ノンテクニカルサマリー

2次元カオス被制約カオスとイノベーションにおける時間:産業革命サイクルの分析

執筆者 矢野 誠 (所長,CRO)/古川 雄一 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 市場の質の法と経済学に関するエビデンスベースポリシー研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

法と経済プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「市場の質の法と経済学に関するエビデンスベースポリシー研究」プロジェクト

1. 背景

知的財産保護が産業革命の主因であるという見方は、経済史家ダグラス・ノース(1993年ノーベル経済学賞受賞者)らによって提示されたもので、広く受け入れられている。しかし、その後の数次にわたる周期的な産業革命の発生については、これまで、分析の対象とされてきていない。本論文では、これを産業革命サイクルと呼んで、そのメカニズムを解明する。

1980年代からのIT化の波を第三回目の産業革命とみるのは、大方の見方である。現代社会が、今、第四次産業革命に踏み込もうとしているという見方もある。そのような視点にたって、日本やドイツでは、政府によって第四次産業革命に向けた取り組みが進められつつある。

こうした現象を見て思うのは、なぜ、我々の生活様式さえ、根本的に変えてしまうような技術革新(=産業革命)が波をなしてやってくるのかという疑問である。この波は時には100年以上の周期を持つもので、50年から60年という周期を持つコンドラチェフの長期波よりもずっと長い。下の概念図に示されるように、近代化以降のイノベーションは、周期の異なる複数の波が互いに入り混じる、複雑な振動現象と見ることができる。本研究は、矢野(Yano 2009)の市場の質理論による観点から、この問いに精緻な理論分析を与える。

図:産業革命サイクルとコンドラチェフ波の共存
図:産業革命サイクルとコンドラチェフ波の共存

2. 分析と結果

本論文では、知的財産権の保護とイノベーションに必要な時間(技術革新のための時間)に注目して、産業革命サイクルのメカニズムを明らかにする。そのために、この2要素をJudd (1985) によるイノベーションサイクルモデルへ新たに導入することによって、新しい理論モデルを開発する。

イノベーションに時間がかかるという新しい設定の下では、イノベーションサイクルの既存モデルとは異なり、 R&D投資が動学的最適化によって制御されるようになる。これにより、イノベーションの時間を通じた変化を決定する均衡動学が、既存研究における一次元モデルとは異なり、 二次元モデルになることが分析を通じて明らかにされる。

このモデルは、各期に行われる発明の数をイノベーションの活発さの代理変数とみなし、イノベーションに設定される知的財産に基づいて生産を行う独占的企業の数と、知的財産保護から外れた技術を利用して生産を行う競争的企業の相対的な数を市場の質の代理変数とみなせる。つまり、本研究では、イノベーションと市場の質を状態変数とする二変数の動学システムを扱っているとみなすことができる。

二次元動学システムにおいて、 産業革命サイクルのような複雑な循環現象を厳密に証明する数学的方法はこれまで知られていなかった。本論文では、この研究と平行してYano (2018) により発見された二次元の被制約カオスの理論を適用して、産業革命サイクルの発生条件と性質に関して厳密な分析を行う。

結論として、まず、 産業革命サイクルの発生には十分な知的財産権保護が必要であることが証明される。 さらに、技術革新に時間がかかるという性質は、二次元システムがエルゴードカオスになるパラメーターの範囲を狭め、カオス的なイノベーション経路を安定化させる(産業革命サイクルを発生させにくくする)が、知的財産保護が十分に強ければ、産業革命サイクルは発生しうる。また、本研究の理論モデルによって、産業革命サイクルのような超長期のイノベーションサイクルとコンドラチェフのようなそこまでの長さはもたない長期波とが、マクロ動学モデルの中の1つの均衡経路に共存する現象であることが初めて明らかにされる。この結果は、上の図にある、近代化以降のイノベーションの複雑な振動を、1つの市場均衡現象として、説明するものである。

市場の質理論における第一の仮説は、市場の質の向上とともに、技術革新のインセンティブが高まり、引いては、それが産業革命のような大規模な技術革新につながる一方で、大規模な技術革新は市場の質を低下させる要因となるというものである。本研究は、この仮説をサポートする理論モデルと提示したことに大きな意義がある。

3. 政策的インプリケーション

この研究による1つのインプリケーションは、イノベーションを通じた成長とシステムの安定性とがトレード・オフの関係にあることである。知的財産権の保護はこのトレード・オフに作用し、保護を強めれば不安定的だが、高い成長を見込める。他方で、保護を低めればより安定的な経路が実現できるが、高い成長は見込めない。知的財産権の保護の程度は、このトレード・オフを考慮して決定される必要がある。このような視点は既存研究にとって新しく、知的財産制度のあり方を考える上で、新たな知見をもたらす。

市場の質理論に基づくと、知的財産権の保護が成長と安定のトレード・オフを決定するという本論文の結論は現代経済に対し極めて重要な視点を提示する。この理論の根幹には、市場の機能をサポートする制度的、技術的諸要因(市場インフラ)が適切にコーディネートされていなくては、市場の質の低下とともに、経済活動の健全性が損なわれるという仮説がある。コーディネーションがみだれれば、押し売り、詐欺、粗悪品が横行し、市場の質が低下する(Dastidar, 2017, Dastidar and Yano, 2017)。その結果として極めて不健全な経済が出現する可能性があることは、というもので大恐慌期や日本のバブル期の経験からもみてとれる。それが、大恐慌のような世界的経済危機につながり、引いては、国際紛争にもつながる可能性さえ持つ。

現代経済では、知的財産権制度は市場インフラの最も重要な構成要因である。その意味で、特許法などの法制度の役割を検討する際に、コンプライアンス意識 (Furukawa and Yano 2014) や 国民性 (Furukawa, Lai, and Sato 2018) などの他の市場インフラとの適切なコーディネーションを考えるだけでなく、この成長と安定性のトレード・オフを考慮する必要性を、本研究の結果は示唆している。

上述のように、本研究は市場の質を独占的競争主体の数という側面からだけでとらえるものである。そのため、経済活動の健全性という市場の質の重要な側面を十分にとらえきれているとは言えない。しかし、モデルが仮定するような摩擦のほとんどない市場経済でも、知的財産権の保護の程度によって、上述のような成長(イノベーション)と安定(市場の高質性)の間にトレード・オフを生む。この事実は、市場の質の低下が経済活動の健全性を損なうという市場の質の理論仮説の下では、知的財産権の保護の制度設計が一層重要なことを示している。

つまり、知的財産権の保護を単純に強めれば、高質な市場が形成できるというわけではなく、現代技術にふさわしい保護のあり方を模索する必要があるということである。

参考文献
  • Dastidar, K., 2017, Oligopoly, Auctions and Market Quality, Springer.
  • Dastidar, K., and M. Yano, 2017. "Corruption, Market Quality and Entry Deterrence in Emerging Economies," RIETI Discussion Paper Series 17-E-010.
  • Furukawa, Y., T.-K. Lai, K. Sato, 2018. "Novelty-Seeking Traits and Innovation," RIETI Discussion Paper Series 18-E-073.
  • Furukawa, Y., and M. Yano, 2014. "Market Quality and Market Infrastructure in the South and Technology Diffusion," International Journal of Economic Theory 10, 139—146.
  • Judd, K., 1985, "On the Performance of Patents,". Econometrica 53, 567—586.
  • Yano, M., 2009. "The Foundation of Market Quality Economics," Japanese Economic Review 60, 1—32.
  • Yano, M. 2018. "Two-dimensional Constrained Chaos and Market Quality Dynamics," mimeo.