ノンテクニカルサマリー

多次元人的資本投資のモデル:不確実性のもとでの特定方向への投資と一般投資

執筆者 市田 敏啓 (早稲田大学)
研究プロジェクト 「国際貿易と企業」研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

基盤政策研究領域III (第二期:2006~2010年度)
「国際貿易と企業」プロジェクト

本論文は個人の人的資本投資に対する方向性のインセンティブに関して、理論モデルを用いて分析している。特に、これまでの人的資本に関する先行研究が、主に一次元の問題(労働力は全ての職業において均質で、教育によって大きさのみ変わるという仮定:たとえば、高卒のまま働きに出るのか、それとも、大学に行ってスキルを蓄えてより収入の高い仕事に就くのかという選択問題)を扱ってきたのに対して、本論文でのモデルにおいては個人が多次元のスキル(大学卒業後につく職業によって、自らの労働力の強さ・大きさは異なっている:たとえば人によって数学の才能と音楽の才能は生まれながらに異なっているし、その後の教育によって、その絶対的大きさも相対的大きさも変わっているだろう)を持っている時の人的資本投資行動の方向性(どういう大学や専門学校に行くのか、数学と音楽とどちらの才能をどれだけ伸ばすのか)の決定要因を将来の財(数学の力を使ってつくられるものと音楽の才能を使ってつくられるもの)の相対価格に不確実性がある世界で分析を行った。以下に図を用いて、説明を試みたい。図の中では、個人は正方形の中に数学と音楽のスキルで同時分布しているとする。

最初に得られた結論は、個人の比較優位が強い場合(数学の才能が音楽の才能に比べて著しく低い場合など)には、リスクの大きさや個人のリスクに対する態度がどうであるかに関わらず、自分の得意なスキルに特化した人的資本投資を行うということである。具体的な例では、数学が苦手で音楽の才能がある人はジュリアード音楽院やバークリー音楽院などに進んでさらに自らの音楽スキルのみを向上させる。

図:比較優位の強い人たちは自らの得意な方向に特化投資する

次に、一般投資(数学と音楽のスキルを両方とも伸ばすようなケース)はどのようなケースに起こるかを調べた。基本的には一般投資はその人的資本投資の効率性(もとのスキルをどれだけ伸ばすことができるか)が特化型の投資効率性と比較してそれほど悪くない時に、比較優位の強くない人々(数学のほうにも音楽のほうにも秀でているということがないような、器用貧乏のケース)の間で起こることが分かった。しかしながら、一般投資は必ず起こるわけではなく、あくまでも投資効率パラメーターの値次第であり、特化型投資しか生まれないケースも存在する。

図:一般投資の効率がよい場合に限り、どちらのスキルにも同じくらいスキルのある人たちは両方向に一般的投資をする場合もある

最後に、リスク嫌いの程度が大きくなると、自らの生まれながらの比較優位と逆方向に特化型投資を行う人々が出てくることが分かった。そして、興味深いことに、そういう投資の結果、生まれた時と投資後の比較優位が逆転してしまうようなケースも存在することが分かっている。これは、投資の方向性としては、生まれながらの才能を生かせていないという点で、社会的には非効率を生んでいる。

図:リスクが大きくなると、両方に同じくらいスキルのある人たちの中には不得意なスキルに特化投資する人が生まれる

これらの結果を踏まえると、政策に対する含意をいくつか導くことができる。1つ目は、政策によって個人レベルのリスクを減らすことの重要性である。これは決して、社会で不運に見舞われた人がかわいそうだから社会保険を充実させましょうという議論とは異なっている。人々が、自らもって生まれた得意な才能を充分に伸ばしていけるためには、市場で供給されない保険を政府が肩代わりをすることは、長期的な社会の生産性の向上にもなるということである。

2つ目は教育システムの構築の仕方に関する政策的含意である。リスクの大きい社会のもとで、保険が十分にない場合には、個人は自ら教育で保険をかけようとする。もし、職業を選ぶ直前の人的資本投資活動である大学教育(高等教育)のタイミングで、多くの器用貧乏型高校生がいれば、本来は自分が得意ではない分野のスキルを伸ばす大学(専門学校)に進学するかもしれない。このモデルの結果を当てはめるならば、初等教育中等教育の段階で、あまりに画一的な一般型教育を行うのではなく、もっと、個人個人の才能を見極めて、特化型の教育を行っておけば、結果として、高等教育に進む際に、自ら保険をかけようと思わなくなるような、そういう進路を選ぶ人が増えることになり、社会全体の効率は向上するだろう。