ノンテクニカルサマリー

企業内研究者に対する金銭的報酬-内発的動機、研究プロジェクト、発明パフォーマンスの観点から-

執筆者 大西 宏一郎 (大阪工業大学)
大湾 秀雄 (ファカルティフェロー)
長岡 貞男 (ファカルティフェロー)
研究プロジェクト イノベーション過程とその制度インフラの研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

技術とイノベーションプログラム (第三期:2011~2015年度)
「イノベーション過程とその制度インフラの研究」プロジェクト

多くのイノベーションが民間企業によって担われていることを鑑みると、それら企業に所属する発明者をどのように処遇し、彼らの発明意欲をいかにして高めていくかは、重要な政策課題といえる。特許法第35条の職務発明規定では、雇用者は職務発明を行った発明者に対して「相当の対価」の支払いを規定しているが、これは一種の成果報酬と見なせる。しかし、発明に連動したこのような金銭的報酬が本当に成果の向上に寄与しているのだろうか。この疑問に答えるために、本稿では発明者レベルのマイクロデータを使い、特許法第35条によって外生的に導入された発明報奨(補償)制度が企業内研究者の研究プロジェクトの選択やアウトプットに与える影響を、彼らの内発的動機も考慮した上で、理論的・実証的に分析した。

発明者が従事する研究活動は、単純労働に比べ、事前の予測が難しく失敗の可能性も高い。したがって、発明者のリスクを過度に高めることになりかねない発明に基づいた報酬は、最適な契約ではない可能性がある(Holmstrom 1989)。仮に、彼らに研究プロジェクトを決める権限がある場合、リスクの高い研究を避け、確実な成果が期待できるローリスク・ローリターンな研究を選ぶ可能性が高い(Lambert 1986)。最近ではMansoによる一連の研究で、代理人に対してハイリスクなプロジェクトを選択・成功させるためには、研究初期での失敗への寛容と、長期的なスパンでの評価が望ましいことが理論・実証の両面で明らかにされている(Manso 2011; Azoulay, Zivin & Manso 2011; Ederer & Manso 2013)。

ところで、発明活動には内発的動機(taste for science)も重要な役割を果たしていると考えられる(Giuri and Mariani et al. 2006; Nagaoka and Tsukada 2007; Sauermann and Cohen 2010)。Deciらを中心とする社会心理学での実験結果によれば、成果に基づいた報酬は内発的動機を弱める可能性が指摘されている(Deci 1975; )。このような成果報酬による内発的動機のクラウドアウトは、発明者においても観察される可能性がある。

本稿では、上記のような研究を踏まえた上で、成果報酬の導入と研究プロジェクト選択、内発的動機、そして研究成果という複雑な関係性を理論的に考察した。その結果、(リスク回避的な発明者に対する)成果報酬が優れた発明をもたらすかどうかは、導入によって発明者の努力が増すことによるプラス効果(インセンティブ効果)と、リスク回避行動から来るローリスク・ローリターン・プロジェクトの選択によるマイナス効果(代替効果)に依存することが示された。さらに、後者の代替効果は発明者が持つ内発的動機付けの強さ、リスク回避度の強さに加え、選択可能なプロジェクト間のリスクの高低に依存することも明らかとなった。実証分析では、この理論分析から導かれた以下の4つの仮説を検証した。なお仮説相互の関係性を図1に示す。

仮説1:
内発的動機の強い発明者ほど、ハイリスクで探索的な研究を志向する。
仮説2:
成果に応じた金銭的報酬は、発明者がより安全で開発的な研究を選択させるように機能する。
仮説3:
プロジェクト間の成否のリスクの差が大きい技術分野では、発明報奨制度は研究成果の質を低める方向に作用する。対照的に、プロジェクト間のリスクの差が小さい技術分野では、報奨制度は成果の質を高める方向に機能する。
仮説4:
前述のようなプロジェクト間のリスクの差が大きい技術分野では、内発的動機の強い発明者ほど、発明報奨制度の持つマイナスの効果が大きくなる。

分析では、RIETI発明者サーベイ、知的財産研究所実施の職務発明規定調査、特許書誌情報に関する知的財産研究所のIIPパテントデータベース、特許明細書本文に引用されている科学論文については人工生命研究所の特許引用情報データベースを用いて、発明者レベルのパネルデータを構築した。なお、研究の成果指標については特許の審査官による被引用件数、プロジェクト選択については、基礎研究により近いかどうかを測るという意味で、発明者が特許明細書中に引用した科学論文数を用いた。

推計結果では、実績に基づいた発明報奨制度の導入・改訂は、(1)被引用件数で見た発明者の特許の平均的な質を改善させる効果が見られるが、特許明細書中で引用される科学論文数が有意に減少すること(仮説2を支持)、 (2)内発的動機が高い発明者では、特許の平均的な質が高いこと(仮説1を支持)、(3)特に、研究上のリスクが大きい技術分野ほど、報奨制度導入による科学論文数の減少が顕著で、特許の質上昇効果も小さくなり(仮説3を支持)、(4)内発的動機が高い発明者ほど、特許の平均的な質の限界効果の減少および科学論文の引用数の顕著な減少が見られること(仮説4を支持)が明らかとなった。

これら結果は、理論的な予想と整合的であり、企業内研究者に対する成果を通じた報酬は、短期的に成果が出にくい科学に基づくハイリスク・ハイリターンの研究から、短期的に成果が上がる実用的な研究に、発明者のプロジェクト選択をシフトさせる可能性を示唆しているといえる。

図1:仮説間の関連性
図1:仮説間の関連性