文化多様性条約は文化的財の貿易にいかに影響を及ぼすか?

執筆者 神事 直人 (ファカルティフェロー)
田中 鮎夢 (リサーチアソシエイト)
研究プロジェクト 現代国際通商・投資システムの総合的研究(第II期)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第三期:2011~2015年度)
「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第II期)」プロジェクト

文化多様性条約とは何か?

ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の2005年の総会において採択された「文化多様性条約」(Convention on the Protection and Promotion of the Diversity of Cultural Expressions)は、2007年3月に第29条の規定により、発効した。2015年9月までに批准国はカナダやフランスなど欧州諸国をはじめ139カ国に達したが、日本やアメリカ合衆国は批准していない。

本条約には、一面では、GATT/WTO(関税及び貿易に関する一般協定/世界貿易機関)による自由貿易体制からの避難所を文化的財に提供することが当初は期待されていた。特にフランスやカナダをはじめとする国々は、米国からの文化的財の輸入による自国文化産業の衰退を恐れて、本条約の採択を推進したといわれている。そうした経緯から、本条約が「偽装された保護主義」の手段として利用されることが条約の起草段階から懸念されてきた。確かに、本条約には、締約国政府が保護主義的な文化政策を採る余地を認めているように読み取れる条文がある。たとえば、本条約第6条「締約国の国内的権利」には、「自国の領域内で、文化的表現の多様性を保護し、及び促進することを目的とする措置をとることができる」と記されている。しかし、第20条「他の条約との関係」に「この条約のいかなる規定も、自国が締約国である他のいかなる条約に基づく締約国の権利及び義務を変更するものと解してはならない」と記されているように、本条約によってGATT/WTOの法的規律から締約国が逸脱できるわけではない。

他面、本条約は、文化の多様性のための国際基金を設立し、途上国の文化産業の育成を支援し、文化多様性を促進しようという積極的側面も有する。第7条「文化的表現を促進するための措置」には、自国の領域内だけでなく「世界の他の国からの多様な文化的表現にアクセスすること」を奨励する環境の整備が締約国に求められている。

偽装された保護主義か、文化多様性の促進か?

本研究では、このような2つの側面を持つ文化多様性条約が発効後に文化的財の貿易に及ぼした影響を精緻な計量分析により明らかにすることを試みた。具体的には、世界110カ国を対象に2004~2010年の期間の貿易データを用いて分析した。また、階差差の差法(first differenced difference-in-differences (DID) method)と呼ばれる手法を用いて、計量経済学的な問題(内生性の問題)に対処した。本研究の特徴は、文化多様性条約の発効の前後(before/after)、文化多様性条約の批准の有無(treatment/control)という差異のみならず、文化的財の輸入か非文化的財の輸入か(treatment/control)という差異を利用して、文化多様性条約の純粋な効果を抽出するよう、努めた点である。筆者らは既に「文化的財の国際貿易に関する実証的分析」(2013, RIETI-DP, No. 13-J-059)において、文化多様性条約の記述的な分析を行っているが、今回の研究は、手法の上でより厳密な、より信頼性の高いものであると考えている。

本研究の計量分析から得られた結果は、次の2点である。第1に、文化多様性条約が偽装された保護主義の道具として締約国の文化的財の輸入を減少させた証拠は見出されなかった。第2に、文化多様性条約が文化的財の輸入の外延(輸入先の国の数)を増加させることで、文化多様性を促進させたことを示唆する結果が部分的に得られた。具体的には、文化遺産の輸入と、音楽および実演芸術関連財の輸入の外延の成長率を非文化的財と比べて平均でそれぞれ13.8%、7.8%ずつ文化多様性条約が押し上げた可能性がある(図参照)。これらの結果は、傾向スコア・マッチング法(propensity score matching)と呼ばれる手法と合わせて、階差DID法により分析しても、概ね維持された。

図:文化多様性条約が文化的財の輸入の外延の相対的成長率に与えた効果
図:文化多様性条約が文化的財の輸入の外延の相対的成長率に与えた効果

政策への示唆

本研究からは、文化多様性条約が、保護主義的な効果を持たず、逆に文化多様性を促進する積極的な効果を有していることが示唆される。アジアでは、既に中国が文化多様性条約を批准し、条約に沿って積極的な政策を実施している。本研究の知見を踏まえると、「クールジャパン」の推進によって日本文化の海外展開を積極的に進めようとしている日本としては、世界やアジアで活発な文化交流を図る上でも、日本が文化多様性条約を批准する意味はあると考えられる。