ノンテクニカルサマリー

高等学校における理科学習が就業に及ぼす影響-大卒就業者の所得データが示す証左-

執筆者 西村 和雄 (ファカルティフェロー)/ 平田 純一 (立命館アジア太平洋大学)/ 八木 匡 (同志社大学)/ 浦坂 純子 (同志社大学)
研究プロジェクト 活力ある日本経済社会の構築のための基礎的研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム (第三期:2011~2015年度)
「活力ある日本経済社会の構築のための基礎的研究」プロジェクト

日本の国際競争力が低下している要因の一つに、技術開発力の相対的低下と技術開発の成果を市場価値に結びつけ、利潤に結びつけることに成功していないことが挙げられる。この点は研究開発費の動向を確認しながら、慎重に検討する必要がある。総務省編『統計でみる日本の科学技術研究 総括編 その1』によると、平成21年度において、日本の科学技術研究費は18兆4631億円と米国の43兆4000億円に次いで主要国中2位となり、対DGP比では3.61%と首位に立っている。総額で多額の研究開発費を使いながら、企業収益率が高まっていないことは、研究開発効率が低くなっていることを意味している。このような研究開発効率の低下要因の一つとして指摘されているのが、研究開発者の質の低下である(注1)。このことは、日本の国際競争力の源泉となる研究開発の効率性を向上させるために、研究開発者の質的向上が重要であることを示唆している。

研究開発者の質的向上を考える場合には、最も基本となる学校教育における理科教育のあり方を検討する必要がある。本研究では、理科教育の中で、どのような科目が労働市場において高い有用性を有しているかを明らかにし、理科教育が能力形成に結びつくメカニズムを考察する上での基礎的分析を行う。

本稿の分析は、独立行政法人経済産業研究所のプロジェクト「活力ある日本経済社会の構築のための基礎的研究」の一環として、2011年2月に行ったインターネット調査の結果に基づいている。最終的に、大卒以上の学歴を持つ者のみを抽出し、1万1399人からの回答を得ている。なお、調査では出身大学・学部名を尋ねており、この問いに対する回答率は非常に高かった。このデータを基に、理系学部出身者であるのか、文系学部出身者であるのかを識別している。理系学部出身者は3456人(平均年齢43.7歳)で約3割を占めている。

分析の結果を示す理系学部出身者の理科の得意科目別平均所得(下図参照)を見ると、所得の高い方から、物理、化学、地学、生物の順となっていることが分かる。この傾向は、回答者が高校時代に学習した学習指導要領の内容で、全世代を年齢の高い方から、A,B,Cの3つの世代に区分しても、世代間ではあまり変わらない。この点を確認するために、重回帰分析を行ったが、1981年以前に高校に入学した世代Aでは、物理を得意とする者が高所得であることが示されている。この世代では、年齢が所得決定に大きな影響を及ぼしている。1982年から1993年の間に高校に入学した世代Bでは、年齢効果は弱くなるものの、物理が得意であることが高所得の傾向がある一方、生物が得意であると低所得の傾向が出ていることにも注目したい。世代Cでは、生物が得意であるかどうかも有意な結果ではないが物理が得意であると所得が高くなる結果を得ている。これらを解釈するならば、物理学習がどの世代においても所得上昇に寄与することが確認され、稼得能力形成において重要な要因であることが示唆されたといえよう。

この結果は、理数系科目、特に物理を得意とする者が労働市場において相対的に強い競争力を持ち得ているにもかかわらず、過去30年にわたる学習指導要領の改訂は、それらの教科学習を促進する内容ではなかったといえよう。別の見方をすれば、学習指導要領の改訂によって、多くの者が偏りのある学習を余儀なくされ、理数系科目や物理の学習を敬遠するようになった結果、それらの科目を熱心に学習した者が身につけた数理的かつ論理的思考力の価値が相対的に高まり、労働市場における評価につながったものと考えられる。

以上の議論より、理科教育のカリキュラムにおける必修単位数の見直しを行い、物理教育をより徹底して行う教育改革を進める必要があろう。また、物理に精通した教員の確保と充実を図るために、引退世代のエンジニアを小中高の学校教育の中で活用し、物理への親近感と事象の探求心を高めることが必要であると考えられる。さらに、大学入学試験のあり方を検討すると共に、高い能力を持った若者を育てる仕組みをより充実させるための財政的支援を検討することも必要と考えられる。

図:理系学部出身者の理科の得意科目別平均所得(万円)
図:理系学部出身者の理科の得意科目別平均所得(万円)

脚注

  1. みずほ総合研究所「日本企業の競争力低下要因を探る~研究開発の視点から見た問題と課題」、みずほレポート2010年9月29日発行版などを参照。