ノンテクニカルサマリー

禁煙プログラムの生産性への短期的影響

執筆者 高橋 孝平 (早稲田大学)/中室 牧子 (慶應義塾大学)/大湾 秀雄 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 人事施策の生産性効果と雇用システムの変容
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「人事施策の生産性効果と雇用システムの変容」プロジェクト

2018年7月に健康増進法の一部を改正する法律が成立し、2020年4月1日より全面施行された。この法改正によって、多数の者が利用する施設では、喫煙専用室を除いて全面禁煙となった。特に、企業は喫煙者の従業員がいる場合、自社の屋内に喫煙室を設置・維持・管理をしなければならず、追加的なコストを負担する義務を負う。このため、禁煙を促す情報提供や研修、禁煙外来の助成、定期健診時の産業による指導、禁煙が成功した場合の金銭的インセンティブなど、労働者の禁煙を積極的に支援する企業も見られている。このような労働者の禁煙を支援する試みは、社員の健康管理を経営課題として捉え、社員の健康と生産性向上の両方を目指す経営手法である「健康経営」の一環として注目を集めている。

先行研究によれば、禁煙が生産性に影響を与える経路は3つある。1つ目は欠勤や休職により仕事に従事できない状態を指す「アブセンティーイズム」の改善、または出勤しているものの、心身の不調によって十分なパフォーマンスを発揮できない「プレゼンティーイズム」の改善である。禁煙によって、呼吸・循環機能、免疫機能が回復し、身体的・精神的倦怠感などの症状も緩和すれば、これらの改善につながる。もう1つは実労働時間の増加である。たばこ休憩による機会損失は大きく、たばこ休憩が少なくなれば、その分実労働時間が増加または残業時間が減少すると期待される。最後に、禁煙による機会損失の改善を通じた賃金への影響についても高い関心が持たれている。

本研究では、上場企業と共同で、禁煙外来の受診料の助成と、禁煙に成功した場合の金銭的インセンティブをセットにした禁煙支援プログラムへの参加者を募集し、ランダム化比較試験によってプログラムが喫煙行動だけでなく、労働者のアブセンティーイズム、プレゼンティーイズム、労働時間、ストレスや健康に与える因果効果を推定する。分析の結果、禁煙支援プログラムに参加した73人中75%が禁煙に成功した。これは一般的な禁煙外来への通院による成功率(34.5%)と比較しても相当高く、金銭的インセンティブが禁煙成功に与える影響は大きいとみられる。先行研究同様、学歴、喫煙年数、時間割引率などが禁煙の予測因子であることも明らかになった。禁煙支援プログラムの局所的平均処置効果(LATE)を見ると、禁煙成功は1日のたばこ休憩を47.1分も減少させたが、回答月の月間勤務時間には有意な影響を与えなかった。したがって、たばこ休憩を除いた実質労働時間は増えている。過去28日間の健康問題に起因した欠勤日数を0.6日、半休日数を0.5日減少させ、禁煙による健康増進がアブセンティーイズムを改善することが示唆された。絶対的プレゼンティーイズムも約0.5標準偏差改善していることも明らかになった。加えて、ストレスも0.9標準偏差減少、適正体重や定期的な運動など健康指標も改善した。介入前後での被験者の脱落を考慮した推定においても結果の頑健性が確認された。

プログラム開始前の喫煙本数による異質性を見てみると、もともと喫煙本数が多いほど、睡眠時間が減少し、健康問題による欠勤日数が増加し、ストレスが強くなっていることが分かる。これは禁煙後にニコチンが体内から喪失することによって生じる離脱症状と見られ、もともと喫煙本数が多い被験者にはプログラム終了後のフォローが重要なことを示唆する。

プログラム費用と比較した禁煙の経済的効果を試算した。プログラム実施にかかった費用は禁煙外来の受診費と交通費(定額で合計25,000円)と、禁煙成功者に抽選で与えられる10万円の金銭的インセンティブであり、参加者44名の合計費用は1,700千円である。協力企業の2020年度40歳代(被験者平均年齢層)平均時給(3327.9円)を人件費として、一人当たりの2020年度損失改善の合計が812,5千円となった。そのうち健康問題による欠勤の改善効果が251,1千円、プレゼンティーイズムの改善が220,3千円、たばこ休憩による機会損失が341,0千円であり、プログラム費用のおよそ16倍の便益を生み出したことがわかった。

禁煙促進によって、費用対効果の高い従業員の生産性向上が見込める。これは企業にとっても従業員本人にとっても大きなメリットとなる。社員の生産性向上・健康寿命延伸を狙って、禁煙がより重要な施策となってくるだろう。しかし、従業員個人が自らの意思で禁煙への一歩を踏み出すのは容易ではない。本プログラムのような禁煙促進に向けた企業のサポートが社会的にも望ましい。金銭的インセンティブや職場が支える取組みなど、個人ではできない企業の制度設計や施策が、禁煙成功率を高める上で、重要になっていくであろう。

(2021年9月改訂)

図:禁煙の効果
図:禁煙の効果
注:図ではアウトカムのうち、有意な結果が観察できたもののみを載せている。***,**,*はそれぞれ1%, 5%,10%水準での統計的有意を表す。横軸は各変数の推定値を標準偏差で割った値であり、標準偏差を共通単位としたインパクトを可視化している。図に書かれている値は元の推計値であり、それぞれのアウトカムへの効果を表す。