ノンテクニカルサマリー

日本における賃金の輸出プレミア:employer-employee dataを利用した分析

執筆者 伊藤 公二 (コンサルティングフェロー)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

1990年代から経済のグローバル化が進展し、日本でも他の国と同様貿易や対外直接投資が急速に拡大した。同時に、オフショアリングの導入などにより海外における生産活動も盛んに行われるようになった。こうしたグローバル化に取り組んでいる企業は、グローバル化を通じてさまざまな恩恵に浴していると考えられる。企業の国際化と生産性・利潤の関係については2000年代以降数多くの実証研究が行われ、輸出などの国際活動を開始したことによって企業の生産性向上等の恩恵がもたらされたとする研究は少なくない。

一方、企業がグローバル化で何らかの恩恵を得たとして、その恩恵は最終的に企業で働く労働者に行き届いているのであろうか。たとえば、輸出を行っている企業の労働者は、輸出を通じて輸出していない企業の労働者よりも高い報酬を得ているのだろうか。確かに輸出企業の平均賃金は非輸出企業の平均賃金よりも高い(両者の差は輸出の賃金プレミアと呼ばれる)が、それを理由として輸出によって労働者が高い賃金を得ていると判断することはできない。賃金には、輸出の有無の他にも、企業の属性(企業規模、業種など)や労働者個人の属性(学歴、雇用形態、職種、性別など)が影響しており、こうしたさまざまな属性を制御した上で賃金の輸出プレミアの存在を確認してはじめて、「輸出を通じてより高い賃金を得ている」と判断できるのである。

そこで、本稿では、企業や労働者の属性を同時に制御するため、2002年、2012年の日本の製造業について事業所データと当該事業所で働く労働者のデータを接合したemployer-employee dataを構築し、ミンサー型の賃金関数を推計して輸出企業の賃金プレミアの存在を検証した。推計した結果、賃金については、輸出の有無による賃金格差が明確に存在した。これは国内・海外の先行研究と大きく異なる結果である。

ただし、海外の先行研究が労働者のパネルデータを利用しているのに対し、本稿ではデータ上の制約のため労働者のパネルデータは利用していない。このため、観察できない労働者の能力の相違や事業所の特性の相違が影響している可能性も排除できない。

このため、観察できない特性の相違が小さいと考えられる、同程度の規模の事業所・企業別に賃金関数を推計したところ、従業者数300人以下の事業所、同299人以下の企業において、輸出の賃金格差への影響は顕著であることが明らかになった。

なお、賃金の輸出プレミアのうち、純粋に輸出と相関する部分と他の要因との相対的な影響度を比較するため、2012年のデータについてBlinder = Oaxaca 分解を行った。輸出の影響は、製造業全体では9.5%と1割にも満たなかったが、従業者数100人以下の事業所では1/3を超え、101人以上200人以下の事業所でも2割を超えており、相対的にかなり大きいウェイトを占めている(表1)。

では、なぜ輸出が規模の小さい事業所・企業にのみ賃金格差をもたらしたのであろうか。2つのメカニズムが考えられる。1つは、レントシェアリングである。一般的に規模の小さい事業所は業績も優れている訳ではない。そうした事業所の中で、事業所が輸出を行うことで他の事業所と比較して業績を大きく向上させ、それが賃金にも反映される(これに対し、大規模事業所では非輸出事業所でも一定の業績を上げているため、輸出による業績向上が賃金に反映されたとしても非輸出事業所との間で賃金格差が明確にならない)。

もう1つは、輸出開始のための人材育成・採用の結果賃金が上昇したというメカニズムである。規模の小さい事業所では、一般的に大規模な事業所と比較して社内研修などの人材育成の取り組みに乏しい。事業所が輸出を開始する場合、輸出業務を行う人材の育成・採用といった取り組みが急務となり、非輸出事業所との賃金格差が顕著になっている(これに対し、大規模事業所の場合、輸出の有無に関わらず積極的に人材育成に取り組む事業所が多く、また輸出事業所も輸出経験が豊富なため特別に輸出業務を行う人材を追加的に採用・育成する必要性がない)。

本稿の分析により、特に規模の小さい事業所・企業において輸出と賃金の相関が確認できたが、因果関係を解明できれば輸出と賃金の間のメカニズムがより明確になる。それには労働者のパネルデータの作成が必要であり、今後のデータ整備に期待したい。

表1:賃金の輸出プレミアに占める輸出の影響の割合
賃金の輸出プレミア(対数) 輸出との相関部分(対数) 賃金の輸出プレミア(実数) 輸出との相関部分(実数) プレミアに占める
輸出の影響の割合
(a) (b) (c)=exp^(a) (d)=exp^(b) (e)=((d)-1)/((c)-1)
標本全体 0.345 0.033 1.412 1.033 8.1%
事業所規模
20人以下 0.125 0.042 1.134 1.043 32.3%
21〜50人 0.187 0.065 1.205 1.067 32.9%
51〜100人 0.136 0.052 1.145 1.053 36.4%
101〜200人 0.161 0.039 1.174 1.040 22.8%
201〜300人 0.183 0.014 1.201 1.014 7.1%
301人以上 0.158 -0.003 1.171 0.997 -1.9%