ノンテクニカルサマリー

メリッツモデルにおける最適関税:貿易政策に対する十分統計量アプローチ

執筆者 荒 知宏 (福島大学)
研究プロジェクト グローバル経済が直面する政策課題の分析
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備考

初版:2021年4月
改訂版:2025年12月

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「グローバル経済が直面する政策課題の分析」プロジェクト

貿易利益は多くの場合、「貿易弾力性」と「国内支出シェア」という2つの十分統計量で測ることができる(Arkolakis et al., 2012)。前者は1%だけ貿易費用が低下する場合にどれだけ輸入量が増加するかで重力方程式から推計するのに対して、後者は国内支出額/(国内支出額+輸入額) で集計データから推計する。これは上の2つの統計量がデータから観測できれば、一国経済が国際貿易によってどれぐらいの貿易利益を得ているのかが定量的に判断できることを意味し、最近の研究ではこれらの十分統計量を正確に計測するためにはどうすれば良いかという研究が盛んに行われている。例えば貿易弾力性は貿易国のペアが近隣かどうか、その経済規模が大きいかどうかによって大きく異なることが知られている(Bas et al., 2017)。本論文では、以上の研究動向を踏まえて、非対称な2国が国際貿易する企業の異質性モデル(Melitz, 2003)において、2つの十分統計量を使って最適な輸入関税率(最適関税)を表現し、国際経済での競争環境の変化が統計量に与える影響を考察して、その政策的含意を検証した。主要な結果は以下の2点にある。

第1に、もし貿易弾力性が一定で、どの貿易国のペアを取っても同じであるならば、最適関税の水準はどの貿易国のペアでも同じになるということである。この結果は、どんな国でも2つの十分統計量が与えられれば、自動的に最適な輸入関税率が決まることを意味し、異なる貿易モデルであっても貿易利益は全て同じであるとするArkolakis et al. (2012)の理論結果を貿易政策に応用したものである。しかし最近の研究が明らかにしたように、一般的には貿易弾力性は貿易国のペアによって大きく異なる。その場合には、異なる貿易モデルでの最適関税の一致が成立しない。この結果は、政府がどのような輸入関税を設定すべきかどうかは貿易相手国が近隣かどうか、市場規模が大きいかどうかなどの経済事情によって異なることを意味し、異なる貿易モデルでは貿易利益は2つの十分統計量だけで必ずしも計測できないとするMelitz and Redding (2015)の理論結果を貿易政策に応用したものである。

第2に、国際経済での競争環境の変化が最適な輸入関税率に与える影響についても、貿易弾力性が一定かどうかに依存するということである。例えば、国の経済規模が人口増加によって大きくなり、貿易相手国に対してより優位な立場になるとしよう。もし貿易弾力性が一定であるならば、大国であるほど高い関税率を課すことで、交易条件が改善し、より大きな貿易利益を得ることができることが知られている。それに対し、もし貿易弾力性が貿易相手国によって異なる場合には、大国であっても関税によって貿易利益を得る余地はだいぶ小さくなることが分かった。この結果は、例えばトランプ政権で米国が貿易相手国に対して、高い輸入関税を課すことで貿易利益が得られる可能性があるかどうかは、貿易相手国の貿易弾力性を注視する必要があることを意味する。図1は以上の最適関税と市場規模の関係を数量的に示したものである。ここでの数値はモデルの均衡解を米国の実際のデータを使って解いたもので、青い実線と赤い破線はそれぞれ企業の異質性があるモデルで貿易弾力性が貿易相手国によって変動する場合と一定の場合である(灰色の点線は企業の異質性もない場合)。図の点で示されている米国の最適関税率は前者では16.6%であるのに対し、後者では23.6%とだいぶ開きがある。また、横軸で測られる米国の経済規模が大きくなるとしても、前者では後者より関税の増分が小さい。この数量的な分析からも、貿易弾力性が変動か一定かによって、望ましい関税水準は大きく異なることが分かる。

図1 最適関税と経済規模
図1 最適関税と経済規模

以上の結果の政策的含意は、貿易政策の立案者が関税を設定する際にも、観察可能な貿易相手国の十分統計量に関する知識を必要とすることである。政府が統計等を積極的に利用して、経済学的に合理的根拠に基づく政策立案(Evidence-Based Policy Making: EBPM)が各国で推進されているが、本研究はそれを貿易政策の文脈で理論的、数量的に分析したものと言える。

参考文献
  • Arkolakis C, Costinot A, Rodriguez-Clare A. 2012. "New Trade Models, Same Old Gains?" American Economic Review, 102, 94-130.
  • Bas M, Mayer T, Thoenig M. 2017. From Micro to Macro: Demand, Supply, and Heterogeneity in the Trade Elasticity. Journal of International Economics, 108, 1-19.
  • Melitz MJ. 2003. "The Impact of Trade on Intra-Industry Reallocations and Aggregate Industry Productivity." Econometrica, 71, 1695-1725.
  • Melitz MJ, Redding SJ. 2015. New Trade Models, New Welfare Implications. American Economic Review, 105, 1105-1146.