称及びその内容(どこから、何のためなど)を報告している。

分析結果

図1(論文では図8)は産業レベルで補助金とR&D投資の関係を示したものである。横軸は補助金集約度の平均、縦軸はR&D集約度の平均である。図の中の数字は産業コードである。この図から、補助金集約度が高いほど、R&D集約度は高い傾向が見て取れる。つまり、補助金とR&D投資との間に正の相関関係がある。精密器具・事務用品(22)、電子・通信機器(21)、産業機械および機器(19)では、補助金集約度が高くてR&D集約度も非常に高い一方、食品・飲料(6)、石油・石炭製品(13)などでは、補助金集約度が低くてR&D集約度も低い。産業間のバラつきが大きいことがわかる。また、補助金とR&D投資の相関係数は、2010年に0.68、2018年に0.92、相関が非常に強い。2015年「中国製造2025」実施後、補助金とR&D投資の関係がより強くなっていることがわかる。

図1. 補助金とR&D投資の関係
図1. 補助金とR&D投資の関係

中国政府が2015年5月に産業政策「中国製造2025」(Made in China 2025, MIC2025)を発表した。国家戦略として、「製造大国」から「製造強国」へ転換し、2025年までに製造強国に入ることを目指している。「中国製造2025」の重点分野に対して金融支援、財政税制支援が実施されている。本研究では、傾向スコアマッチング(PSM)と差の差(DID)分析の手法を用いて「中国製造2025」の政策効果を推定する。分析では、まず「中国製造2025」の重点分野と品目を示すキーワードを利用して上場企業の補助金データベースを検索することによって、「中国製造2025」関連の補助金プロジェクトを識別することを試みた。「中国製造2025」関連の補助金(以下、MIC補助金)1件以上を受けている企業を「中国製造2025」企業(以下、MIC企業)と定義している。2015年製造業上場企業1,792社の内、397社(約22%)がMIC補助金を受けている。

図2(論文では図14)は、トリートメント・グループとコントロール・グループの補助金額(パネルA)、R&D投資(B)、特許の出願件数(C)と特許の登録件数(D)について、それぞれの平均の推移を示したものである。ここでの補助金額は企業が受け取るすべての補助金の金額である。この図からは、すべてのアウトカム指標に関しては、2015年「中国製造2025」政策実施前(2007〜14年)、トリートメント・グループ(MIC)とコントロール・グループ(non-MIC)は同じ傾向があり、グループ間に大きな差はないことがわかる。しかし、「中国製造2025」政策実施後(2015年~)、コントロール・グループに比べて、トリートメント・グループの補助金額、R&D投資、特許の出願件数・登録件数はすべて急増しており、グループ間の差が拡大していることが見て取れる。MIC補助金を受けている企業のイノベーション活動が、他の企業よりも拡大していることを示唆している。

図2. MIC企業 VS non-MIC企業
図2. MIC企業 VS non-MIC企業
注:補助金額・R&D投資の単位は百万元、特許出願・登録の単位は件数。金額と件数は各グループの平均値。

PSMとDID推定を行った結果から、「中国製造2025」関連の補助金を受けていない企業に比べて、補助金を受けている企業は2015年以降R&D投資が14.9%、特許の出願件数(登録件数)が18.3%(24.9%)増加したことが明らかになった。興味深いのは、補助金が生産規模を拡大させるものの、生産性への効果は限定的であることである。本研究の分析結果は、総じて補助金と「中国製造2025」の正の効果を示しているが、経済厚生の観点からこれらの政策は有益か有害かについて示したものではないことに留意する必要がある。