ノンテクニカルサマリー

日本企業の為替リスク管理とインボイス通貨選択 平成30年度日本企業の海外現地法人アンケート調査結果概要

執筆者 伊藤 隆敏 (コロンビア大学 / 政策研究大学院大学)/鯉渕 賢 (中央大学)/佐藤 清隆 (横浜国立大学)/清水 順子 (学習院大学)/吉見 太洋 (中央大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

伊藤・鯉渕・佐藤・清水ほか(2008, 2009, 2010, 2011, 2015, 2016)(注1)では、日本企業の貿易建値通貨(インボイス通貨)選択に関してインタビュー調査やアンケート調査を用いて分析を行ってきた。そこでは日本企業のアジア向け輸出における米ドル建てシェアの高さの原因として、アジアを中心に展開する日本企業が日本から基幹部品をアジアの生産子会社に輸出、製品化したあと第三国(特に米州、欧州)へ輸出する構造が指摘された。日本の大企業の多くは、本社財務部による「集中的な為替リスク管理」のもと、「企業内貿易」である海外現地法人との取引を米ドル建てで統一することで、企業グループ全体における為替リスクを最小化している。1990年代はじめには、アジア諸国の多くがドルペッグ制を採用していたことも米ドル建てを選択する大きな理由であった。その後、アジア通貨危機を経てアジア諸国は管理変動相場制に移行し、2005年の中国の人民元改革を経て、2010年代以降はさらに柔軟な為替相場制度へと移行した。その結果、米ドル建てという選択は日本の本社と海外現地法人の双方で為替リスクを発生させる可能性が高まっている。日本企業が急激な為替変動に対してどの程度為替リスク回避ができているかどうかは、海外現地法人の通貨選択がカギを握っている。

本研究グループが過去二回実施した海外現地法人対象のアンケート調査(2010年と2014年に実施)では、所在地別のインボイス通貨選択の特徴として、北米や欧州所在の日系現地法人は米ドル建て、およびユーロ建ての取引が最大のシェアを占めている一方で、アジア所在の現地法人では米ドルと日本円のシェアが拮抗しているという結果が得られた。特に、アジアの「生産」拠点の場合は、日本との輸出および輸入においても米ドル建ての比率が高い傾向にあるが、2014年の調査ではさらに円建て比率がやや下がり、米ドル建て取引が増えていることが確認された。アジア所在の海外現地法人が、アジア現地通貨を利用しない要因としては、第一に、アジア通貨の変動が大きいことが挙げられる。過去二回の調査は歴史的な円高期とアベノミクス後の急激な円安期を経験した直後に実施された。第二に、アジア各国の通貨当局による資本規制や為替取引規制が挙げられる。アジア通貨の多くは、非居住者が自由に取引できる通貨ではない。これらの規制は近年徐々に緩和されつつあるが、依然として取引コストは高く、迅速な為替ヘッジも難しい。

第三弾となる今回の調査は、日本製造業の海外生産ネットワークのさらなる拡大と深化が進む一方で、米国が推進した保護主義的貿易政策の台頭と米中貿易戦争の激化など、日本の製造業を取り巻く外部環境が大きく変化する中、海外現地法人のインボイス通貨選択・為替リスク管理の現状から得られる問題点を明らかにすることを目指し、21,801社の海外現地法人を調査対象として2019年1月から2月にかけてアンケート調査を実施したものである。今回の調査で明らかになった最も顕著な変化は、アジア所在の海外現地法人において人民元を含むアジア現地通貨の利用が増加したことである。下表は、アジア所在の生産拠点における輸入・調達と輸出・販売のインボイス通貨選択の三調査時点間の推移をまとめたものである。これによると、人民元やアジア現地通貨の取引が増えていることが確認できる。特に、アジア所在の現地法人と海外との取引において、アジア通貨の利用が2014年から2018年で大幅に増加し、米ドル建てと円建て取引が減少している。特に円建てについては、アジア所在の現地法人と日本以外の海外取引でのみ若干増加しているものの、日本との取引では輸入・輸出どちらも減少している。

なぜ日本の海外現地法人のアジア貿易取引で人民元やアジア現地通貨の取り扱いが増えてきたのだろうか。日本の輸出企業は、可能な限り現地法人を為替リスクの負担から解放するため、本社(日本)に為替リスク管理を集約する戦略を採り、アジア向けではドルを貿易建値通貨として選択する傾向がある。しかし、近年、中国をはじめとして最終消費地としてのアジア市場の重要性が高まってきた。販売拠点では、現地通貨建ての貿易を選好する。また、製造を行うアジアの生産拠点でも、日本からの中間財輸入だけでなく、現地での調達も増えてきた。こうして、販売と調達の両面で現地通貨の取り扱いが増えてきたと思われる。米ドルよりもアジア現地通貨を利用する方が為替リスク管理の観点からより有利となってきたのである。こうした動きは、人民元をはじめとするアジアの現地通貨の為替取引規制が緩和され、為替制度がより市場を重視したゆるやかな管理フロート制へと移行したという制度的側面からも後押しされた。さらに、対ドルや対円でのアジア通貨の為替相場の安定も大きな要因となっている。

今回の調査では2017年度に行った本社対象の調査と同様に、全体として円建て取引が減少していることが確認された。1980年代に提唱された「円の国際化」が後退していることを示唆しているのかもしれない。換言すれば、円の国際化が企業行動によって支持されていないのである。また、アジアの中でも中国とASEAN諸国では状況が異なることも留意する必要がある。アジアでは、中国・香港・台湾を中心に人民元の取引が増えている一方、ASEAN諸国内での現地法人の取引でタイバーツやシンガポールドルなどのASEAN通貨の利用が増えている。将来アジアにおいて人民元圏が拡大するのか、ASEAN諸国通貨の取引が増大するのか、また対ドルレートを重視するのか、対円レートを重視するのかが今後の注目点となる。対円でのアジア通貨建て取引の取引コスト低減のためには、二国間の直接取引市場の開設など、アジア通貨の使い勝手を改善するための政策的関与が必要となるだろう。

アジア所在生産拠点:輸入・調達のインボイス通貨
表:アジア所在生産拠点:輸入・調達のインボイス通貨
アジア所在生産拠点:輸出・販売のインボイス通貨
表:アジア所在生産拠点:輸出・販売のインボイス通貨
(注) RIETI 「2010年海外現地法人アンケート調査」、「2014年海外現地法人アンケート調査」より作成。「2010年調査」は2009年度、「2014年調査」は2013年度のデータ。シェアは企業が回答した数値の単純平均として算出。
脚注
  1. ^ 参考文献は、すべてRIETIのDPとして公表されている。
参考文献