ノンテクニカルサマリー

最低賃金の上昇が人的資本投資に与える影響

執筆者 原 ひろみ (日本女子大学)
研究プロジェクト 変化する日本の労働市場―展望と政策対応―
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム (第三期:2011~2015年度)
「変化する日本の労働市場―展望と政策対応―」プロジェクト

1. 問題の背景

2007年の改正最低賃金法の成立以降(2008年施行)、都市部を中心に都道府県別最低賃金は大きく引き上げられるようになった。2006年以前は前年比の伸びは1%未満であったが(2006年平均伸び率:0.6%)、2007年以降は2%に近い上昇率が観察されている(2008年平均伸び率:1.8%)。

最低賃金の引き上げには労働者保護という側面がある。しかし、最低賃金の上昇が必ずしも労働者の便益になるとは限らない。理論的に、最低賃金の上昇は労働者の雇用を奪う可能性と、教育訓練の機会を減らす可能性のあることが示されている。実際に、最低賃金の上昇は低スキル労働者の雇用を減らすことが、日本についても実証的に明らかにされている(Kawaguchi and Yamada [2007], Kawaguchi and Mori [2009])。しかし、これまで日本に関して最低賃金の引き上げが訓練機会に及ぼす影響は検証されてこなかった。そこで、本稿は、最低賃金労働者の割合が相対的に高い中高卒の女性労働者を取り上げ、改正最低賃金法の施行以降の最低賃金の上昇が彼女たちの教育訓練機会に影響を及ぼしたのかを検証した。本稿の分析は就業者についての分析であり、働いていない人は含まれていないことに留意されたい。

2. 分析の概要と結果

本稿ではDifference-in-difference-in-differences (DDD) 法という推定手法を用い、能力や素質などの個人に固有な要因とともに、経済全体のトレンドと地域に固有なトレンドもコントロールして、最低賃金の上昇が50歳未満の中高卒の女性労働者の教育訓練機会に与える影響を可能な限り純粋に抽出することを試みた。厚生労働省『能力開発基本調査』の労働者個票データから2007~2010年度の教育訓練に関する情報を抽出し、都道府県別最低賃金をマッチさせたデータを作成して分析を行った。

教育訓練として、企業内訓練(Off-JTとOJT)と自己啓発を取り上げた。企業内訓練は企業が行う教育訓練のことで、研修や講習会などの職場を離れて行われるOff-JT(Off-the-job training)と職場で働きながらスキルや知識を教えられるOJT(On-the-job training)とに分けることができる。自己啓発は、就業時間外に労働者自身が費用を負担して自ら行う教育訓練のことである。

最低賃金の上昇が上記の教育訓練機会に与える影響についての分析の結果は以下の表1のとおりである。中高卒の女性労働者のOff-JT受講確率は、最低賃金が1円上昇すると統計的に有意に0.7%ポイント低下すること(表1・(1)列)、そして最低賃金が1%上昇するとOff-JT受講確率は2.51%低下すること(表1・(2)列)が明らかにされた。

この推定値から、中高卒の女性労働者が受ける影響はどの程度の大きさと推計されるだろうか。2007年度から2008年度にかけて最低賃金は全国平均で11.7円上昇した()。つまり、Off-JTの受講確率が8.2%ポイント低下した(0.7×11.7)。2007年度の中高卒女性労働者のOff-JT受講確率は34.7%であったので、試算上2008年度には26.5%に低下したこととなる(34.7-8.2)。

また、Off-JT受講確率の低下は賃金の低下へと結びつくことが先行研究からも明らかにされているが、先行研究(Kawaguchi [2006])の推計結果に基づいて試算をすると、8.2%ポイントのOff-JT受講確率の低下は1.2%ポイントの賃金低下につながる。

表1:最低賃金の引上げが中高卒の女性労働者の教育訓練に与える影響についての推定結果
(1)
係数
(2)
弾力性
(3)
N
Off-JT-0.70**
[0.003]
-2.5110,496
OJT-0.02
[0.004]
-0.0210,261
自己啓発-0.80***
[0.003]
-3.5710,493
データ:厚生労働省『能力開発基本調査』。
注:1. 分析対象は50歳未満の女性労働者であるが、表の推定値は中高卒の女性労働者が受ける影響を示す。
2. プロビット分析の結果である。推定式はDPを参照のこと。係数は最低賃金が1円上昇したときに何%ポイント教育訓練の受講確率が変化するのかを、弾力性は最低賃金が1%上昇したときに何%教育訓練の受講確率が変化するのかを表す。
3. 括弧内の数値はclustering standard error、***は統計的に1%有意、**は5%有意を表す。

その一方で、最低賃金の上昇はOJTには統計的に有意な影響を与えないことが示された(表1・(1)列)。しかし、最低賃金の引き上げは自己啓発の実施を統計的に有意に少なくすることが明らかにされた(表1・(1)列)。Off-JTという企業内訓練の機会が低下したならば、それを補完するように自身での訓練機会を確保するように行動することも予想されるが、実際にはそうではなく、最低賃金が上昇すると自己啓発の実施も減ることが示された。

同じ分析を男性に関しても行ったが、男性の中高卒労働者の教育訓練の機会はいずれも最低賃金の上昇の影響を受けないことも明らかにされた。

3. 結論

分析の結果から、最低賃金の引き上げは中高卒・女性労働者の人的資本形成機会にマイナスの影響を与え、その影響は無視できない大きさであるといえる。そもそも中高卒労働者と大卒・大学院卒の労働者の間には教育訓練の機会に格差がある。よって、最低賃金の引き上げには低スキル労働者と高スキル労働者のスキル形成機会の格差を拡大させる恐れのあることから、格差拡大を防ぐための対応の必要性が示唆される。

脚注
  • ^ 分析の便宜上、分析に用いた年度の定義は実際の年とは異なる。詳細はDPを参照のこと。
引用文献
Kawaguchi, D. (2006) "The Incidence and Effect of Job Training among Japanese Women," Industrial Relations, Vol. 45, No. 3, pp. 469-477.
Kawaguchi, D., and Y. Mori (2009) "Is Minimum Wage An Effective Anti-Poverty Policy In Japan?," Pacific Economic Review, Vol. 14, No. 4, pp. 532-554.
Kawaguchi, D., and K. Yamada (2007) "The Impact of the Minimum Wage on Female Employment in Japan," Contemporary Economic Policy, Vol. 25, No. 1, pp. 107-118.