ノンテクニカルサマリー

シルバーパスが高齢者の健康及び消費行動に与える影響:中国都市部の疑似実験による政策効果の検証

執筆者 殷 婷 (研究員)/殷 志剛 (上海市高齢科学研究センター)/張 俊超 (統計数理研究所)
研究プロジェクト 日本と中国における介護産業の更なる発展に関する経済分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「日本と中国における介護産業の更なる発展に関する経済分析」プロジェクト

現在、中国では急速な高齢化が進んでおり、最初に上海が人口の高齢化を迎えた。上海市統計局が発表したデータによると、2017年末時点で60歳以上の上海戸籍の高齢者人口が483万6,000人で、上海戸籍総人口に占める割合は33.2%となり、70歳以上の高齢者人口が197万7,000人で、上海戸籍総人口に占める割合は13.6%となっている。こうした背景の下、上海では全国に先駆けて高齢者をめぐる年金、医療保険、老後の生活、養老サービスなどへの政策が集中的に打ち出されている。特に2017年10月に開催された中国共産党第19回全国代表大会において、習近平総書記が、全国民をカバーし、持続可能な社会保障システムを全面的に構築することを基調講演の一部として強調して以降、高齢者向け政策の効果についてさまざまな議論が行われている。

政策の効果を分析する際は、相関関係ではなく、因果関係を見極めることが非常に重要となる一方、因果関係を導くのは難しい。近年の経済学研究では、この問題に答えるための研究が盛んに行われている。その中で、「あたかも実験が起こったような状態を上手く利用する」コンセプトの「自然実験」という手法が使われている。本研究では、上海で70歳を境に無料で公共交通サービスを利用できるようになることに注目し、70歳を境に高齢者たちの健康状況がどのように変わるのかを分析した。70歳という「境界線」を上手く使うと、誰も実験をしたわけではないのに「あたかも実験が起こったような状態」を考えることができるRDデザイン(回帰不連続設計法)という方法を用いた(図1の通り、70歳を境に無料の公共交通サービス利用率は大幅に上昇している)。また、因果関係を解明した上で、その裏にあるメカニズムも明らかにした。

第4回中国都市・農村高齢者生活状況調査(2015年)を用いた推定結果(表1)によれば、無料の公共交通サービスは、性別、教育年数、婚姻状況、子供の数、運動量、年金をコントロールした上でも、高齢者の健康状況を10%改善する。すなわち、無料の公共交通サービスと高齢者の健康状況の間に因果関係があり、無料の公共交通サービスを受ける高齢者は、より良好な健康状況にあることを示している。また、そのメカニズムを検証した結果(表2)、家から病院までの距離が2km以内の高齢者では、医療費支出の増加につながる可能性があることが分かった。食費支出額が月640元以下の低所得の高齢者では、無料の公共交通サービスを利用することで食費支出の増加につながる傾向が見られる。その解釈としては、低所得の高齢者は無料の公共交通サービスを利用することで節約した交通費を食費に回し、無料の公共交通サービスの利用によってより多くの店舗で食品を購入できる可能性がある。また、家から病院までの距離が2km以内であれば公共交通サービスで通いやすい範囲なので、無料の公共交通サービスを利用することでより頻繁に病院に通うようになり、健康状況の改善に繋がると考えられる。さらに、頑健性チェックとして、70歳前後の2歳、3歳、4歳サンプルそれぞれ推定しても上記と同様な結果が得られた。

以上の通り、無料の公共交通サービスが高齢者の健康改善と介護予防に役立つという因果関係が分かった。しかし、無料の公共交通サービスの提供を拡大した場合に、高齢者向けの医療支出の増加をもたらすかどうかについては、別途分析を行う必要がある。

Figure1:First Stage
Figure1:First Stage
65歳から69歳までの間に0となる可能性があり、70歳以上は100%となる可能性があることから、Fuzzy RDという仮定が緩めな手法を用いた。
Table 1: Estimated Coefficients on Health Status
Table 2: Potential Mechanisms