ノンテクニカルサマリー

社債発行が企業の現預金保有に与える影響:1980年代の適債基準緩和に注目した実証分析

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

特定研究 (第三期:2011~2015年度)
「効率的な企業金融・企業間ネットワークのあり方を考える研究会」プロジェクト

分析の背景

近年の企業金融論においては、リレーションシップ・バンキングの正の側面だけではなく負の側面についても実証研究が進んでいる。リレーションシップ・バンキングの正の側面とは、資金の貸し手である銀行と借り手である企業が長期的取引関係を構築することにより、企業に関する情報が銀行に蓄積し企業の資金利用可能性が改善する効果のことである。一方の負の側面とは、銀行が顧客企業に関して蓄積した情報をもとに、他に貸し手がいないことを逆手にとって貸出金利をつりあげるような行動に出ることである(ホールド・アップ問題)。こうした問題があると、銀行にレント収奪されることを見越して、企業は経営努力を怠ったり十分に収益の得られる投資プロジェクトであっても実行に移さなくなったりするため、非効率性が生じる。このような場合、企業は社債などの資金調達手段の確保によってこのホールド・アップ問題を緩和できると考えられる。社債による資金調達によって、企業に関する正しい経営情報が取引銀行以外にも利用可能になる上に、代替的な資金調達手段を得ることで銀行との融資交渉において企業の立場が有利になるためである。本研究は、厳しい社債市場への規制が徐々に緩和され始めた1980年代初頭の日本の上場企業のデータを用いて、企業による社債発行が上記のようなホールド・アップ問題を緩和する効果があるのかを検証する。

分析の内容

本研究では企業の社債発行が企業の現預金保有に与える影響を分析する。多くの研究が指摘しているように、日本においては銀行が企業に貸し出した資金の一部を預金として拘束することでレントを獲得していたとされる(いわゆる歩積み・両建て)。社債発行が銀行によるホールド・アップ問題の緩和につながるのであれば、社債発行企業において現預金保有が低くなることが予想される。

本研究が先行研究と異なるのは、企業による社債発行の内生性を考慮するために、かつて存在した適債基準に注目しそれを操作変数として用いる点である。この基準は社債を発行する企業が満たすべき財務上の条件を政府が定めるものであり、1980年代には社債市場自由化の一環として基準の緩和がほぼ毎年行われた。従って適債基準の変化は企業の社債発行決定に影響を与えた外生的な要因といえる。

分析においては、操作変数分位点回帰法(IV-QR法)を用いて推定を行っている。この手法のもとでは、企業の現預金保有に影響を与える要因を制御した上で現金保有量が多い企業とそうでない企業との間で、社債発行が現金保有に与える影響が異なることを許容して推定を行うことができる。本研究では、現金保有量が多い企業をより深刻なホールド・アップ問題に直面している企業とみなし、そうした企業において社債発行が現預金保有をより減らす効果があるのかを検証する。分析に用いるデータは日本政策投資銀行「企業財務データ」から得た1980年度から1985年度までの製造業に該当する上場企業でありサンプル・サイズは6430である。

分析結果と今後の課題

本研究の分析により次の点が明らかになった。まず社債発行企業においては非社債発行企業よりも有意に現預金保有量が少なく、さらにその程度は現預金保有比率(現預金保有額/総資産)の条件付き分布の高い分位点に位置する企業においてより大きくなることが分かった(図1を参照)。これらの計測結果は、社債発行という代替的な資金調達手段を得ることで、企業が銀行との取引において直面するホールド・アップ問題を緩和することが可能であることを示唆している。さらに1980年代の適債基準の緩和は冒頭で述べたような銀行と企業の長期取引関係構築に伴う非効率性の改善に効果をもたらした可能性を示唆している。

図1:企業の社債発行が現預金保有比率(現預金保有額/総資産)に与える影響(IV-QR法による推定)
図1:企業の社債発行が現預金保有比率(現預金保有額/総資産)に与える影響(IV-QR法による推定)
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注)左側は現預金保有比率のレベルに対する影響であり、社債を発行することで発行しない場合と比べて比率が何パーセント・ポイント変化するかを示している。右側は社債発行によって発行しなかった場合と比べて現預金保有比率が何パーセント変化するかを示している。いずれも横軸のQuantileは現預金保有比率の条件付き分布の分位点を示しており値が大きくなるほど、より深刻なホールド・アップ問題に直面している企業であると解釈できる。いずれのパネルにおいても実線は社債発行の処置効果であり、左側パネルの点線は推定値の95%信頼区間を示している。