2008年末から派遣労働者を中心に大規模な雇用調整が行われている。雇用調整の動きは、派遣労働者だけにとどまらず、他の非正規雇用者の雇い止め、そして正規雇用者の雇用調整にも進もうとしている。なかでも、派遣労働者の雇用契約の中途解約や雇い止めは、大きな注目を集めている。なぜこのような事態になったのだろうか。今回の雇用調整の背景と雇用制度の在り方について考えてみたい。
派遣労働者を中心とした非正規労働者の雇用調整が大規模に行われているのは、2つの理由がある。第1に、今回の景気悪化が急激かつ大規模であることだ。サブプライム問題に端を発した世界的な景気後退が急激に発生した。日本企業も急激な景気後退のために雇用調整に迫られたのである。第2に、日本では過去に比べて非正規社員比率が高くなっていたために、過去の不況期に比べて雇用調整が急激に進んでいる。派遣労働者、契約社員、パート労働者などの非正規雇用者数は、1996年では雇用者の約20%であったが、2008年では30%を超えていた。正社員よりも雇用調整が容易な非正規社員の比率が過去最高の水準であったために、景気悪化に対して素早い雇用調整が行われているのである。もし、正社員の比率が高かったとすれば、景気悪化の影響が雇用に影響がでるまでには、もっと時間がかかったはずである。
今回の雇用調整は、ある意味では予定されていたことだとも言える。バブル崩壊後の過剰雇用を解消するために、日本企業は大変な苦労をした。デフレのもとで正社員の賃金コストを引き下げることも難しかった。その対処法として日本企業が採用したものが、正社員の採用抑制と非正規社員の増加である。景気の悪化に直面したのであるから予定通り非正規労働者の雇用調整をしているだけ、というのが、企業経営者と正社員中心の労働組合の本音のはずである。
日本全体の生産性を低下させる危険がある非正規労働者増加
しかし、個別には「経済合理的」な行動が、日本全体としてみれば、深刻な問題を引き起こしている。第1に、非正規労働者は、長期間の雇用が前提とされていないために、訓練量が少ないことが引き起こす問題である。非正規雇用者が多い世代の生産性が将来も低いままになってしまう。また、非正規雇用比率が高い世代が将来も所得水準が高くならない可能性が高いということである。第2に、非正規労働者の増加が、若い年齢層に集中していることである。特に、男性でその変化が激しい。1990年代半ばまで、25歳から34歳の男性の非正規労働者は、雇用者の約3%しかいなかったが、最近では14%前後まで上がってきている。つい10年近く前までは、男は正規労働者が当たり前だったのが、今では非正規労働者も珍しくなくなったのだ。非正規労働者が既婚女性を中心とした家計の補助的労働であった時代ならば、非正規労働者の雇用調整は、貧困問題に直結しなかった。しかし、世帯主や単身者の非正規労働が増えてくると、非正規の雇用調整が貧困問題をもたらす原因になる。
今回の非正規雇用を中心とした大規模な雇用調整は、日本経済が抱えていた潜在的な問題を一気に顕在化させたのである。では、非正規雇用や派遣労働を禁止したり、雇い止めを不可能にすることは、問題を解決するだろうか。確かに、非正規雇用の中には、違法な契約解除、社会保険未加入、劣悪な労働環境といった問題を抱えているものもある。彼らの労働環境に関する規制を強化することは必要である。しかし、そもそも非正規雇用者が増えてきた原因を正しく認識しないと、非正規雇用そのものを禁止することは、失業を増やすだけになる。
日本で非正規雇用者が増えてきたのは、正社員の雇用保障と非正規社員の雇用保障に大きな差があるからである。正社員を雇用調整することが難しいため、企業は正社員で採用するよりは、非正規社員を採用することを選んできた。正規雇用と非正規雇用の雇用保障の差が大きなままでは、非正規雇用を禁止することのコストは大きい。
派遣労働について考える
非正規雇用のなかで、今回注目を集めた派遣労働について考えてみよう。派遣労働は、雇用調整が最も容易な労働力であったために、今回の雇用調整で真っ先に雇用調整の対象となった。ただ、派遣労働がクローズアップされているが、派遣労働者の比率は、比較的小さいことに注意すべきである。2008年の第1四半期でも派遣労働者の比率は、2..6%にすぎなかった。派遣労働者が増えたのは事実であるが、非正規雇用者の多数を派遣労働者が占めるような印象を人々がもっているとすれば、それは間違いである。非正規労働者の中に占める比率でみても10%を超えていないのである。製造業派遣を禁止すれば、労働者が安定的な雇用につけるというのは間違いだ。「派遣」に規制を加えても、大多数の非正規労働がなくなるわけではない。「派遣労働者がかわいそうだ」という理由で、派遣を制限すれば、偽装請負など派遣に代替する、より不安定な雇用が増える可能性の方が高い。あるいは、労務コストの安い海外への工場移転などで雇用そのものが失われる可能性もある。
製造業への派遣が認められているのは日本だけだという誤解も多い。しかし、労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏が『世界』(2009年3月号)の論説で書いているように、EUにおいても、現在では派遣は業務限定がなされていないどころか派遣で業務限定をすることが違法になっているのである。つまり、派遣先の業務が問題なのではなく、派遣先の労働条件や技能の向上を促進するような制度作りを考えることが重要なのである。
派遣労働をはじめとする非正規労働に問題がなかったとはいえない。2002年以降の景気回復期に日本企業の利潤が増えた大きな理由は、非正規雇用者が増えたことによる人件費の低下である。つまり、非正規雇用者の賃金が、生産性よりも低かった可能性は否定できない。非正規雇用の中でも、派遣労働には、社会保険への未加入、低賃金といった問題点がある一方で、派遣労働のメリットがあることも事実である。それは、派遣労働がもつ仕事と労働のマッチング能力である。失業者の多くは、職に関する十分な情報をもたない上、職探しには慣れていない。一方、求人側の企業も労働者の採用に苦労している場合も多い。そういう場合に、派遣労働は優れた役割を果たしてくれる。派遣労働があるおかげで、労働者にとっては失業期間が短くなり、企業にとっては欠員が早く解消できる。
では、派遣労働の問題はなぜ発生するのだろうか。それは、派遣会社が、労働者よりも情報をより多くもっていることから生じる。派遣労働者は、自分が派遣先でどれだけの生産性を発揮しているかに関する情報や賃金相場に関する正しい情報をもっていない。もし、派遣会社間に十分な競争がなければ、派遣会社は高い手数料をとって、派遣労働者には低い賃金を支払うインセンティブがある。派遣会社間に十分な競争がなかったり、所得が少なく一日も早く所得を得たい失業者が多ければ、派遣労働者に支払われる賃金が、生産性よりも低くなってしまう可能性がある。派遣労働は、派遣を使わない場合に比べて早く仕事を見つけることが、多くの海外の研究で確認されている。しかし、問題点も明らかにされてきている。それは、派遣労働は、すぐに仕事を見つけることができるが、直接雇用に移行せず、長い間派遣に留まった場合では、その労働者の所得をあまり引き上げないという傾向があることだ。
公共投資や公的サービスによる雇用創出を
こうした問題点を解決するためには、正社員の雇用契約期間に、5年、10年といった任期付きの雇用を認めていくことも1つの方法である。そうなれば、派遣から直接雇用への転換も容易になる。短期で契約が終わるのであれば、企業は派遣労働者に訓練をするインセンティブはないが、中長期の雇用契約になってくれば、訓練して生産性を上げることが得になる。派遣会社が労働者を訓練することに政府が補助金を支給すれば、派遣労働者の中長期的な所得向上につながるかもしれない。
欧州では、経営上の理由による解雇は認め、失業保険や職業訓練は充実するというのが大きな流れだ。この点は、日本も参考にすべきである。目の前の失業者を救う方法を間違えると、その何倍もの失業者が発生するだけでなく、将来、日本全体が貧しくなってしまう。急激な不況による大規模な失業を防ぐためには、政府による需要創出しかない。そのためには、増税も選択肢になる。増税してでも有益な公共投資・サービスを増加させれば、勤労者から雇用される失業者に対する所得再分配にもなる上、公共投資が私たちの生活を豊かにしてくれる。学校などの公共施設の耐震化、電柱の地中化、都市部の道路整備など明らかに暮らしの質を高める公共投資は多い。また、教育、医療、介護、育児などのサービスも不足している。公共投資や公的サービスによる雇用創出は、単なる規制強化よりも、就職氷河期世代を救い、貧困問題の解決策にもなる。