ノンテクニカルサマリー

アロマセラピーは、健常高齢者の認知機能改善に効果があるか?-ランダム化比較試験による検証-

執筆者 宗 未来 (東京歯科大学)/小杉 良子 (慶應義塾大学)/新生 暁子 (順天堂大学)/小田木 友依 (慶應義塾大学)/腰 みさき (慶應義塾大学)/橋本 空 (ユナイテッド・ヘルスコミュニケーション株式会社)/関沢 洋一 (上席研究員)/斎藤 文恵 (慶應義塾大学)/小西 海香 (慶應義塾大学)/森 恵莉 (慈恵医科大学)/船山 道隆 (足利赤十字病院)/田渕 肇 (慶應義塾大学)/三村 將 (慶應義塾大学)
研究プロジェクト エビデンスに基づく医療に立脚した医療費適正化策や健康経営のあり方の探求
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「エビデンスに基づく医療に立脚した医療費適正化策や健康経営のあり方の探求」プロジェクト

ポイント

  • アロマセラピーが健常高齢者における認知機能改善に、本当に効果があるのかという厳密な証明はこれまで世界的にも事実上皆無であり、医科学的に信頼性の高い方法論であるランダム化比較試験(RCT)によって今回それを検証した。
  • 分析の結果、アロマセラピーには注意機能を改善させる効果が示された一方で、記憶を含む他のほとんどの認知機能や、幸福度や睡眠といった心理的な評価ではアロマセラピーの効果が認められなかった。
  • "認知症の問題=記憶力低下"と理解されがちであるが、注意機能は高齢者の危険運転や自立生活の破綻を招くリスクという意味においては、記憶機能以上に重要であることが知られており、その点ではアロマセラピーの効能に期待が集まる一方、今後のさらなる検証が望まれる。

1.問題意識と研究の設計

高齢化社会の急速な進展に伴い、高齢者の認知機能の維持改善のためのエビデンスに裏付けられた方法論の開発は急務である。しかしながら、アルツハイマー型認知症の回復が期待できる治療薬の臨床試験はこれまでに成功しておらず、薬物療法の限界が示唆されている。現状では、この問題の現実的な解決策として、「リハビリテーションによる機能回復」が期待されている。

多くの認知症患者では、記憶より先に嗅覚が衰え、興味深いことに、逆に嗅覚を刺激し続けることで脳の海馬領域の体積拡大や、神経細胞が新たに生まれる神経新生現象の活性化が報告され、嗅覚刺激が認知機能を改善する可能性があることが知られている。

そのため、アロマセラピーは認知症に効果があるとの期待から、「認知症アロマ」などと称して販売され、高齢者介護の場などでも広く普及している。しかし、これまで認知症患者の認知機能を、厳密な医科学的検証によってアロマテラピーが改善させたという報告はわれわれの知る限り諸外国でも認められていない。

既存の高齢者に対する研究は、単⼀群での前後比較試験ばかりでこれでは学習効果やプラセボ効果などのバイアスの影響が否定できず信頼性に乏しい。

にも関わらず、医科学効果を謳うにあたり必須であるはずのプラセボなどの対照群を用いて比較するランダム化比較試験(RCT)での確認がないまま、専門家などによって認知症の“認知機能を改善”などと喧伝されている現状は社会的にも不健全であり、その厳密な科学的検証を行うことは消費者保護の観点からも不可欠と考えられる。

そこで本研究では、健常高齢者においてアロマセラピーでの嗅覚刺激によって認知機能に改善が得られるかについての検証をRCTで行った。

2.方法

健常高齢者119名を、朝晩2時間ずつアロマシールを洋服に貼るアロマセラピー群60名と、アロマの代わりにエタノールを用いるプラセボ群59名に分け、12週間の介入を行った(図1)。主要評価項目は注意機能検査であるPASAT(ひとつの課題を2秒かけて解答することが許される2秒条件と、同課題を半分の1秒で解答することを求められる難易度のより高い1秒条件からなる)、副次的評価項目として記憶等の他の認知機能に加えて幸福度(ウェルビーイング)や睡眠等の評価も行った。

図1 嗅覚曝露のイメージ
図1 嗅覚曝露のイメージ

3.結果

注意機能の評価検査であるPASAT は、2秒条件においては、アロマセラピー群における正答数の得点増加が平均5.80(95%信頼区間[3.76 - 7.84])に対して、プラセボ群では平均2.48(95%信頼区間[0.48 - 4.47])とその平均差は3.32(95%信頼区間[0.47 - 6.17])と有意な(p=0.0223)改善を認めていた(図2)。

図2 健常高齢者の注意機能に対するアロマセラピーの効果(PASAT-2秒条件)
図2 健常高齢者の注意機能に対するアロマセラピーの効果(PASAT-2秒条件)

一方で、より難度の高い1秒条件においては、介入前後の変化に有意な群間差は認めなかった。また他の殆どの認知機能や心理的評価では差を認めなかったが、ウェルビーング(幸福度)と嗅覚(同定能力)ではプラセボ群が優っていた。

4.考察

本研究では、アロマセラピーに注意機能を改善させることが示された一方で、記憶機能の改善は認めなかった。認知症といえば、記憶力低下がまず頭に浮かぶ。確かに記憶力は重要な認知症の中核症状には違いないが“生活の質”という意味では、近年は記憶力よりも注意力こそ、より重視されるべきとの議論が高まっている。

加齢に伴いまず先に低下する注意機能は、脳機能の中でも近年注目されており、アルツハイマー型認知症や、その予備群である軽度認知障害(MCI)を対象に、低下したさまざまな認知機能と、家事や金銭管理といった日常の生活管理能力との関係を調べた研究では、注意力の低下が最も生活管理能力に悪影響を与えていたとも報告されている。

火の不始末、転倒でのケガや入浴時の溺水、誤薬、詐欺被害といった高齢者の自立生活を破綻させるさまざまなリスクに直結するのも注意力であり、逆に注意力の低下をなんとかできれば、多少記憶力が落ちても、安全かつ自立した生活の延伸化が可能とも考えられてきている。実際に、信号無視や車のアクセルとブレーキの踏み間違えのような高齢者の危険運転のリスクも、記憶力低下ではなく注意力低下で生じることが医学的に報告されている。

そのため、高齢者の自立生活破綻や危険運転等への影響の大きな注意改善効果が、アロマセラピーによって示された本研究の臨床的意義は認められる一方で、他の大半の認知機能や心理社会的変数への効果は示されず、今後のさらなる検証が望まれる。